172 始まりの物語


 現在僕が暮らしている大陸から、内海を挟んで南側にある大陸。
 そこに、マニームという地域があり、そのどこかの集落で、聖ライシーカは生まれたらしい。
 いまから六百五十年くらい前のマニーム地域は、いくつもの部族が縄張りを争っており、集団での収奪や殺し合いは日常茶飯事という荒れた場所だったそうだ。
 冶金技術も未熟な当時の武器は、青銅のナイフがあればいい方で、こん棒や石斧が主流だった。しかし、魔法があるこの世界では、なにより魔法使いが一番強かった。
 ところが、ライシーカは生まれつき多い魔力を持った魔法使いでありながら、戦うことを拒否したために、部族から追放されてしまったそうだ。
 いくら魔法が使えても、集落で力を合わせて生活しなければ、食料の調達や安眠は難しい。他の部族や野獣を避けて、荒野を一人彷徨い続けたライシーカは、やがて力尽きた。
 瀕死のライシーカは、この世界を巡る魔力に触れ、相争う人々の感情が行きつく先を感知した。同時に、ライシーカの内に“叡智”が溢れ、異世界とのつなぎ方を閃いたそうだ。
 荒れたこの世界を治めるには、異世界の知識を用いるしかない。
 そう決意したライシーカは、やがて聖女シャヤカーを召喚することに成功する……。

 これがおおよそ、グルメニア教の教典が伝える、聖ライシーカの物語の冒頭だ。
(ツッコミどころ多いなぁ)
 宗教の教典なんて、そんなものかもしれない。
 用いる者が適宜解釈できるよう、このくらいのガバつきでちょうどいいのだろう。歴史書ではないのだから。
(ライシーカは強い魔法使いのはずなのに追放できちゃうし、あるいは当時は追放できるくらい弱かったのか……。しかし、ライシーカを追放した部族からしてみれば、戦闘力だけあって役に立たない無駄飯喰らいだからな。その力がいつ自分たちに向けられるか、気が気じゃなかっただろうし……)
 教典に細かい経緯の記載や多角的な視点を求めるのは無駄だろうけど、色々突っ込まずにはいられない。
 それにしても、ライシーカの性格がいきなり変わるのがおかしすぎる。フィクションであれば、覚醒とか覚悟が決まったとか、かっこよくとらえることもできるだろうけれど、現実ではそうそうないことだ。
(部族から追放されるほど戦いを忌避していたのに、瀕死になったからって、そこから世界をどうこうしようなんて発想になるのか?)
 世界を巡る流れや、シロたちのことを知っている僕からすると、死にかけたライシーカが彼らの意識に触れたというのは、納得できる。負の感情が流れ着く先にある浄化装置……邪神の存在を感知したのも、まあわからなくもない。
 だが、シロたちは異世界を繋ぐ方法なんて知らなかった。
(事実に紛れ込ませた嘘、か)
 ライシーカの性格がおかしくなったように見えるのも、ライシーカを神聖視させるために、無理やり辻褄を合わせた結果なのかもしれない。
 そもそも、それまでのライシーカは、戦いを厭いたというが、かといって魔法使いとして学問を牽引するとか、弟子を取るとか、そういう実績もなかった。それなのに、数年後には教皇になっているのだ。
 もちろん、それまでとは全然違う分野で成功する人がいないわけではない。美大に落ちてから独裁者になった人もいるし……。
(あっ。もしかして、ライシーカは、元々は聖ライシーカじゃなかった?)
 ベルマーゼによれば、聖ライシーカは肉体を乗り換え、現在も巫女頭として生きているという。ということは、ライシーカは都合よく肉体を使われた人間の一人だった可能性が出てくる。
(聖ライシーカって、いったい何者なんだろうな)
 僕はぞっとしてきた背中を震わせ、教典を読み進めた。

 己の内に溢れた“叡智”によって荒野を生き抜いたライシーカは、やがてツォズオーという町に落ち着く。
 このツォズオーは現在もある場所で、セーゼ・ラロォナから渡った先のモルメア王国の辺境に位置する。町の近くには、ライシーカが召喚の儀式を行ったという丘もあり、聖地のひとつになっているんだとか。
 召喚魔法を完成させたライシーカは、聖女シャヤカーを召喚し、異世界の知識を得ながら、こちらの大陸へ渡るなど様々な冒険を経て、ガトロンショ山脈へたどり着く。
 そして、人々の負の感情を操るとされる邪神を倒すが、聖女シャヤカーは相討ちになって死去。その場所にシャヤカーのための大霊廟を建て、これを聖地と定めた。

