189 二度と繰り返さないために


 リンベリュート王城の敷地の中に、かつて稀人館と呼ばれていた建物がある。召喚された稀人の内、霞賀剛志、竹柴純心、山西晴翔、沙灘優子の四人が、数ヶ月の間居住していた場所だ。
 現在のそこには、本来住むはずだった稀人はおらず、国王とその息子王子三人が、囚人のように押し込まれていた。王妃ロサリアも、本来なら同じ場所にいるべきなのだが、マナ王太子妃をかばっていたという事情により、本来の自室に謹慎という軽い処遇になっていた。
「いまさら陛下に、稀人様がたの事情やお気持ちをお考えください、とは申しません。ですがすでに、知らなかった、では済まない事態のです」
「……」
 公方家当主ラムズス・ヨーガレイドは、呆れや苛立ちといった感情を腹の底に押し込めて、話を聞いているのか反応の鈍い国王の前にいた。
「別に、自分は悪くないと思っていてもいいのよ。国王としてやれることをした、それだけですもの。結果はどうあれ、ね」
 むしろ、ロロナ・ヨーガレイドの冷笑を含んだ物言いの方が、実兄の神経を逆撫でることで、反応を引き出したのかもしれない。
 王座を追われたリンベリュート国王ゼーベルトは、自分が用意した稀人館にて、すでに半年近くの幽閉生活を送っていた。
「お前のような犠牲を出さないためだ」
「お兄様のお考えだとしても、わたくしのせいにしないでくださいな」
「稀人の召喚儀式をしたのは、わが国だけではないだろう」
「ええ、そうですね。ですが、ニーザルディアを滅ぼした教皇国のたくらみのままに踊ったのは、三国の内で我が国だけですわ」
「知らなかったのだ! 誰も! エル・ニーザルディアも、オルコラルトも、そうであろうが!」
 ロロナの容赦ない指摘に、ゼーベルトは苦々しく吐き捨てた。
 かつて祖国を滅ぼした敵と知らずに、恩恵にありつけると安易に近付いた愚か者。それが、ゼーベルト王の評価となっていた。
「それが事実だとしても、この国の失態は覆りません。それとも、これ以上醜態をさらして、まだ悪評を重ねます? 潔くご退位いただいたからこそ、現在のリンベリュート王国は迷宮先進国として、三国でも埋もれない立ち位置にいるのですわ」
「……」
 実際は、なにも潔くはなく、ほぼ無理やりこの稀人館に押し込めて、孫にあたるエメレンス王子を即位させたのだが。
「わしに、どうしろというのだ」
「三つの道がございます。召喚儀式を行った責任者として、御自らの足で処刑台に登ること。この稀人館で残りの生涯を過ごされること。旧ニーザルディア領にある、かつてのリンベリュート家所領の再開発に行くこと」
 ラムズスの提示した道は、どれも厳しいものだった。しかし、ゼーベルト目はそれ以外の方法を探して彷徨う。
「ああ、迷宮に逃げ込むのは、およしになった方がいいわ。斬首が慈悲深く感じるほどの目に合うでしょうからね」
 兄の往生際の悪さを察したロロナは、きっぱりと告げた。
「どういう意味だ」
「迷宮都市は、稀人様を深く敬愛しているの。その稀人様を、長く生きられないと知っていて召喚した国の王を、むざむざ生かしておくわけがないでしょう? わたくしが無事だったのは、召喚に関与していなかったことと、保護の対価を持ち込んだからよ。あとは……今日の状況を、予測したからでしょうね」
 皮肉げな微笑を頬に浮かべたロロナは、稀人を知識の供給源としか考えていないグルメニア教の僧侶が入場できないこと、迷宮のルールに従わずに処刑された者がダンジョンでモンスターになっていることを、あらためてゼーベルトに教えた。
「おわかりになりまして? 迷宮都市でお兄様が亡くなられたなら、きっと永遠にダンジョンのモンスターとして使役され続けることでしょうよ」
「そんな馬鹿なことがあってたまるか」
「そう思うのなら、どうぞご自由に。わたくしは止めましたからね」
「……」
 その後、ゼーベルト王はラムズスの勧めにより、示された二番目の道、生涯の幽閉を選択した。
 その実が、国王として人生を捧げた見返り、歴史に名を残さんと欲しての、実績や利益を見越してのことだったとしても、あくまで民を思っての召喚儀式の召致だった、と公式にはされたのだ。
 しかし、彼の三人の息子たちは、父王とは別の道を歩むことになる。

