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180 神理の牢獄
そもそも、なぜライシーカには、地球人を召喚する必要があったのか。
異世界の知識ならば、魔族であるライシーカにも十分にあった。召喚魔法、鑑定技術、燿石の活用、“障り”や障石を使った強化……どれも、この世界にはなかったものだ。 ではなぜ、わざわざ地球人を召喚していたのか。 ライシーカの技術や知識では、この世界に適応しにくいのか。地球人の知識の方が、まだ現地人用にローカライズしやすいのか……。 そうではなかった。 「 最初の召喚は、そのために行われた。 召喚されてきた聖女シャヤカーは、穏やかで慈悲深く、献身的だったと、グルメニア教の教典には書かれていた。 現代日本人だった僕にすれば、「そんなはずはない」と言い切れる。いまから六百年以上も前の、先史時代と言っていいような文明しかなかった世界に、無理やり連れてこられて、現代日本人が穏やかでいられる理由がない。 ここは何処なのか? お腹を壊さない食べ物は? 獣や野盗に襲われない安全な寝床は? 清潔な着替えは? こんな所で怪我や病気をしたらどうなる? 車も家電もスマホもない。もちろん、娯楽なんてない。自分は家に帰れるのか? いまよりもずっと魔力が濃かった世界で、召喚されたばかりの動揺した状態であったならば、いくらこの世界の人間よりもはるかに精神値が高い日本人でも、ライシーカの精神支配魔法に抵抗できただろうか。 おそらくサヤカさんは、あの操られていたバニタスのように、ライシーカに従って付いて行ったのだろう。 そして、邪神のコアを封印するためだけに使われ、命を落とした。 その後も続けて召喚が行われた理由は、おそらく一つではない。 ライシーカが思っていた以上に、召喚に魔力を消費したことも、もちろんあるだろう。 (そういえば、ベルマーゼが言っていたな。至上なのは つまり、自分がもたらした技術を目立たなくさせるための、カバー要素だったのだ。 継続的に新しい知識がもたらされるならば、ライシーカ自身が表立って支配に心を砕く必要もない。人参ならぬ、稀人の知識を目の前にぶら下げられた、この世界の人間が、勝手に召喚を繰り返して、ライシーカが隠れている国を盤石にしてくれるのだ。 そりゃあ、都合が良かっただろう。 「つまり、 それだけのために。 たったそれだけのために、なんの関係もない数百人の人生が潰されたのだ。 (ふざけんなよ……) 一度は冷えた頭の中だけど、湧き上がってくる思いのままに、僕は叫んだ。 「ふざけんなよ! 何人犠牲にしたと思っている!? 稀人たちにだって、自分たちが生まれ育った世界で生きて、死ぬ権利があった!」 「異なことを。あの程度では、地から剥がれそうな弱者しか繋がらん。留まったとて、意味はない」 「それをお前が言うか! お前にその権利があるか!!」 その瞬間、ひゅっと空気が変わった。 「お黙れえぇぇx〇#ぅ▲bえ☆んγ◆▽c!!!!!!!!」 痛いほどに重くなった身体のせいで、息が詰まった。 「あうっ」 「くっ」 ハニシェが倒れ、スハイルが膝をつく。ソルが僕を護るために前へ出ようとするけれど、剣も足も引きずって、バランスがとれなくなるばかりだ。 体が バンッ! もちろん、床に転がったままの魔導銃であるから、僕らの足元には着弾しない。 重力魔法の範囲を超えてかろうじて届いたのは、僕らにはわからない言葉で発狂したように怒鳴り散らしている老女の足元近くだ。 「ギャウッ」 一瞬で跳ね上がった毛皮姿が後方の壁にぶつかって、重力に逆らわず床にたたきつけられる。 僕たちにかけられていた重力魔法が途切れ、問題なく立ち上がれるようになった。 「ふぅっ。上手くいった」 最初から浮いているライシーカに重力魔法(減衰)をかければ、無重力かつ自転の遠心力で吹っ飛ぶだろうという賭けだった。なお、老体への物理ダメージは考慮しないものとする。 「みんな、大丈夫?」 「はい、坊ちゃま」 一番ダメージが大きそうだったハニシェも、なんとか魔導銃を拾って立ち上がった。 みんなの盾として、一番前で油断なく剣を構えたソルの後ろから、僕はライシーカの様子を窺った。 「まだ、死んでないかな」 もごもごと毛皮が蠢いていたかと思ったら、すごい勢いでとびかかってきた。 「gじぇBおppfffghぁあああああああ!!」 「ひぇっ!?」 その形相に、思わず目を瞑って体をこわばらせたけれど、ソルが迎撃に動くよりも先に、僕らを追い抜いて行く風があった。 「ヴェロニカを返してもらうぞ」 正面から、綺麗に心臓を貫いていたのは、優美な鋼だった。 「ベルマーゼ、ヴェロニカの障石を壊して! 逃がさねぇぞ!」 「承知」 一度引き抜かれた刀が、神業を持ってヴェロニカの首を落とした。硬質な音が混じる。 同時に、僕はポケットに忍ばせていた小箱から半透明な石を取り出して、崩れ落ちたヴェロニカの肉体に掲げた。 「拘禁せよ! 神理の牢獄を与えられし、ショーディーが命ずる。天上天下、何人も等しく逆らうこと能わず」 何の変哲もない半透明の石だった物が、周囲の岩壁と同じオーロラパールに輝き、刻まれていた魔法陣が浮かび上がる。そこに銘記されていたのは、収監される咎人の個別情報……バニタスを操っていた者の、精神波長だ。 「咎人ライシーカを、ここに収監!!」 魔法陣から伸びた、触れられない金色の鎖が、がっちりと石に絡みつき、しみ込むように消えていった。 「ふぅん、もっとどす黒い、きったねぇ色になるかと思ったのに……。なんかムカつく」 この世界では、魔力の塊としてしか存在できない魔族では、魔力に満ちたこの部屋と同じような色になるようだ。 僕はさっさと小箱にしまって、無造作にポケットへ突っ込んだ。 セーゼ・ラロォナのポードニスにある屋敷で貰った、ベルマーゼが幼児の頃にライシーカに埋め込まれたが抜け落ちた、『 「……」 僕の前に転がっていたヴェロニカの生首が持ち上げられ、首から下と共に、ベルマーゼの手で丁寧に整えられていく。 「ごめんね、ベルマーゼ。結局、こうなっちゃった」 「いいえ。……あの頃にはもう、彼女ではなくなっていたのです。ヴェロニカの体だけでも、私自身の手で取り戻すことができました。ありがとうございます」 静かに頭を下げるベルマーゼに、僕はかける言葉が見つからなかった。 両親を処分され、自分をいじくられ、婚約者を奪われ、ついさっきは息子まで操られてしまった。ベルマーゼはやっと、積年の恨みがある仇を討てた。だけど決して、後味のいいものではないだろう。 ……かつての婚約者を、自分の手で斬らねばならなかったのだから。 「もう、思い残すことはありませぬ」 教皇国語で呟かれたその言葉は、しっとりと濡れていた。 僕はヴェロニカの遺体に侍るベルマーゼから視線を逸らし、僕自身のやるべきことに向き合うことにした。 この戦いの中でも、依然としてそこにあり続けた、大きなオーブ。 僕はそれへ両手を伸ばし、やっと言うことができた。 「お待たせ、みんな。助けに来たよ」 |