番外 麻が夢見るスパンコール・後編 −水渓大


 その夜、「ひのもと町」駅前の下町区側にある居酒屋にて、三人の男が額を寄せ合うようにテーブルを囲んでいた。
「……で、ドレスを分解して調べてみたんだけど、レエスや刺繍や織り目のパターンに見覚えがあってね。アタシ達より前に来た日本人の影響が、けっこうあるみたい。こう、『これがこの世界のデザイン!』とか『初めて見た!』って感じがしないのよ」
「なるほど。地域特色が出ない代わりに、継承が途切れたり国が滅んだりしても、教皇国モトジメから供給されるのか」
「知識と一口に言っても、デザイン文化まで握られているのですね。地域の信仰どころか、ゲン担ぎや見立て・・・すら許されないと聞いていましたが、グルメニア教の支配は、かなり広くて根深いですね」
 大がビールのグラスを片手に情報を共有していたのは、金木琢磨、枡出和久の二人。
「しかし、いままで押し付けられていた稀人の知識を元にした物を、迷宮産の品が塗りつぶせるっていうのは、実際いいやり方だと思うぜ」
「教皇国から与えられるのではなく、自分たちで発見・・するのですからね。競争は激しくなるでしょうが、大きな費用を払って稀人を召喚しようという風潮は減るはずです」
「アタシもそう思うわ。そのためにも、魅力的なものを、どんどん迷宮から出していかなくちゃ」
 気勢を吐いて大は鶏の竜田揚げに箸を伸ばしたが、斜め向かいでタコワサをつつきながら日本酒をちびりとやっている枡出から、生温かい視線を向けられた。
「それで、なにをお悩みですか?」
「んぶッ!?」
 竜田揚げを噴き出しかけて慌てる大を、金木も枝豆をプチプチ食べながら見ている。
「見りゃわかんだよ、若人よ」
「ごほっ。若人っつっても、アタシもうすぐ三十なんですけど!?」
「お兄さんで通用する年齢。ピチピチでいいじゃねーか。俺なんか彼女欲しいって言いつつ、そろそろ五十だぞ。もう枯れるわ」
「それは、ご愁傷様」
「ちーくーしょー。あっ、すんませーん。緑茶ハイください!」
 はーい、という店員の返事を背中に聞きながら、大は今夜は飲みすぎないようにと自戒して背筋を伸ばした。
「悩んでるっていうか、素材のことよ。ファスナーとかゴムとか化繊とか、使えないじゃない?」
「ん? 金属かプラスチックか、という事でしょうか? 化繊というと、ナイロンとかのことですか?」
「パンツのゴムに使ってるじゃねーか?」
 きょとんとして顔を上げる枡出と金木に、大は眉間にしわを寄せた。
「ショーディーちゃんの依頼とか、ひのもと町で使う物だったら、アタシがタブレットで資材を取り寄せて作ってるの。だけど、この世界の人間が使うとなると、オーバーテクノロジーだし、再現不可能じゃない」
 ひのもと町に住むことになった時に、ショーディーから支給されたタブレットを使い、大は地球にあった布地や資材を出現させていた。だが、同じ形の小さな部品を大量生産する技術も、石油を採掘して精製する技術も、硬い樹脂を伸縮性のある薄いゴムに加工する技術も、この世界にはまだ存在しない。
 稀人の知識として、この世界の人間に広めるためには、再現性のある技術でないといけないのだ。
 しかし、そんな大の思い込みを、金木は緑茶ハイを受け取りながら、あっけらかんと否定した。
「え、別によくね?」
「なんでよ!?」
「迷宮産だから、で説明つくし? 結果品をぽんと出すだけで、あとはお前らががんばってここにたどり着けよ、でいいじゃん」
 ね、と金木が隣に座る枡出に同意を求めると、驚いたことに枡出も頷いた。
「そもそも、技術と言うのは、各分野での成果が積み上がり、それらを横断して、また相互に影響を与えながら、進歩していくものです。いくら私たちが迷宮の内側から気を使ったとしても、この世界の人間が、それぞれの分野で考えて進まなくてはいけません」
 迷宮から出てくる物は、ひとつの完成品、ひとつの到達点。たくさんある内の、ひとつの答え、でいい。
 枡出と金木は、そう考えているようだ。
「そこに行きつくまでの試行錯誤をこの世界の人間にさせることで、結果的に、この世界独自の技術が生まれる。これこそが、我々が期待すべきことではないでしょうか」
「地球と同じでなくていいんだよ。なにしろ、この世界には魔法があるからな。どうせ、迷宮産品を世界中に行き渡らせるなんてできねーんだ。それっぽい物を、迷宮の外でも作れるようになればいい。だけど、そこまで俺たちがやってやる必要はねえ」
