番外 麻が夢見るスパンコール・中編 −水渓大


「あぁ〜、もぉぅ〜」
「はいはい、世話の焼けるバブちゃんだね」
 二日酔いの頭痛に唸る大の前に、シジミの味噌汁と梅肉を混ぜた小さな俵むすびが出される。
「そんなに飲んだの? 帰ってきた時は、たいして酔っぱらってたように見えなかったけど」
「ビール二杯とハイボール四杯しか飲んでないわよ。気持ち良く飲む気分とコンディションじゃなかっただけ〜。飲まずにはいられなかったんですぅ」
「はいはい。お茶どうぞ」
「あんがと」
 味噌汁を飲み干し、もそもそと俵むすびを齧る大の前で緑茶を淹れてくれたのは、豊かな長い黒髪を背中でくくり、エプロンをかけた色白の美人。ただし、大と同じくらい体格のいい男だ。
 これには、大が前後不覚になった時に、大を運べるだけの体格とパワーが要求されるという、実に合理的な理由があった。大が泥酔しなければいいだけの話なのだが、過去に度々「やってらんないわよ!」と弾けて砕け散り、翌朝に屍をさらした経験が、お世話係の要求体格に反映された形だ。
 彼の識別番号は『TSタウンサービス.00158c1』。大は『イツヤ』と名付けたが、ホストの源氏名みたいなのは否めない。家事全般とスケジュール管理が担当で、大の仕事のマネージャーとの連携もされている。体調不良で午前の仕事をキャンセルする連絡を入れたのもイツヤだ。
 イツヤが体格のわりに中性的な美貌を持っているのは、単に大が「毎日見るならマッシブな女やむさ苦しい男よりは、綺麗な顔の男がいい」としたからだ。
 大は女っぽい話し方や仕草はするが、自分は男性だと自認しているし、恋愛対象は異性だ。暴力的な父親を見てきたせいで、周囲に対して自分は脅威ではないとアピールするためのオネエ仕草だったが、十年も続けていたら抜けなくなったにすぎない。
 もっとも、綺麗な装いをして、それに相応しい立ち振る舞いをしたいという欲求は、昔から少しも変わらないのだが。
「二日酔いも、魔法でなんとかなんないかしら」
「マサルも人体実験に参加する?」
「治験とか先進医療って言いなさいよ。怖いわね」
 すでにアルコール依存症の枡出和久が、稀人の継続医療のデータ採取に協力していたはずだ。
 イツヤが人体実験と言ったのは、それがほぼ手探りの状態であり、稀人ではなくこの世界の人間が検体であるならば、間違いなく人体実験と言える手法をショーディーが採っているからだ。
「ごちそうさま。仕事に行くわ」
「もう少し休んでいけば? 最近、働きすぎだろ」
「土日はちゃんと休んでるわよ」
「土日にデザイン画描いているのは趣味?」
「そっ。趣味ヨ」
 呆れたように首を振るイツヤに、大は力なく微笑んで首筋やこめかみを揉んだ。自分のデスクの前に座る頃には、頭痛もあらかた治まるだろう。

 秋物コートの裾をひるがえしながら、大は仕事場オフィスへ足早に入った。
「おはよー。ごめんねぇ」
「おはようございます、マサル社長」
「「「「「「「グッモーニン!!」」」」」」」
 出迎えたのは柔らかな印象の若い女性と、小さなおっさんたち。その様子は、まるで白雪姫と七人の小人のようだ。
 女性のアルカ族はブランシュという名前で、まだ高校生くらいに見えるが、大のブランド「Marthaマーサ」の縫製部門を一手にまとめている、優秀な部長だ。
 小さいおっさんたちはレプラコーン型のアルカ族で、身長はショーディーくらい……つまり、小学校低学年生くらいしかない。しかし、大がデザインした大抵の服を縫い上げてしまうツワモノどもだ。特に、靴の縫製はお手の物で、革靴やハイヒールどころか、スポーツシューズまで、見よう見まねで作り上げてしまったほどだ。
 ただ、素材に関しては制限があるため、日本にあったものほどの性能はない。この素材に関しては、大の悩みの種でもある。
「秋冬のコート類と、セーターの試作が出来上がっていますので、チェックお願いします」
「わかったわ」
 小さいおっさんたちがワラワラと服とトルソーを用意しに行っている間に、ブランシュは言伝メッセージがあると大に伝えた。
「えっ、もうその話ショーディーちゃんに行ってるの!?」
「そのようです。受け取り窓口として、現在ガイが出向いています」
 ガイは大が迷宮都市に行く時の護衛と、素材仕入れの担当をしているアルカ族だ。大の仕事のマネジメントもしており、イツヤが家令ならガイは秘書のような存在だ。
 『栄耀都市カペラ』にて、大はショーディーの伯父ルジェーロと話す機会があった。
 その時に、迷宮の外の、現在の上流階級の服飾事情が知りたい、本物が手に入ればとぼやいたのだ。そうしたら、ルジェーロが中古でよければと、大量の服を用意してくれたらしい。
 しかし、ルジェーロがいるのはリンベリュートの王都であり、迷宮との行き来はショーディーに頼まなければ時間がかかるものだ。ショーディー自身も忙しく動いているので、ちょっとしたボヤキが迷惑をかけたかと、申し訳なくなった。
「むこうとこちらでは時間差がありますが、早ければ明後日には持ち込まれると思います。それまでに、倉庫の準備をしておいた方がよろしいかと」
「そうね。どのくらい来るのかしら……」
 とりあえず、大は会議室一部屋分のスペースをまるごと空けて待ち構えた。