 同時刻、別室にて。
 王太子を廃されたラディスタは、面会に来た妻と舅に対して、相変わらず高圧的だった。
「逆賊の言など、私が耳を傾けると思ったか!」
 最初から情など冷え切っていたマナではあるが、息子の一応の父親として譲歩を考えていた。
 ディオルドも、年長者として言葉を尽くしたつもりだ。
 しかし、どうにも妥協点が見えなかった。
「足を引っ張るばかりで成果も出さない役立たずが、なんとか男児を生んだかと思えば、この始末だ。最初から王位を狙っていたのであろう」
「混乱に任せて、理に合わんことをおっしゃりますな、殿下。娘を殿下の妃にと推挙したのは宰相ですし、何もしなくとも、娘は国母になりまする。今回のことは、召喚儀式に関して、外聞が悪いことのけじめとしての処置にすぎません」
 それからも、責任を取るのはゼーベルト王だけでよかったか、ラディスタが処罰されるならマナも同罪だとか、色々ごねてはいたものの、結局はマナの実家であるトートラス家の陰謀であるというところから動かず、平行線のままだった。
「……殿下、べつに殿下は罪人として裁かれるのではありません」
 業を煮やしたというよりも、むしろ穏やかな微笑みを湛えて、マナはそう切り出した。
「ニーザルディア時代にリンベリュート家が所有していた領地が、三国の協議の末に、このたび我が国の所領となりました。ラディスタ様が領地経営を含む国政を担う者として優秀であることは、誰もが知っていることでございますから、あらたな領地の監督に、王族として向かわれてはいかがでしょう?」
 その言葉に、ラディスタは王都から出て行けと言うのか、と言いかけたが、続くマナの言葉に思いとどまった。
「これは国策でもありますので、きちんと予算が組まれ、支援も出ます。もちろん、殿下を支持してくださっている諸侯のお力添えを、わたくしたちが阻害することもありません。殿下が治めてくださるのなら、その地は無税になりますし……」
 今回の簒奪騒ぎで凋落した宰相家は元より、ダンジョンを有さなかったばかりに斜陽へ足を突っ込んでいる諸侯は多い。それらをまとめて、手付かずの、しかも税金を取られることのない領地へ行けるのならば、これはラディスタにとって捲土重来の足掛かりになりうる。
 場所はかつてのリンベリュート家領地であり、かの地の資料や記録は残っている。まったく知らない場所、資源のありかがわからない場所へ行くのではないのだ。しかも、その地にはダンジョンがあるかもしれない上に、本土からの支援も出る。
「……いいだろう。祖先が護ってきたリンベリュート家の土地ならば、王家の者が行く理由になる。それに……あー、オイルバーやザナッシュでは、心許ないからな」
「ご心労をおかけいたします」
 下の兄弟、特に末のザナッシュは、ラディスタ以上に諸侯に取り入るのが上手い。この機を逃して弟に出し抜かれるよりは、自力で開発に携わった方がマシだと判断した。
 こうして、ラディスタ元王太子は、二人の弟を遠ざけ、十分な準備をしてから、旧リンベリュート家領地を目指して出発することになった。

 なお、王都を去る兄から「幼い甥でもできたのだから、迷宮を味方に付けろ」と誘導されたオイルバーとザナッシュは、カリード・ヘレナリオを真似て迷宮都市へ向かったが、その後の消息は不明である。
 リンベリュート王室法に『リンベリュート家の者は迷宮に入ってはならない』という一文が、ロロナによって正式に付け加えられたのは、それからしばらくのことだった。

 王太后となったマナは、王都リーベから出ていく夫の馬車列を見送ることはなかった。
(二度と、わたくしの目の前に現れないでくださいませ)
 実質的な流刑を上手く言い換えて夫に飲ませたマナは、やっと少し、心が軽くなった気がした。
 マナとラディスタは、完全に政略結婚であったが、マナの実家であるトートラス家の利益ではなく、盟主である宰相のイクセミア家が力を得るためのものだった。
 貴族令嬢として育ったマナも、愛のない結婚は理解して覚悟していたものの、ここまで情がないものだとは思っていなかった。義務と割り切るには、人生をかけるに値しない。そう父母に相談するのに、五年を費やした。
 これからは、余計なことをするなと仕事をさせてもらえないのに、無能だとか、役立たずとか罵られることもない。
 王太子妃としての身だしなみのために、季節ごとのドレスを新調して、はしたなく媚びるなとか、浪費だなどと罵られることもない。
 予定を勝手に組み替えられて、その連絡が来ていなくて困ったことを申し立てれば、予定の確認を怠った自分の怠慢を人のせいにする気か、とすり替えられることもない。
「……長かった、かしら」
 正式に離婚したわけではないが、これまでの夫婦生活としては、十年足らずであり、別居期間もあって、短いと言えるかもしれない。過ぎてしまえば、あっという間だったような気もするが、やはり終わりが見えない過酷な時間は、いまでもとても長かったと感じた。
 でもこれからは、我が子を王として盛り立てていくために、より安全に気を配り、少しの弱音も吐けず、常に顔を上げて生きていかなければならないだろう。王太后としての時間は、これまでよりも長く、マナに重い責任を背負わせてくるはずだ。
 それでも、いまのマナには、温かいと感じられる、現在と、未来があった。
「かーしゃまー」
「まあ、エメレンス。母様の御膝がいいのね?」
 乳母の腕からよちよちとスカートの裾にたどり着いた我が子を抱き上げ、マナは国母としての覚悟を新たにするのだった。