100 暴食のダンジョン
―― 稀人の来訪を受けて数日後。
朝の勤めを終えたスオウは、背筋を伸ばして堂の外へ出た。 寺院であり修道院を兼ねる『葬骸寺院アンタレス』は、要塞並みの堅牢さを誇る代わりに、日差しが届く場所が限られている。それでも、スオウがよく居る奥の堂の前庭は、ちいさな陽だまりをつくって、ほのかに暖かい。 春の風がそよりと撫でる青白い頬は、生身の人間の体温よりもずいぶん低いだろう。 アルカ族は迷宮の魔力さえあれば生きていけるが、スオウは必要最低限の魔力のみを摂取し、むしろ変換前の“障り”を取り込むことで、粗食と修行としている。アンタレスに住まうアルカ族は、みな禁欲的だが、スオウほど過酷な行を己に課している者はいない。 「大師様」 囁くような声でスオウに寄り添ったのは、今日もキッチリと頭巾をかぶって顔を上げないコキアケ。 「ようやく来ましたか」 「はい。数はおよそ五百。将はキャネセル公が息女、ゼフェリアです」 「それはそれは」 スオウの口元が、堪えきれないと言いたげに歪んだ。 キャネセル家にはスキル持ちがよく生まれ、当主イルヴァの【杖術】をはじめ、子息たちも【果樹育成】や【皮革加工】などを持っている。ただ、なぜか魔法スキルだけは、初代キッス・キャネセル以降、一人も出ていない。それが、子息に魔法スキル持ちが現れ、『魔法都市アクルックス』と上手く付き合い始めたブルネルティ家を、彼らが目の敵にする原因でもあるのだが。 話を戻すと、そんなスキル持ち一族の中でも、次女ゼフェリアは【戦術】を持っており、キャネセル家の兵権を当主から任されていた。 「アカネを使者として立てましたが、武器で追い返されました。アカネに怪我はありません」 「ご苦労様です。つまり、むこうはこちらを、武力でどうにかなる、と思っていると。舐められたものですねえ、コキアケ」 「はい、大師様」 スオウとコキアケはゆったりと歩いているが、周囲のアルカ族は、戦闘配備のために駆け足であり、静かな熱気が立ち上っている。 「いきなりの殴り合いは慎みに欠けますが、むこうがその気なら、受けて立ちましょう」 控えていた僧侶から錫杖を受け取ったスオウは、しゃりんしゃりんと音を鳴らしながら、コキアケを従えて『葬骸寺院アンタレス』の城壁に登った。 ショーディーが創った『葬骸寺院アンタレス』は、本来は山の上に建っているはずの迷宮であり、大門の外には山肌に張り付くような長い階段があるのだが、いまは三十段も下りないうちに、平らな地面に到着してしまう。 ここはキャネセル領内にある、星を巡る流れの真上で、辺りは耕されてもいない、やや荒れた平原だ。 この場所にアンタレスが出現してすぐに、アルカ族は迷宮との境目に、『この先迷宮につき、害意を持って進むべからず』との看板を、いくつも立てていた。しかし、いまスオウの視界には、その看板はなぎ倒され、引き抜かれ、あまつさえ、火にくべられて煙を上げている。 境を越えて迷宮の範囲内で展開しているキャネセル軍は、少しの騎馬に、多くの歩兵が従っていた。城攻めを想定して弓兵も多かったが、魔法使いらしい恰好をした者も数名いた。 「……あの魔法使いたちは、儀式に参加しなかったのですかね」 「キャネセル家の秘蔵の兵力、ということでしょうか」 異世界人召喚の儀式のために、魔法使いを招集していた王家に対して、これは忠誠を疑われかねないのではないか、と心配をするわけではないが疑問に思ってしまう。キャネセル家の秘密兵器扱いであるならば、領外に出すわけにはいかないのかもしれないが……。 「ショーディーさまの、兄君に対する心配と献身を存じ上げている身としては、公方家の独自軍備とはいえ、いささか勝手が過ぎるように思えますな」 「同感です」 どぉんどぉんと打ち鳴らされる戦太鼓と共に前進してくる軍勢を眼下に、スオウは肩をすくめて指示を出した。 「迎撃開始。頭と脚は、斬り落とさないでくださいね」 ぶぉおぉぉん、と法螺貝が城壁の上に響き渡った。 