 ところが三日後には、小さな体育館くらいは必要だったのではないかと思うほどの、ドレスや靴や装飾品が送られてきた。
「えええぇ〜!?」
「いやぁ、すごいね。これはたしかに、伯父上も処分に困るはずだ」
 運び込まれる行李や箱の多さに、目をむいて叫び声をあげる大の横で、ショーディーがあっはっはと笑っている。
 急遽、ショーディーが大のオフィスが入っているビルの、まるごとワンフロアをホールのような倉庫に改装してくれた。そうでなければ、すべてを運び込むことは難しかっただろう。
「これたぶん、全部伯母上と僕の従兄弟の服だね。「ひのもと町」に持ち込む前にクリーニングして、除染は済ませたから、水渓さんが触っても安全だよ。分解したり、リメイクして迷宮都市で売ったりしてくれても構わないです」
「そ、そうなの……? いいの?」
「うん。大丈夫、大丈夫。もう離婚してるし、伯父上の家にあっても邪魔だったんでしょ」
 ショーディーは大の判断で売って問題ないと言ってくれるが、この世界ではまだ布や衣服は高価であり、ドレスともなれば、その価格は天井知らずにちがいない。素材の代金としていくら払えばいいかと大が聞いたら、ショーディーはふむと腕を組んだ。
「買取りなら僕が伯父上と交渉するけど、伯父上はお金にあんまり興味ないからなぁ。この服も、処分したいけど、量が多すぎて買い取り業者が付かない状態だったみたいだし」
 しかし、タダでこんなにたくさん貰うわけにはいかないと、大も粘った。どうやってお礼をすればいいのかもわからないのに、対価すら払えないのは、大の良心が咎めるのだ。
「うーん、それじゃあ、うちのダイモンに王国ゼルジで試算させるから、迷宮エンに換算した金額を水渓さんが払ってください。アクセサリーは琢磨も見たがるだろうから、あいつにも払わせます。それを伯父上の探索者口座に入れておけば、伯父上が迷宮都市に来た時に、ちょっとお小遣いがある状態になるかも」
「そうしてもらえると嬉しいわ。ありがとう、ショーディーちゃん」
「どういたしまして」
 ショーディーが言うには、これらのドレスやアクセサリーは、せいぜい上の下くらいのランクであり、王侯貴族が正式な場で着用する物ではないとのことだった。
「けっこういい物だと思うけど?」
「官僚の給料で遊び好きな妻が夜会に着ていくドレスですよ? オートクチュールに比べられる品格ではありませんって」
「あぁ……なるほどね」
 この世界の庶民からしたら夢のような服装だが、上流階級ではさらに上があるという事だ。
「僕の侍女に買ってあげた外出着の方が、品がいいと思うな。あれたぶん、貴族令嬢からの払い下げ品だし」
「貴族は、ここにあるようなドレスは着ないのね?」
「着なくはないと思いますけど、もう少し貞淑さ・・・があるドレスを好むんじゃないでしょうか」
 ショーディーの言い回しに、一部箱から出してハンガーにかけられたドレスを広げて見て、大は言いたいことを察した。
「んんー、なんて言うか、なんて言うか……。大人の女性が着るには、テイストが子供っぽいかしら? その割に、なんだか襟ぐりが広いし……」
 思わず、夢ロリ風バーメイドドレスという、どこを目指しているのかわからない単語が大の中に浮かぶ。
 一言でいえば、趣味に走りすぎているのだ。クラシックともモダンとも言い難く、そういう盛りに重きを置いたジャンル、と言うべきだろうか。気心が知れた友人同士で遊びに行くならいいかもしれないが、社交を目的とするなら控えた方がいいかもしれない。ぶっちゃけ、お上品とかお清楚などとは言い難いデザインだった。
 着る人を選びそうだし、大なら既製品としては避け、流行や注文がなければ作らないだろう。
「ショーディーちゃんの言うとおり、これはリメイクのしがいがありそうだわ」
「ははっ。今度、隠し撮りしたパーティーの映像を持ってきますよ。それから、各国のマナーが記されたグリモワールには、その国のタブーとかどういう所に羞恥を感じるのかも書いてあると思うので、参考にしてください」
「そういう情報、嬉しい! ありがとう!」
 大の腕がショーディーの細っこい体を抱きしめると、グエッと潰れた声が聞こえたような気がした。