188 後悔しても、もう遅い


 周囲からは、表面上は同情的な義憤のざわめきが起こった。
 侯爵は娘を失ったのに、どこの誰とも知れない女が、彼の娘を名乗っているのだ。
「では、そのプリシラという娘は、平民の分際でオスボーン侯爵家の者だと言っておるのだな」
「どこかの国に、我が家と同名の侯爵家があるのなら、その限りではありません。ですが少なくとも、件の者は私の娘、我がオスボーン家の者ではございません」
 アーネスト・オスボーンがそう言い切った瞬間、しかしモンダートはニッコリと笑顔になった。
「わかりました! では、『エル・ニーザルディアのオスボーン侯爵家は、プリシラ・オスボーンと名乗った女性とは、なんの関係もない』という事でよろしいですね!」
 エル・ニーザルディアの貴族たちとは微妙に違う言い回しで、しかし同じ内容を、モンダートは大きな声で繰り返した。
「ああ、よかった! 変に関係が残っていると、嫌だったんだよなぁ!」
「モンダート」
「いいじゃん、伯父上。俺、元気なアイツが気に入ってるんだ」
 ショーディーからも、プリシラがエル・ニーザルディア内でどういう扱いになっているのかわからない、と聞いていたのだ。だが、これではっきりした、とモンダートはさらに眼差しを鋭くした。
「アイツを泣かせたくない。だけど、必要な確認だった。そんでもって、俺も腹が立っている!」
「落ち着きなさい」
 がるるるる、と唸りかねないモンダートをルジェーロが嗜めるが、もっと効果的な高い声が止めに入ってきた。
「モンダートさま、相変わらず、お声が大きいわ。廊下の向こうまで、よく聞こえましてよ」
「よっ、プリス。そんな不機嫌そうな顔すんなって。笑ってた方が可愛いぞ」
「あっ、な、たと、いう人は……ッ!」
 握りしめられた扇がミシッと音を立てたが、ツカツカと早歩きでモンダートに詰めよっていくプリシラの顔は怒り以外の感情で赤くなっていた。
 特徴的な、ふわふわした薄いピンク色の髪は、今日は綺麗にまとめられている。落ち着いた濃緑色のドレスは、かつて着ていた、少女らしくフリルがふんだんに使われたドレスほど華美ではないが、彼女を年齢以上に知的で上品に見せていた。ちなみに、迷宮都市製である。
「紹介しますね。ディアフラ王宮探索隊の一員で、プリシラです。迷宮に保管されていたディアフラ王宮で発見された、ニーザルディアとライシーカ教皇国との関係を示す資料をまとめて、その功績が認められたんですよ。すごいでしょ」
「自分のことじゃないのに、自慢しないでくださいませ」
「自分のことみたいに嬉しいんだよ、いいじゃねーか」
「またっ、そういう……!」
 胸を張るモンダートと言葉に詰まって口をハクハクさせるプリシラだったが、さっと陰った人壁に冷ややかな目を向けた。
「オスボーン侯爵家を騙る罪人だ。拘束しろ」
 その命令に動いたエル・ニーザルディアの護衛達だったが、滑り込んできた小柄な体躯に次々と弾き飛ばされてしまった。
「なにをしている!?」
「お嬢様方には、指一本触れさせません!」
 小型の盾を両腕に装備した冒険者風の少女は勇ましく叫び、戦い慣れた様子でさらに身構えた。
「プリス、伯父上、エララの後ろに」
 文官であるルジェーロも、貴族令嬢であるプリシラも、頭脳労働ならまだしも、武芸に関してはまったくの素人だ。大人しくエララの後ろに下がる。
 そして、盾役のエララよりも前に、モンダートがずいと進み出た。
「手荒なことはしたくないんだ。人間相手の手加減は、難しいからな」
 モンダートはくるりと杖を手首で回し、ニヤリと挑発してみせた。
「そやつは土魔法使いのはずだ! 屋内では無力だ!」
 また別の貴族が叫んだが、モンダートはちょっと嬉しそうだ。
「おお、よく知ってるな。俺も有名人だ」
「情報収集は貴族の基本でしてよ」
「その割には、迷宮のことなんも知らねーよな」
 敏感なのは人間に関してだけか、と肩をすくめるモンダートに、プリシラも何も言えない。事実、エル・ニーザルディア貴族は、足を引っ張るために他人の粗捜しばかりしているのだから。
 揃いの制服を着た護衛は、人数こそ多くなかったが、腕に覚えのある者たちなのだろう。次々に抜いた剣の構えは、モンダートから見てもなかなかの力量があるとわかった。
 ところが、護衛達は踏み込むたびにわずかにバランスを崩し、モンダートの杖に打ち据えられていった。その正確なこと、杖でなく剣だったならば、護衛達の腕は斬り落とされ、胸は貫かれていたことだろう。
「ほいほい、ほいっと」
 あっという間に十人近い剣士を転がしたモンダートは、最後に床に落ちかけた剣を弾きながら拾い上げると、素早くキレのある動きで振り、足元でまだ呻いている男たちに突き付けた。
「たしかに俺は魔法使いだ。だけど、剣が使えないなんて、誰が言った?」
 モンダートは煌びやかな服を纏った貴族たちに向かって、おおいに胸を張って笑った。しかし、モンダートを魔法使いだからと侮った者をはじめ、エル・ニーザルディアの貴族たちは、あまりの力の差に愕然となっている。どう見ても、モンダートはまだ少年の域を出ていなかったからでもある。
「モンダートさまの生家であるブルネルティ家は、リンベリュート王国でも屈指の武門の名家ですわよ。お忘れでして?」
「まあ、まだ剣だけだと、義兄上ソルの方が、上だけどな」
 ダンジョンで修練したおかげで父の技量は追い越したが、父や義兄のように指揮官としての教育は受けていない。それに、モンダートは近接戦闘中に魔法を使っていないわけではなかった。
(靴の裏なんて、誰も見ねぇもんな)
 金属鎧だとまだ難しいが、この護衛達がはいているような革靴の裏ならば、“土に還せる”のだ。腐食した靴底が床に滑ってバランスを崩すので、モンダートは楽に急所を打ち据えることができる。
 アクルックス魔法学園で学び、ショーディーの柔軟な発想を間近で見ていなければ、けっして思いつかなかった土魔法を使った戦い方だ。
「次の相手は、貴方がたの誰か? それとも、こっちの話を続けてもいい?」
 反論もなさそうなので、モンダートはプリシラに視線を向けた。
「そうね。……お初に・・・お目にかかります。わたくしは、ロロナ王女殿下より養子に迎えていただきました、プリシラ・ヨーガレイドと申します」
 進み出たプリシラが、楚々とエル・ニーザルディア風のカーテシーをしてみせると、プリシラと同じ青い目が瞠られた。
「ロロナ・ヨーガレイド……たしか、降嫁した王妹殿下だったか」
「左様にございます、オスボーン侯爵閣下。この度のディアフラ王宮探索において、対ライシーカ教皇国に関する残留資料を含む、古ニーザルディア語の解読などを担当いたしました。その功績を持って、ロロナ様の娘にしていただきました」
 スキルを持たない出来損ないだと自分を捨てた実家に対する感情が出てはいけないと言葉を選びつつ、それでも抑えきれない、花が咲き誇るような笑顔がプリシラに浮かんだ。
「オーファリエで奴隷商に売られたバージリアネ・プリシラ・オスボーンは、エル・ニーザルディアでは死んだことになっておりますのね。それは構いませんわ。わたくしにはもう、わたくしの努力や成果を正当に評価し、個人として敬意をもって、大切にしてくれる場所がありますもの」
 リンベリュート王国に来た当初は、プリシラもまだ、わだかまりや鬱屈はあった。自分は『侯爵家の娘』として、なによりも上に置かれるべきだという感覚が残っていた。
 だから、いま護衛としてついてくれているエララが、村娘でありながら【盾術】というスキルを持っていたことも、かなりこたえた。平民ですら持っているスキルを持っていない、それが酷く惨めに思えた。
 しかし、エララ自身が、村長の娘として将来を縛られかねない立場だったこと、冒険者を人生の選択肢の一つとしてショーディーに提示され、たまたまスキル持ちだとわかったこと。そして、ダンジョンという危険な場所で研鑽し、害獣駆除にも参加していることを聞くと、さすがにプリシラも己を顧みることにした。
 スキルを持たないネィジェーヌや、ブルネルティ夫人フォニアが、努力を重ね知識を蓄え、それぞれが仕事に活躍しているのを間近に見たことも大きい。
「ご存じですか? リンベリュート王国では、身分に関係なく、スキルを持っている者は、それを研鑽することを邪魔されません。また、持っていなくても、己の能力に応じた仕事をもらえますのよ。そして、きちんと評価されます」
 プリシラは、かつてショーディーから言われたのだ。

