099 礎


「お邪魔するよ、スオウ」
「ようこそ、おいでくださいました。稀人様を当寺院にお迎えできるとは、望外の栄誉にございます」
 いつも通りコキアケを従えたスオウが、五体投地しかねない勢いで膝をついた。
 迷宮案内所の職員も、詰めかけた住人も、そろって床に平身低頭する姿に、稀人五人の方が驚いてしまっている。
「あー、いつもはここまでじゃないからね。アンタレスの住人は僧侶で、稀人たちに特別の敬意を持っているんだよ。観音様が降臨されたような感じ?」
「な、なるほど……」
「びっくりしたわ……」
 僕の雑な説明でも、なんとなくわかってもらえたようだ。
「『瑞穂廟』に行くよ。案内頼む」
「はっ」
 スオウの案内に従って歩いていく間に、僕は迷宮都市への出入りの仕方を教えた。
 ひのもと町の駅から、各迷宮都市に行き来ができるけれど、必ずアルカ族の護衛を連れていくこと。強い放射線を出す燿石の道具は、「迷宮では壊れやすい」という噂を流しているので、持ち込まれることは少ないが、迷宮の都市部分は基本的にこの世界に合わせてあるので、長居はしないようにということ。
「依頼で得た迷宮エンを使って買い物もできるし、仕事の打ち合わせや市場調査のために、自由に行き来してもらって構わないけれど、健康被害は未知数だし、この世界の人間に稀人だとバレると面倒だからね」
 そんな注意事項を話している内に、武骨な石壁や土壁が途切れて、綺麗に掃除がされた霊廟の前にたどり着いた。
 スオウはその前で礼拝すると、扉を開けて、奥へ進んでいく。僕たちもそれに続き、やがて、広々とした部屋にたどり着いた。
 息を呑む五人の視界には、位牌のように壁一面に安置された、たくさんの墓碑が……いままでに召喚されて亡くなった日本人の名前が刻まれた墓碑が、魔道具の光にほのかに照らされて見えていることだろう。
「ここにあるのは、記録が残っていた、二百八十三名分のお墓です。墓碑しかありませんけどね。それに、実際は、もっと多いはずで、名前も……わかっていない人がいます」
 僕はその悲しい空間に進み出て、あらたに召喚されてしまった五人に向き直った。
「僕は、稀人が長く生きられなかっただけで、帰る方法はあるんじゃないかと期待していました。だけど、みなさんが召喚された瞬間、地球側で事象改変が観測され……つまり、むこうの世界では、みなさんが存在しないことが正常である、と改変されてしまったんです。もう帰れない、と、わかりました」
 みんな、薄々は感じていたかもしれない。帰れなくてもいいと思っていたかもしれない。だけど、この事実を受け止めはしても、易々と許すことはできないだろう。
「僕は、この世界が嫌いです。大嫌いです。さっさと滅んでしまえ、とも思っています。……だけど、この犠牲が、無駄だとも思いたくない。まして、この世界を滅ぼし、地球に悪影響を及ぼすために利用されただけだなんて、絶対に思いたくない!」
 僕は呆然としたままの五人に、深々と頭を下げた。
「あなたたちの召喚を止めなかった僕が言えることじゃない。図々しいお願いだと理解しています。でもどうか、僕に力を貸してください」
 いくら弔う場所を用意したと言っても、それは僕の自己満足にすぎない。日本人が召喚されてくる現状をなんとかしたいと思って、迷宮で工夫するのも、僕が勝手にやっていることだ。僕の考えを、五人に押し付けることなどできない。
「まったく、水くせぇんだよ!」
「あだっ」
 頭を下げた背中を琢磨に叩かれて、僕は前のめりにたたらを踏んだ。
「俺はいいぜ。むこうじゃ仕事にも就けなかったが、こっちじゃ好きなだけアクセ作りができるからな! 人生やり直すには、ちょうどいいさ」
「はいはい! アタシも! 誰の目も気にしないで、自分のお店が持てるのよ。いくらでも協力するわ!」
 琢磨に続き、水渓さんも手を上げた。
「私も。剛志と会わないで済むなら、静かに落ち着いて暮らせるなら、なにも文句はないわ。カレー粉だって、作ってあげますとも」
 迷宮案内所の依頼を思い出したらしい七種さんも、笑いながら手を上げた。
「私……なにもできないけど……」
「くぅん?」
 みたらしの顔を撫でる彩香さんに、枡出さんが穏やかに声をかけた。
「これから探せば、いいんじゃないでしょうか。私など、いつポックリ逝ってもおかしくない爺さんですから。どれほど力になってあげられるかわかりません。不忍さんこそ、大変なショーディーくんを、支えてあげてください」
「はい」
 彩香さんは顔を上げ、頷いてくれた。
「私には、帰る場所がなかったけど、ショーディーくんが新しく作ってくれたもの。私にできることをするね」
「私も……もう、帰る家族がありません。ショーディーくんの種まき・・・・には、私も賛同しますし、最期まで、務めさせてもらいますよ」
