052 マリュー家
冒険者の案内でマリュー家の屋敷に到着すると、僕は冒険者に心付けを渡し、ポルトルルに礼を伝えてもらった。
「近いうちに挨拶に行くよ。冒険者ギルド本部って、どこにあるの?」 「中層の端です。いま通ってきた中層の門から、少し北に行ったところにありますよ」 「わかった、ありがとう」 冒険者と別れると、僕らはエースの大きさにびっくりしている門番たちに門を開けさせ、マリュー家の邸宅へと進んでいった。 小ぢんまりとしつつも、手入れのいき届いた前庭はさっぱりとしていて、エントランスポーチまで特に遮られることなく到着した。……いや、到着してしまった。 「……?」 「誰も出てこないね?」 「入る場所を間違えたのでしょうか?」 しーんとした沈黙の出迎えに、ハニシェはおろおろとしはじめてしまった。 「まさか。さっき門番が走っていったし、すぐに誰かくるでしょ」 僕はそう言って山羊車から降りる準備をしたけれど、いっこうにエントランスが開かない。なんか、建物の奥で声がするけど、全然こっちに来る気配がない。 「……」 「ぼ、坊ちゃま!?」 「ぼくねー、父上譲りで、気が短いんだー」 「棒読みで言わないでくださいませ!?」 客の出迎えもせんとは、なんたる無礼。母上なら激怒するだろう。ってゆーか、ここ、母上の実家だよねえ? 僕はエースの箱車から飛び降りると、ずかずかと両開きのドアに手をかけた。 「たーのもーッ!!」 なんか、めきゃめきゃって音がしたけど、たぶん気のせい、気のせい。この世界の建具がちょっと脆いのは知っているけど、きっと気のせい、気のせい。かんぬき? ちょっと知らない子ですね。 「こんにちはー!」 元気な声でご挨拶できるショーディーくんは、とてもえらい子です。 (わあ、よそのお屋敷って、はじめて入ったけど、 冬用の絨毯が敷かれているけれど、覆われていない所に見える床材には、研磨した色石で模様が描かれていた。柱や階段の手すりといった木の部分は、あちこちに彫刻がされて、滑らかに磨かれている。 (でも、ちょっと、埃っぽい? お出迎えの準備もないし、暗いな?) 来客があるとわかっていれば、冬でも花瓶に花がいけられているものだし、自然光以外に明かりがない。 「……おお」 見上げると、灯りが燈されていないシャンデリアが下がっているアーチ型の高い天井には、リブの間に繊細なタッチで天空の絵が描かれていた。ロココというよりも、ねずみーらんどとか、そういう系統のファンタジータッチだな。華やかではあるけれど、僕の好みからすると重厚さに欠ける。 ブルネルティ家の城館は、地方の行政拠点でもあり、軍事拠点でもあるから、華やかさよりも武骨な雰囲気なのは仕方がない。それに、王都の屋敷って見栄の張り合いなことをしなきゃいけないことを考えると、マリュー家の内装では、これでもまだ地味な部類に入るのかもしれない。 「な……こ、これは……」 バタバタと現れたのは、マリュー家の家令らしき男と、衛兵が二人。かんぬきが壊れた玄関ドアと、両手を腰に当てて立っている僕を交互に見て、ぽかんとしている。 そして、あろうことか、僕に向かって剣の柄に手をかけた。 「何者だ!?」 「……マナーに厳しい母上のご実家だからと思っていたのに、家人はずいぶん無礼だな。伯父上にご挨拶申し上げたいのだが?」 「おじ……?」 「はは……え?」 やはり、ぽかんと固まる衛兵たち。なんだろうね、この家の人達は。 呆れた僕の顔がさらに渋くなると、家令と思われる男が衛兵たちを下がらせた。 「恐れ入りますが、お名前を窺ってもよろしいでしょうか?」 本気で、この人たちは僕が来るのを知らなかったんだろうか。僕は毛織のマントを跳ね上げ、いっそ慇懃なほどに完璧な礼をしてみせた。 「ベルワイス・ブルネルティとフォニアが第三子、ショーディー・ブルネルティである。この家の者は、当主の妹の子に対し、ずいぶん権高であるな」 「まさか、本当に……」 家令ですら、この様子だと、本当に話が行っていなかったか、冗談だと思われていた可能性がある。僕はため息をついて、首をゴリゴリと回した。 「あー……とりあえず、話をすり合わせようか?」 