―― 「君の家族は、持っているスキルを使って、なにか成果を上げた? 持っているだけじゃないの?」

―― 「スキルを持っている奴が偉いって、その価値観が正しいって、誰か保証してくれるの?」

「……スキルを持っていることが評価され、絶対的に敬われるのではありません。スキルを持っていなくても、己の努力で身に着けた技能で仕事をすれば、評価されます。でも、スキルを持っているだけで役に立っていない者など、評価されませんわ」
「我々を侮辱するか!」
「国ごとの違い、価値観の違い、その事実ですわ。わたくしは、エル・ニーザルディアでは価値がないとされても、リンベリュートでは必要とされた。それだけです」
 激昂して拳を震わせる血縁上の父を、ことさら感情を押さえた視線で見上げつつ、プリシラは持っていた扇をパッと開いた。
 プリシラに関することを嘘で塗り固めた実家が、これから社交界でどうにか言い繕うことに苦労しようとも、プリシラにはもう関係ない。
 侯爵家の三女から、公方家……それも、義理とはいえ王妹の一人娘とされることは、エル・ニーザルディアで言えば公爵家に跡取りとして養子入りしたこととほぼ同じであり、階級で言えば格段に上がったことになる。
 エル・ニーザルディアではプリシラはすでに死亡したことになっており、リンベリュートでそれだけの後ろ盾が付いてしまうと、たとえ父親でも「戻ってこい」という事も、密かに手にかけようとする事も、無理がある。後悔しても、もう遅いのだ。
「プリス、かっこいいなぁ」
「モンダートさまは、ちょっとお黙りになっていて!」
 ストレートに褒めるモンダートと、また赤くなってしまったプリシラを、ルジェーロもこの場とこれからをどう収めようかなぁと考えつつ、微笑ましく眺めるのだった。