 彩香さんと枡出さんからも同意を得られた僕は、ただ胸がいっぱいになって、言葉が出てこなかった。
 他に行き場がない彼らに協力を要請するなんて、やっていることは教皇国と同じだと嫌になる。だけど、せめて『稀人を保護する』という仕事と、彼らのこれからの実りある人生には責任を持ちたい。
「みなさん……ありがとうございます!」
 僕はもう一度、深々と頭を下げた。

 瑞穂廟を出た僕たちは、それから『葬骸寺院アンタレス』の中を見て回り、修行僧たちが働く染料工房や製紙工房などを見学した。
 露店が軒を連ねる広場では、彩香さんが「おっきなハムちゃん!」とゲッシ一家に大興奮だった。もふもふした生き物が大好きらしい。
 僕らはゲッシ一家の屋台でおやつを買い、休憩をとった。
「午前中に、アルカ族の皆さんから、ショーディーくんがいかに頑張ってこられたかを聞きました。ご家族とも和解されたようで、とても嬉しく思います」
「えっ」
 びっくりして大福を齧るのをやめた僕は、隣でお茶をすする枡出さんを見上げた。
「私は、何もわかっていないまま、すべてを失いました。そして失ってもなお、しばらくはその原因が自分にあると、理解できなかったのです」
 枡出さんは教師として社会人を過ごしてきたが、夫や父親として家庭人を全うできたとは言えないと、力なく首を振った。
「息子と娘が……そうですね、ちょうど、金木さんや、亡くなる前の貴方と同じくらいでした。就職氷河期世代だったんですよ」
「ああ」
 それだけで、僕は何があったのか、だいたい察してしまった。
 いわゆる団塊の世代であり、バブル景気の恩恵を受けてきたうえに公務員の枡出さんは、『生活できるだけの給料を得られる仕事先がない』が、『健康被害が出るほどの長時間・重労働・ハラスメント環境で低賃金な仕事ならなくもない』という状況が、理解できなかったのだろう。
「リストラなんて言葉は、それまで聞いたこともありませんでした。しかし、勤め先が倒産したとか、生徒の保護者に、ちらほらとそういう方が現れ始めて、ようやくおかしな時代なのだと実感し始めました。気付くのが遅すぎましたがね」
 いまでこそ、リストラやレイオフなんて言葉も一般的になってきたが、当時はまだまだ終身雇用という形態が多く、企業側から解雇しにくい法律もあって、それなりの年齢の人が解雇されるなんて、警察のお世話になるなど、余程のことがなければなかった。だが、そうもいっていられないほど、あちこちで企業が規模を縮小し、あるいは貸し剥がしにあって一気に資金繰りが困難になるなどして倒産していたのだ。
 そんな冷え切った世情を肌に感じても、枡出さんはまだ自分の子供たちに、もっと頑張れ、努力が足りないと言ってしまったそうだ。
「大企業で新卒の採用がないのに、中小で採用枠があるはずがないんです。税金の無駄遣いだと言われて、公務員の枠もありません。みんなが必死で努力していたんです。仕事を選んでいるだなんて、とんでもない。なんの保障もないと、アルバイトや派遣を馬鹿にしていた私の方が、選んでいたんです」
「四大卒の無職がごろごろいて、コンビニのバイト枠を争っていた時代ですからね。僕の知り合いも、就職できたとしても心や身体を壊して、そのうちの何人かは亡くなりました」
 当時を思い出したのか、枡出さんは湯呑を置いて両手で顔を覆ってしまった。
「あの子たちのせいでは、なかったのに……私は……」
 啜り上げる様な後悔の呟きが、枡出さんがやらかしてしまった事の結果なのだろう。
 息子さんが自殺してしまい、奥さんは枡出さんと離婚して、同じく心を病んでしまった娘さんを連れて地元に帰ったそうだ。それからは、いっさい音信不通らしい。
「昨今、SNSが普及してきてから、ようやく、私がしたことが、叱咤激励ではなく、人を死なせるに値する、酷く暴力的なことだと理解しました。……なにが教師ですか。ええ、顔も本名もわからない誰かが言っていました。学校という場所しか知らない世間知らずだと。私に限って言えば、まったくそのとおりです」
 それは流石に言いすぎだとは思うけれど、そう取られても仕方がない教師がいないとも言いきれないのが、学校という閉じた社会なのかもしれない。
「私は、古い人間です。それに、余命もたいしたことはありません。私が死んだ後は、死体も魂も、検体としてさしあげます。まあ、内臓はすでに、アルコール漬けですが」
「枡出さん……」
 自嘲気味な微笑みが消え、教育者として他人の礎になることを選んだ人の顔があった。
「これが罪滅ぼしになるとは思えませんが、どうか、役に立ててください」
「……わかりました。感謝申し上げます」
 僕には、彼の覚悟を受け入れるほかない。それが、迷宮主たる僕の責任でもあるのだから。