「大変、ご無礼をいたしました。まことに、申し訳ございません」 大山羊車とエースを任せ、ハニシェと一緒に荷物を下ろしてもらうよう指示を出す。慌ただしく客間が用意されている間に、応接室に通された僕は、マリュー家の家令であるネロスもソファに座らせ、「こういう話になっているはず」ということを話して聞かせた。 「ええ、モンダートさまが来年王都に来るらしい、という話は伺っています。冒険者ギルドから、ショーディーさまがこちらに向かっているという先触れはありましたが、まさか本当にメイドと二人だけで来るとは思わず、てっきり、ベルワイスさまやモンダートさまと御一緒で、使用人たちと共に、どこかに屋敷を借り切るものだとばかり……」 まあ、普通はそう思うよね。僕、まだ六歳だし。 だけど、普通じゃないから、父上と母上は、便宜を図ってもらえるよう、前もって伯父上に報せを出したのであって……。 「伯父上は、なんて言っているの?」 「それが……旦那様は、こちらの屋敷に戻られないのです」 「は?」 なんて? と僕の頭の中が一瞬白紙になった。 「それは……お仕事で、どこかに詰められているとか?」 「いえ、その……」 ネロスの言い淀み方にピンときた僕は、嫌々ながらその可能性を口に出した。 「囲っている愛人の家に入り浸っている、とか?」 「……はい」 そりゃ子供の僕には言いにくいよねー。ネロスも大変だ。 「なるほど。それで、連携がうまく取れていないのか、丸投げされているのか知らないけれど、こういう事態になったと。それならそれで、本邸のことは、夫人である伯母上が仕切られているのではないのか?」 そもそも、家政は女主人が仕切るのが通例だ。夫がいないならなおさら、客人のもてなしなどは、夫人が率先してこなさなければならない。それも社交の一環であるはずだ。 「それが……この家の女主人は、大奥様だとおっしゃられて、奥様はお子様たちとしか関わろうと致しません」 「はぁ?」 本当に、なんなの、この家の人達は。(本日二回目) 上がこの調子では、下の統制が取れないのも当然かもしれない。 「じゃあ、さっき門番が報せに行ったのは?」 「奥様の方です。その後で、私の方にも報せが参りまして……お出迎えもせず、まことに申し訳ありませんでした」 「ああ、はい……」 「ブルネルティ家からの報せも、旦那様のところに行ったままか、奥様のところに行って握りつぶされたか……。私どもには、断片的な、噂と大差ない情報しか来ないのです」 伯父上は浮気をして家に帰らず、伯母上は浮気している夫の家のことなんか放棄している、と。それならそれで、情報を全部ネロスによこしていれば、少なくとも僕がエントランスのかんぬきを壊す事態にはならなかったはずだ。 (ダメダメじゃねーか。変なプライドがあるのか、責任感がないのか、そもそも仕事ができないのか……どれもか) 家出したらミュースター村で災難に遭った時の二の舞と言うか、どうして僕の行先では、ろくな受け入れ態勢ができていないのだろうか。 「わかった。元々、王都での活動拠点を作るまでの間だけ、伯父上のお世話になる予定だったし、明日からでも、借りられる屋敷を探しに行ってくるよ。人を呼ぶのは、伯母上がいい顔されないだろう。王都の不動産関係を扱っているのは、商業ギルドかな? 案内人をつけてくれ」 「かしこまりました」 これで、とりあえずの話のすり合わせは完了だ。 「では、父上たちから伯父上へのお手紙は……任せて大丈夫だろうか?」 「必ず、手渡しさせていただきます」 当主が空けている家で逗留するのも、居心地が悪いものだ。伯母上や従兄弟たちからも歓迎されてなさそうだし、さっさと退散するとしよう。 でも、その前に……。 「あの、おばあ様にご挨拶することはできるだろうか? お加減が悪いようなら、無理にとは言わないが」 その時のネロスの表情の変わり方は、ちょっとこちらが驚くほどだった。 「ええ、ぜひ! もちろんでございますとも。最近はぼんやりされることも多くなってしまいましたが、大奥様もお喜びになるでしょう」 どうやら、おばあ様だけは、僕を歓迎してくれそうだ。 |