ヤツデ葉型の団扇が翻って、飛んでくる矢を暴風で跳ね返し、ついでに相手方の火魔法を煽って混乱させる。たすき掛けされた袖からあらわになった、盛り上がった赤銅色の肌が弾けよとばかりに引き絞られた大弓から、お返しの矢が大雨のように飛んでいく。 ほぼ一瞬で、キャネセル軍の遠距離攻撃部隊を沈黙させると、畳みかけるように闇色の羽が空を覆った。 「敵の対空攻撃を警戒。一撃離脱とし、深入りしないように」 頭巾の下から猛禽の素顔を見せたコキアケが率いる部隊が空を舞えば、そのたびに槍や薙刀で掻き切られた血飛沫がまき散らされる。迷宮産の刃は、迷宮産以外の防具を易々と切り裂くのだ。 たった一度の衝突で、哀れなキャネセル軍の半数が大地に屍をさらすこととなったが、その程度でひとつの迷宮都市を任されているスオウが許すはずもない。 「愚か者の魂の修行先は迷宮と決まっておりますから、躯は生者への教訓といたしましょう」 この場に“悲哀のポルトルル”がいたならば、真っ黒な“障り”がスオウから立ち上るのを目撃し、その悍ましさに慄き涙したことだろう。 スオウが身に宿していた“障り”は触手のようにうねって延び、大地に倒れた兵士たちへ触れていく。 「エクストラスキル【操骸術】」 魂はすでに迷宮に取り込まれ、そこには抜け殻の躯しかない。しかし、矢が貫通し、 「南無帰依仏」 スオウ達がひれ伏して敬うのは、輪廻の外より現れ、その人生ごと他人の糧になってくれた、創造主を含めた異世界人たち。彼らを侮辱するものなど、この世になくても良いのだ。 「糧を敬えぬ餓鬼など、共喰いがお似合いでしょう」 阿鼻叫喚の地獄絵図を冷ややかに眺めたスオウは、戻ってきたコキアケを従え、己が管理を任された寺院の奥へと踵を返すのだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 昔々ある所に、とても食いしん坊な王様が支配する国がありました。 人々は毎日、たくさんの食べ物を作り、王様と家来たちに献上していました。 あるとき、厳しい飢饉がやってきました。 人々は王様たちに献上する食べ物が作れないと訴えました。 しかし王様は 「お前たちが食べている物があるではないか」 と、嫌がる人々から食べ物を取り上げてしまいました。 やがて、人々の少ない食べ物も食べつくしてしまった王様は言いました。 「コトコト煮込んだ、柔らかい肉が食べたい」 もうその国には、痩せた野兎すら一羽もいません。 それでも、王様の食卓には、毎日柔らかく煮込んだ肉料理が並びました。 毎日一人ずつ減っていく子供に、人々は嘆き悲しみました。 そんな飢えに苦しむ国に、アンタレスという名の魔女が流れ着きました。 彼女はとても魔法が上手でしたが、喉が渇いて死んでしまいそうでした。 人々は彼女を憐れに思い、倉の奥にしまっていた最後の葡萄酒を飲ませてあげました。 魔女は人々に深く感謝するとともに、暴食に耽する王様のことを知りました。 「残念ですが、すでにこの国は亡びる定め。 しかし、助けていただいたお礼に、王が民を食べられなくしてさしあげます」 アンタレスはそう言うと、飢えていた国民すべてを、毒をもつ動物に変えました。 老人は毒魚、子供は毒虫、男は毒蛇、女は毒鳥に……。 大地を耕し、獣を狩り、魚を 食べる物が無くなった王様と家来は、もうお腹がペコペコです。 毒を持った動物を食べようと触れて死に、死んだ人間の肉を貪りました。 やがて、王様も家来もいなくなり、毒を持つ動物ばかりになりました。 「罪深い王たちに食べられてしまった人の魂を慰めましょう」 魔女アンタレスは、人間に戻してあげた民と一緒に、大きな寺院を造りました。 そして、尽きることのない豊かな大地をダンジョンに創って、御霊に供えました。 人々は喪われた子供たちを偲び、それを「暴食のダンジョン」と名付けましたとさ。 グリモワール 「絵本:アンタレスのダンジョン」 より |