051 初めての王都


 秋の内に地元を離れた僕は、順調に旅を続け、冬の寒さが厳しくなる前に、王都リーベを視界におさめた。
 あらためていうけれど、この世界の一年はおよそ473日で、一年を十二ヶ月で割っているので、一ヶ月が39日か40日になっている。四季のひとつも結構長いのだ。
「野盗に襲われること二回、地元権力者や衛兵に絡まれること五回、害獣に襲われること七回……。これじゃあ、旅をする人は大変だ」
「害獣はともかく、護衛がいないと、やっぱり軽く見られるのでしょうね」
「そうだねぇ」
 僕がいくら貴族籍を捨てる、公的に家名を名乗らないと言っていても、まだ手続きが終了していないし、目的地が母上の実家のマリュー家なので、僕の大山羊車にはブルネルティ家の小さな紋章旗が掲げられている。ところが、ブルネルティ家の家紋を掲げていたとしても、それを意に介さない連中の多いこと、多いこと。
「上様がこのような所におられるはずがない、であえであえー」
「なんですか?」
「ううん、ひとりごと」
 余の顔を見忘れたか、って言えない身分なので、無礼打ちとかできないもどかしさよ。まあ、成敗はしたけど。殺してはいない。
(賄賂を請求された時なんか、お前の領主はそんなに貧乏なのか、給料が上がるように王都で言いふらしてあげるね、って言っといたし)
 僕は執念深いのだ。そして正直者なので、有言実行するのだ。
「うふふふっ」
 手綱を握ったまま思わず笑みを漏らした僕を、隣に座っているハニシェがちらりと見下してきた。いかん、外にいるのに魔王モードになってしまった。
 旅の間、あまりにも暇だったので、僕はハニシェに大山羊車の運転を教わった。箱車の中でタブレット弄って作業しようとも思ったんだけど、当たり前のように酔ったので、早々に諦めた経緯がある。
(自分で乗り物を動かせるのはいいよね。この先も自由に旅ができる)
 問題は、こうして一緒に旅ができて、僕の秘密を守れる一般人が欲しいこと。
 この旅で痛感したけれど、やっぱり大人の男がいないと舐められる。武力で言ったら、僕ひとりで十分なんだけど、面倒な事に巻き込まれる回数が多すぎる。
(マル暴顔のおじさんか、チンピラ顔のお兄さんでもいいけど。僕を裏切らない、いい人。どこかに落ちてないかなぁ)
 そんなに都合よく事が運べば、僕の苦労はもうちょっと少ないんじゃないかなぁ、とセルフツッコミを入れておく。
 見渡す限りの平原に、土色の畑が広がっていて、すでに麦の作付けがされている。のんびりと街道を行く僕たちだが、行きかう人々の注目には、まだ少し慣れない。
「リーベが近づくほどに、僕ら目立ってるねえ」
「こんなに大きくて立派な大山羊車を持っている人なんて、そうそうおりませんもの」
 まわりに何もない田舎でもけっこう目立ったけど、都会に出てくるとまわりがこまごましすぎていて、相対的にエースが大きく見えるんだよなー。
「坊ちゃま、リーベの城門が見えてきましたよ」
「んー? 結構並んでるかな?」
 少し盛り上がった土地の上に、大きな城壁が建っている。そこへ、ようやくこの道が続いている門が見えてきたけれど、入場を待つ列が渋滞しているように見える。
「この山羊車にはブルネルティ家の紋がありますから、待たずに入れるはずですよ」
「また因縁付けられないといいけどなぁ」
「そうですねえ」
 なんか、この旅の間に毎度おなじみになってしまったので、ハニシェも苦笑うしかないみたいだ。
 無事に伯父上の家にたどり着けるといいなぁ。

 なんて心配は、杞憂に終わった。
 城門に冒険者ギルドの人が待っていて、僕たちを案内してくれた。
 行先は母上の実家なので、道順は僕の家から教えてもらっているけれど、案内人がいるのは心強い。
「ギルド長から、失礼のないようにと言われています」
「ポルトルルか!」
 ロロナ・ヨーガレイド元王女と一緒にアクルックスに来たポルトルルは、王都に戻ってギルド長の仕事に邁進しているようだ。
「伯父上の家には、冒険者に先触れをお願いしてあったけど……。ぼくらが今日来るって、よくわかったね」
「はは。冒険者は、あちこちにおりますので」
(なるほど。そこら中に目があるってことか)
 箱庭への出入りは気をつけていたけど、今後はもっと慎重になるべきかな?