「そもそも、地球とは環境が違うのですから、地球基準の度量衡や定義があまり通用しないのです。こちらがいくら提供しても、正確に再現することは不可能ですよ」
「そういうこった。特に、ドレスみたいな一点物は、振り切れちまっていいんじゃねーの? 知識として広めるのは、それこそ丈夫な縫い合わせ方とか、模様編みの技法とか、そういうのでいいと思うけどな」
 二人には「肩の力を抜け」と笑われるが、大は自分が悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなって落ち込みそうだった。
「はぁ〜。なによもぅ……。ショーディーちゃんが石油原料製品は作れないって言ってたの、真に受けすぎていたわ」
「迷宮都市のファミレス行ったか? あそこのソファだって、ウレタン入っているような感触だったじゃねーか。店員の制服にもファスナー付いていたしよ」
「そぉうよぉ〜。この世界では作れないってだけで、ひのもと町ではビニールもポリエチレンもプラスチックも普通に使い捨てできていたわ」
「迷宮の魔力って、凄いですねえ」
 魔力で作り、捨てたら魔力に還る。究極的にエコロジカルなエネルギーだ。
「まあ、そもそもだ。ショーディーが言っていたが、俺たちはこの世界に対して、貸しはあっても責任はない。自由にやれ、ってさ」
「おーけー。完全に理解したわ」
 大の中で、これまでに悩んでいたものが無くなり、自分の全力を出してやろうという気持ちが沸き上がった。多少、アルコールの勢いもあったかもしれない。
「うむ。悩みが晴れて、よかったですね」
「もっと頼れよ、兄弟」
 金木のそれは、何気ない言い回しに過ぎなかっただろう。だが、大の心には深く響いた。
 父は言わずもがな、母も父の同類だったし、四つ年下の弟に八つ当たりなんてできない。地元に頼れる者も理解者もいない中、弱音がこぼれ出そうな口をつぐんで、ずっと一人で耐えてきた。
 生活費と授業料を稼ぐために、最初は自衛隊に入ろうかと思っていたが、あの両親が大を連れ戻すために活動家たちの中にいたらと思うと、羞恥と恐怖で顔面の温度が乱高下しそうな気分を味わった。まわりには絶対に迷惑をかけられないと思い、自分の痕跡を隠すために、しばらくは全国の夜の町を転々として過ごした。
 飲み屋で働き、親切にしてくれたママ(♂)やオネエたちもいたけれど、大人の世界では誰しもが己の傷と孤独を抱えて生きていた。大人とは、そういう生き物なのだから、子供の内に吐き出し方や治し方、護り方を学んでおくべきなのだと言われても、大にはもう手遅れだった。
 やっと服飾の専門学校に入れても、まわりは年下ばかりな上に、小さい頃から様々な美意識に触れていた者のセンスには敵わない。大が努力を積み重ねても、どこか古臭いとか、お水っぽいという評価が付きがちだった。
 なんとか就職はできたが、なにかと邪険にされるような、陰湿な空気を感じており、このまま続けていけるか気持ちが揺らいでいた。
 誰にも相談できないまま、自分の居場所を探して、歩き続けてきた。
「アタシ、長子で……頼れる兄貴がいなかったのよね。親父は暴力ふるう奴だったし」
「マジかよ。若いのに苦労してんだな。いや、こんだけ真面目なら、苦労も抱え込むか。まあ、もう大丈夫だ! この世界に来た時点で、俺たちは運命共同体みたいなもんだ。つまり、ファミリーだな!」
「ふふっ、迷宮のショーディー一味ですか。ピカレスクみたいで、いいですね」
「おっ、さすが枡出さん。わかってるねぇ」
 悪乗りが好きそうな金木であるけれど、大はその荒波に乗ることにした。
 涙をぬぐった頬が熱かったのは、きっと追加で頼んだウーロンハイのせいだろう。

「あはぁ〜ん、せぇかいがぁ、まぁわるわぁ〜〜! う゛ぉ……」
「もう、世話の焼けるバブちゃんだなぁ……」
 結局飲みすぎた大が、自宅でイツヤに介抱されるのは、もはや疑いもない。
「やっぱり、二日酔いを治す実験に登録しようか」
「おっけぇよぉ〜ん! あはははは!」


 その後、『栄耀都市カペラ』を中心に、サキュバス型アルカ族の標準装備が「Martha」のドレスになったのは、有名な話だ。
 大が作った服を、悪魔や魔物がモデルになったアルカ族が装備すると、なぜか勝手に魅了効果や毒耐性が付くので、ショーディー共々首を傾げることになる。
「おかしいわね、【付与魔法】は使っていないのに……」
「んー……まあ、悪くはないので、このままでいいんじゃないですかね」

 大のクラスが、漁師フィッシャーから魔装仕立師エンチャントテイラーに変化していたことが判明するのは、それから少し先の話である。