050 怠惰のダンジョン
ショーディーが王都に向かうために、大山羊車に乗り込んでいた、その頃。 オフィスエリアの休憩用ラウンジのテーブル席で、カガミとダイモンとヒイラギとミヤモトが、向かい合ってコーヒーを飲んでいた。追加されたマッサージチェアには、アイマスクをしたイトウが横たわって、ぐぅいんぐぅいんと揉まれている。自宅用の部屋も用意してもらっているのだが、ほとんど 彼らのボスは、ただ働く為に創られた人形に過ぎないアルカ族たちに、非常に気を使い、こうして側近級には個別の要望すら叶えてくれている。イトウは遠慮せずに「これ欲しい」「あれ欲しい」と言うので、ショーディーもほいほい用意してしまうのだが、カガミなどはそんなに甘えられないと思ってしまう。 「いえ、ボスがそうあれと、我々を創られたのはわかっているのです。私も、遠慮するなと言われても、その……」 「カガミの性格は、ボスの記憶によるものですしねえ」 「ええ。……でも、あまり固辞してもいけませんね。気をつけるべきところです」 慰める様なダイモンの声音に、生真面目なカガミも恥ずかしそうに首をすくめる。 その時、ラウンジに最後の一人がやってきて、ヒイラギは彼の分もコーヒーを入れようと立ち上がりかけたが、手で制された。 「ボスは出立しましたか」 「はい。夕方には、またこちらに戻って来られるでしょう」 ハセガワの言う通り、ショーディーは冒険者ギルドのある町の宿に泊まる以外は、箱庭に戻ってくることになっている。 そもそも、特製の箱車を牽く大山羊のエースが大きすぎて、ハニシェ一人では十分な世話ができないのだ。 「またエースが大きくならないといいのですけれどね」 ミヤモトが冗談に聞こえないことを、苦笑いで言う。 ハセガワが自分の分の緑茶を淹れ、オレンジジュースの入ったグラスもいっしょに手に持って席に着くと、マッサージチェアからイトウも下りてきた。 「どうぞ」 「ありがと」 ショーディーの側近級アルカ族……かつて、善哉翔に関わった人間の姿を与えられた六人は、一堂に会すると、すっと表情を消した。それは、ショーディーには見せない顔たちだった。 「ヒイラギのおかげで、ショーディー・ブルネルティは両親と和解できました」 「孤高であるボスには必要ないかもしれませんが、しこりはない方がよいでしょう。将来的にも、生家との繋がりが無駄になることはないでしょうし」 六人のまとめ役でもあるハセガワが切り出すと、ヒイラギは何でもない事のように答えた。しかし他の四人は、その重要性に深く頷いた。 「ヒイラギは素直じゃないね。ボスには幸せになってもらいたいんだろう?」 ミヤモトの指摘に、ヒイラギは澄ました顔のまま。 「ボスがこの世界を、この世界の人間がお嫌いなのは、当然のことです。なんの了承も説明もなしに、強引に連れてこられたんですから」 「だからと言って、まったく心を許さないのでは、これからの人生、ただ生きているだけでも疲れてしまいます。特に、それが幼いうちの肉親ならば、なおのこと」 カガミは吐き捨てるように言い、ダイモンもふっくらした顔の中で目を細めた。 「ボスはさ、でも、ちゃんとバランスを取ろうとしているよ。うちらをうちらの姿で創ったんだから」 「あまり認めたがらないでしょうけれど、心細さは、あって当たり前だと思います」 冷めた目でオレンジジュースのストローを弄るイトウに、ミヤモトも同意する。 背筋を伸ばして湯飲みから茶をすすったハセガワは、どこか老成した武芸者のような、鋭い眼差しで一同を見渡した。 「そのとおり。私やダイモンなどは、安定や信頼、絶対に裏切らない忠誠心を欲してのことでしょう。イトウやヒイラギは、叡智を行使することの躊躇わなさ、弛まぬ活動、その力強さを求められた結果。なにより、カガミとミヤモトに込められた、起死回生の幸運と、そんな危機に追い込まれないための手数の多さ。これは、旦那様の恐怖と無念を源としています」 「ええ。私たちは、絶対に死んではならない」 「必ず、ボスと共に生きなくてはいけない。もちろん、心得ています」 キャリアウーマン然としたカガミは、情報収集と分析を担当し、ショーディーの遠くまで見える目と聞こえる耳である。