「マリュー家の邸宅へご案内しますね」
「ありがとう!」
 立場上、僕が御者席にいるのはよろしくないので、僕は箱車の中に戻り、ハニシェと案内の冒険者が御者席に座った。
 王都の中も“障り”避けでひどい臭いだと予想していたんだけど、思ったほどではなかった。確かにくさいし、汚物がまったく落ちていないわけではないけれど、意外と掃除がされているように見えた。うんこの壁は見当たらない。
 ハニシェも不思議に思ったのか、冒険者に聞いている声が、王都の喧騒と大山羊車の音に紛れながら、箱車の中にいる僕にも聞こえてきた。
「ああ。来年、稀人様をお迎えする儀式があるっていうんで、街中に“障り”避けを出さないよう、お触れが出たんですよ」
(はーん、なるほどね)
 あんまりにも不潔だと、稀人が協力しなくなる可能性があるって、教皇国から指導が入っているんだろうな。
(とはいえ、処理能力が追い付かないだろうに。どこに捨てているんだろう?)
 埋めるにしても量が半端ないし、生活排水と一緒に川に流しているんだろうか? 下流で疫病発生してそうだな。
 リンベリュート王国は内陸国なので、水源となる川や湖はあっても、川が流れ込む海がない。隣国で合流する大河が海までつながっているそうだけれど、あまり深くは考えていないかもしれない。
(でもとりあえずは、兄上が悲しまなくてすむな)
 “障り”避けだらけのコロンの町で、あまりの臭さに王都に行きたくないと、切々とした声を出していたモンダート兄上だ。最悪な状態ではないことは、僕にとっても良いことだ。
「その代わりに、やっぱり害獣の発生が多くて……。俺たち冒険者は、休む暇もありませんよ」
「まあ、それは大変ですね」
 世間一般に、「“障り”避けがあると、害獣は地下から出てこない」と信じられているが、そんなことはない。“障り”避けには普通にハエやゴキブリがくっついていて、条件が満たされれば普通に害獣に変化する。そして単純な話、人間よりも安全な餌があればそちらに向かうし、“障り”避けが壁になって、害獣が隠れやすくなっているだけだ。
 その壁が取っ払われた状態なら、そりゃあ害獣が目につきやすくもなるだろう。
「“障り”避けを撤去する作業で害獣に襲われた人間が多いので、城壁近くの貧民街には近寄らない方がいいです」
「わかりました」
(あー、病気になったな)
 “障り”避けに触るような作業を、兵士がやるはずがない。彼らは監督するだけで、害獣駆除は冒険者が、それ以外の平民は家に閉じこもり、一番大変な作業はスラムの住人が施しと引き換えに請け負うのだ。
 貧しい人を気の毒には思うけど、僕が何とかしてあげるつもりはない。そもそも、地方の旗本次男坊なショーディーくんに、そんな権限はないしね。
(ただ、儀式に参加する兄上が逆恨みされたら嫌だな。まあ、兄上ひとりで暴徒なんか鎮圧できるだろうけど)
 アクルックス魔法学園に入った兄上は、一年足らずですごい成長をした。教諭陣がいいのはもちろんだけど、兄上自身が努力したからだ。がんばらないと死が待っているという、けっこうギリギリな事情があったせいだけど。
(あと、迷宮のごはんも良かったのかな。魔力たっぷりカツ丼定食が大好きだからな、兄上)
 最近は親子丼やステーキ丼なんかも好きで、よく食べているとか。兄上、野菜も食べてください。からしやワサビは香辛料であって、野菜に入りません。
「……」
 大山羊車の窓から眺める王都の大通りは、人が大勢行き来をしていて、とても賑やかだった。店舗にかけられたり外套だったり、織物も意外と色とりどりで華やかだ。平民でもそれなりに整った服装の者が多く見える。やはり、表通りと裏通りでは、かなり差があると予想された。
 建物の間の路地がかなり細いのに、大通りがこんなに広いのは、おそらくパレードのためだろう。建国以来、外征も侵略もなく、内戦にも王都から軍を派遣するという事はなかった。どちらかというと、王族の結婚とか、慶事でのパレードが多かったことだろう。
(稀人が来たら、やっぱりパレードするのかな)
 僕はちょっとげんなりした気分になってしまい、窓から少し離れて、深く座り直した。
 王城を中心に、三重の城壁に囲まれて、王都は成り立っている。
 僕たちの大山羊車は下町を抜けて、貴族やそれに次ぐ身分の人達が住む区画へと進んでいった。