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169 一方その頃 その2
王都からやってくるディアフラ調査団が中継宿にするため、ブルネルティ家の城館では使用人たちが慌ただしく準備に追われている。
そんな中、ブルネルティ夫妻は末息子のショーディーが送ってよこした令嬢について、若干頭が痛い思いをしていた。 ショーディーは確かに良く回る頭の持ち主だと認めているが、特に家柄身分に関しては、まったくと言っていいほど頓着をしないのが玉に瑕だ。子供ゆえの未熟さととらえるなら両親の教育不足だが、そもそもの気質や価値観がかけ離れているようで、両親の理解の範疇から飛び出すこと甚だしい。 そんな問題児だが、一応家族を頼ることは覚えてくれたようで、それはそれで嬉しい。なにしろ、ショーディーはまだ八歳だ。 とはいえ、万事頼んだと送られてきたのがエル・ニーザルディアの大貴族の娘なので、一言二言くらいの説教は必要だと感じている。 他国の貴族令嬢を断りもなしに連れてくるなど、国際問題になりそうなことを気軽に押し付けられたベルワィスの顔色が、ちょっと悪くなっていた。もっとも、すでに貴族籍からも家系からも除籍されてしまっている可能性が高いらしいのだが。 「まったく、あの子ときたら……」 フォニアはこめかみを揉みながら、何度目かの溜息を呟きと共にそっと吐く。 護衛と馬車には、ナスリンとファラを『学徒街ミモザ』へ送る帰りに、ネィジェーヌとモンダートを回収してきてもらった。これから迷宮へ入るのなら、年の近い子供たちの方が詳しい。 プリシラは、フォニアから見ても文句のつけようのない、お行儀のよい令嬢だ。さすがはオスボーン侯爵家の令嬢だと感心するのだが、ショーディーの手紙にはやや異なった意見があり、それは家族の問題に起因することのようだった。 しかし、ネィジェーヌとモンダートと一緒にお茶のテーブルを囲んで、時折儚げな表情を見せても優雅さを失わない様子に見えるのだが……。そのとき、ネィジェーヌとモンダートが揃って、同じ部屋の少し離れたソファで見守っていたフォニアの方を見詰めた。 「え、なにか……」 「ブヒュッ」 問題があったかとフォニアは侍女を呼ぼうとしたが、その前にモンダートの鼻が、笑いを堪えきれずにおかしな音を出した。 「モ、モンダート……!」 「んぶふふっ、む、り、ですっ。あ、ね、うえぇ……」 「あなたたち、人を見て笑うとは何事ですか!」 「ごっべんな、さい、いっひっひひ……」 「モンダート!」 無理に笑いを殺そうとしたのが決壊して、モンダートはゲラゲラ笑うし、ネィジェーヌも必死で口元をハンカチで覆っている。 「いったい、何事ですか」 「あの……その、スキルを持たないネィジェーヌ様を次期領主に指名されたご夫妻は、とても開明的な方なのだと思いまして……ご無礼なことであったら、申し訳ありません」 プリシラはわざわざ席を立って深々と頭を下げるが、ネィジェーヌとモンダートが笑った理由に思い当って、フォニアも赤くなった顔を扇で半ば隠した。 「ぶ、れ、い……っ! まあ、無礼さで言えば、ショーディーの方かな?」 「モンダートっ、これ以上は、私の息が止まります。お母様の前では、やめましょう」 「姉上、息はしてください。はぁ、面白かった」 苦しそうに胸を押さえて息を整えるネィジェーヌと、清々しいまでに笑いきったモンダートは、まだ戸惑っているプリシラに座るよう促した。 「あまり大人を揶揄わないで頂戴」 フォニアが恥ずかしそうに部屋から退出するのを待って、ネィジェーヌとモンダートは、当時の経緯をプリシラに話して聞かせた。 最初は両親ともに、スキルを得たモンダートを領主にと考えたこと。それでは上手くいかない、ネィジェーヌこそが領主に相応しいと、ショーディーが言い張ったこと。その他、両親の不明具合にショーディーが匙を投げて家出し、二人も後に続いたこと、など。 「ショーディーがいなかったら、私もプリシラ様と同じような扱いをされたかもしれませんね」 ほろ苦く笑うネィジェーヌは、ブルネルティ夫妻が特別開明的なのではなく、むしろかなり保守的な考え方の人達だと付け足した。 いまごろ、部屋を出てきたフォニアから理由を聞いたベルワィスも、顔を覆って悶えているに違いないと、ネィジェーヌは密かに微笑んだ。 「たしかにきっかけはショーディーだったけどさ、うちの親を納得させたのは、間違いなく姉上の努力だよ。俺じゃ領主なんて無理だし」 「あなたはもう少しお行儀よくなさい」 「へいへい」 フォニアが居なくなって姿勢も態度も崩し、冷めてきた紅茶を行儀悪くすするモンダートだが、最近の彼は土魔法による土木建築や、農耕地の改善などに興味を持ち、一層勉学に打ち込んでいた。