動物たちに愛情を注ぎ、農夫になりたい研修生たちの指導をしているミヤモトは、この世界の自然と魔力の関係を解明して、弱点を探る使命を与えられている。 だがなにより、この それは、役割のためではなく、ショーディーの……もとい、善哉翔の精神に、多大なダメージを与えるからだ。 また、見逃してしまった。 また、間に合わなかった。 また、掴めなかった。 また、助けられなかった。 また…… そんな悲しい思いを、アルカ族が自分たちのボスにさせるわけにはいかない。 「カガミはオフィスや自宅のまわりから出ませんが、ミヤモトは迷宮内とはいえ、最近は人間も出入りするミモザに常駐しています。十分に気をつけるように」 「はい。シンに護衛要員を出してもらった方がいいでしょうか?」 アクルックスをルナティエが支配しているように、ミモザ内に関してはシンが全権を持っている。警備員の再配置や、護衛の派遣も思いのままだろう。 「そうですねぇ……。あまり目立っても人間から変に思われそうですし、警備員を増やすか、それ以外の方法もシンに考えさせなさい。もちろん、ミヤモトがこうしてほしいという意見があれば、それを盛り込んでもいいでしょう」 「了解しました」 ミヤモトだけでなく、ハセガワもミモザにあるショーディーの自宅に常駐している。ただ、生物研究や飼育関係に全振りしているミヤモトと違って、ハセガワには戦闘用のスキルが与えられている。万が一の時は、ミヤモトをオフィスエリアに逃がすために、ハセガワが盾になるだろう。 「何の手立ても持ちえなかった我々に、旦那様は手足を授けてくださいました。我々は、その御恩に報いねばなりません」 かつてシロがショーディーに言ったように、この世界の人間は、死んでから悔やみ、生きている人間たちが犯す間違いを、ただ見ているしかできないことを歯がゆく思い、この先にも手立てが無いことに絶望してきた。 過ちと罪を償うことができるのなら、絶望を希望に変えることができるのなら、どんな理不尽な命令にでも従うし、いくらでも魂を捧げるだろう。 「そう遠くないうちに、稀人様方を迷宮にお迎えすることになります。もし儀式が失敗なり中止になりしたとしても、王都におられる旦那様の周辺では、大小の問題が発生する可能性がありましょう。各人、気を引き締めて対応にあたりなさい」 ハセガワの檄に、他五人からきりりとした応答が発せられる。 全員が、己の為すべきことを為すために。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 昔々ある所に、アクルックスと言う名の魔法使いがおりました。 彼はとても偉大な魔法使いであり、様々な魔法を生み出し、富を築きました。 しかし、アクルックスの魔法は、普通の人には難しいものでもありました。 人々はアクルックスを称賛し、新しい魔法が出るたびにもてはやしました。 そして、期待しました。 次はもっと豊かになる、もっと強大な魔法を作るに違いない、と。 しかし、アクルックスは不満でした。 なぜならば、彼はただ、一人で静かに、魔法の研究をしていたかったのです。 アクルックスにとって、人々の声は、うるさい雑音でしかありませんでした。 「どうせあいつらは、俺の魔法にしか興味がないんだ。自分たちが便利になれば、俺の不自由さや迷惑など気にしないんだ」 うんざりしたアクルックスは、とうとう、それまでに得た莫大な富をつぎ込んでダンジョンを造り、その奥深くに構えた研究室に閉じこもってしまいました。 アクルックスがいなくなった世界は、火が消えたように寒々しくなりました。 アクルックスの魔法で飢饉を乗り越えることができなくなりました。 アクルックスの魔法で魔獣を退けてもらうことができなくなりました。 アクルックスの魔法で毎日楽しく暮らすことができなくなりました。 人々は困り果てましたが、アクルックスが戻ってくることはありませんでした。 人々が助けを求めたとしても、飢えと寒さで人々が死に絶えようとも、アクルックスは非情に拒絶しました。 人々は恨みがましくも、自分たちへの戒めも込めて、アクルックスが造ったそれを、【怠惰のダンジョン】と呼ぶようになりましたとさ。 グリモワール 「絵本:アクルックスのダンジョン」 より |