 だんだん話が大きくなっていくのに、主観的で登場人物がほとんど変わらない展開に、僕は首をまわしてゴキゴキと鳴らした。
(ありえねぇ……無理がありすぎる)
 ぶっちゃけて言うなら、六百年以上前のこの世界なんて、現代の日本人からしたら、ほぼ原始時代だ。そこに召喚されてきた稀人が、どういう反応を示すだろうか。
 ちなみに、教典の中の聖女シャヤカーは、慈悲深くライシーカに同情して、快く邪神討伐に協力してくれる。
(マジでありえねぇ……)
 ライシーカに協力するしか生きる道がないのだとしても、にこやかに付いて行くようなことにはならないはずだ。まず、『なんでこんな所に召還した!?』ってブチキレるのが、真っ当な反応ではないだろうか。
(それに、仲間が増えないんだよなー。旅の途中で出会う人はいるけれど、一緒に邪神を討伐する仲間とか、弟子とか、信奉者とか、そういう人がいないって、だいぶ不自然な感じだよな)
 モルメアの船主、セーゼ・ラロォナの商人、宿の主人に、通りかかった村の住人、返り討ちにして改心させた盗賊……彼らは善良な協力者・・・として描かれているが、決して仲間とはされていない。
 危険な旅路であるならば、護衛として。あるいは聖女の世話係や従者などがいても、全く不思議ではない。
 それなのに、教典の中では、ライシーカはシャヤカーと二人きりで旅をしている。現在から過去を眺めて、あまりにも無理があるのだ。
(いったい誰が、この教典の内容を語ったのか)
 もちろん、ライシーカ自身だろう。そして、それ以外の人である割合は、極めて低い。
(師曰く……ってのが、ないんだよなぁ)
 新約聖書もキリストが、コーランもムハンマドが、仏典も釈迦が、存命中は編纂されなかった。すべて、弟子や信奉者たちが、見たもの聞いたものを語り、書き残したものだ。
 つまり、このグルメニア教の教典に書かれていることは、「誰かが見たライシーカの姿」ではなく、「ライシーカ自身が語ったライシーカの姿」なのだ。
教典コレが成立した時、まだライシーカ生きていたからな。そりゃあ、監修も検閲も入りまくりだろうよ)
 基本的に、二人の冒険は困難に直面するとシャヤカーが解決する。もちろん、異世界の知識を用いたという形で。
 この「異世界の知識」を、「奇跡」あるいは「天使の言葉」などに置き換えれば、日本人でもまあまあ覚えのある古典になるのではないだろうか。
(そう考えると、稀人がもたらす知識を信奉するグルメニア教の教典としては、ちゃんとしているんだな。ライシーカの存在主張が激しいけど)
 ライシーカの教皇としての支配を広げるための道具として使うなら、これでいいのだろう。

 邪神討伐から教皇国建国に関しては、かなりあっさりとした記述しかない。おそらく、有力な貴族や派閥が出来ることを避けたのだろう。
 聖女シャヤカーを慕う者たちがライシーカの下に集まり、聖地を守護するためソロイルに根を下ろした、とだけ書かれている。
 その先は、今後も異世界人召喚をして知識を得て、未開の蛮人たちを啓蒙していき、世界平和を実現させるのだ、というようなことが、つらつらと書き連ねられていた。

 ライシーカとシャヤカー以外を、徹底的に排除した物語だ。
 これがライシーカ存命中に成立したという事は、彼らに関わった者もまた存命であった可能性が高く……。
「いや、まてよ」
 死んでいるかもしれない。
 それに気が付いて、僕はもう一度教典を最初から捲り、登場人物を書き出していった。
(死人に口なしだ。もしかしたら、教典にある人物が実在したかもあやしいぞ)
 現に、最も長くライシーカといた聖女シャヤカーは死んでいる。
 仲間ですらなく、物語の添え物だった協力者たちが、当時生きている確証はない。
「シロ、シロ! ちょっと教えて欲しいことがあるんだ」
 僕はシロを呼び出し、グルメニア教の教典に登場する人間が本当にいたのか、一人ずつ確認を取った。
 その結果、全員実在していた。

 ただし、教典が成立するあたりで、老いも若きも全員が死亡していたことがわかった。