もちろん、剣や杖を振るってダンジョンの攻略などもするのだが、領地のために役に立てることを、自分で見つけて、自分で探求していっているのだ。 「プリシラ嬢も、そう難しく考えんなよ。あの滅多に他人を認めないショーディーが、アンタは使える人間だって判断して寄越したんだ。もっと自信もっていいぞ?」 そう言って朗らかに笑うモンダートは、しばらくの後、プリシラが被っていたお淑やかな令嬢の皮が剥がれた時も、「その方が面白くていい」と大笑いするのであった。 激動の時代を迎えている外の世界とは違い、稀人を収容している迷宮『ひのもと町』は、至って平和だ。 季節はすでに盛夏を迎えているが、夕立後の風は涼しく、殺人的な蒸し暑さとは縁遠い。 そんな夜道を商店街に向かって歩いていた 「あら、枡出さん、こんばんは」 「ああ、こんばんは」 少し反応が遅れた枡出は、なにか考え事をしていたらしい。少し話に付き合ってくれないかと言われ、そろって天丼屋で夕食をとることになった。 「なにかありました?」 「実は、『ホーライシティ』から、むこうの住人の相談を受けまして……」 育実は思わず眉を寄せてしまったが、それも仕方がない。久しく忘れていた元婚約者が、その『ホーライシティ』の住人なのだから。 「枡出さんに相談と言うと、ええっと……沙灘さんでしたっけ?」 枡出と多少でも縁があったのは 「いいえ。霞賀さんと、竹柴さんです。どうも、精神を病んでしまったらしいのです」 「はあ!?」 育実は思わず大きな声を出してしまったことを謝りつつ、いったいどういう事かと枡出に詳しい事情を聞いた。なにしろ、あの自信家で口が達者な霞賀が精神を病むなど、想像ができなかったのだ。 「はじめは、お二人とも順調に生活していたそうなのですが……なんと言いますか、思い通りに行きすぎ、しかし実が得られない、徒労感と言いましょうか。真に欲しい満足感が得られない、そういうところで、心が折れてしまったらしいのです」 元実業家の ところが、『ホーライシティ』にいるのは普通の人間ではなく、心身共に強靭なアルカ族である。厳格な迷宮のルールの中で、ショーディーに対する忠誠を芯に生きているので、二人の心理操作など受け付けないのだ。 表面上は要望が聞き入れられ、思い通りに進んでいるように見えて、実は何も変化していないという現象が、何度も起きることとなる。 「つまりアイツらは、いままで通り相手が柔らかい人間だと思って、分厚い鉄の壁に体当たりを続けていたようなものかしら? そうしたら自滅して、自分が今まで他人に押し付けてきた気分に、偶然はまり込んだ感じ?」 「逃げ場のない迷宮の中で、同じ道を永遠にぐるぐる走っている、そんな気分になったのかもしれませんね」 明確な拒絶や威圧や罵倒はないものの、囚われた虚無感から脱するのは容易ではないのだろう。 「私は元教員で、医者やカウンセラーではありません。しかし、私の個人的な知見から申し上げますに、お二人は他人がいないと生きていけない人間だったのでしょう。幼いならば、他人を支配する以外の、生きる楽しみを見つけさせることも、できなくはなかったかもしれません。ですが、成長した後では、なかなか……」 夏野菜の天丼を食べ終わり、麦茶をすすりながら、枡出の表情は微妙に動いた。それは、憐れみだったかもしれない。 育実の脳裏には、霞賀に半ば支配されていた過去が思い出された。「お前のために言ってるんだよ」「中学生レベルも理解できないのか」「普通はそう考えないだろ」「そういう所が鈍いって、みんなに思われるんだよ」などなど、永遠に湧き出てくる霞賀の言葉を、意識して切り捨てる。 時折囁かれた「お前だから意味がある」「愛している」という甘い言葉など、なんの 「依存……そうか。アイツって、私みたいな『虐げていいもの』に依存していたのね。自分が一番偉いって顔しながら、自分より弱い者が傍にいないと、気持ちを保てなかったから……」 「おそらくは」 頷く枡出を前に、育実は何かがすとんと腑に落ち、長いこと胸の奥にわだかまっていたものが消えたのを感じた。 なぜ彼らが偉そうな顔でのさばっていたのか。答えは、依存先を食い潰しながら生きていたからだ。宿主から栄養を奪っている、寄生虫だ。 「そっかぁ……。じゃあ別に、いいんじゃないでしょうか。そのままで。わざわざ被害者を作ることなんてないですし」 案外するっと出てきた育実の言葉に、枡出も仕方なさそうにため息を溢した。 「残念なことですが、都合のいい妄想の中にいた方が、彼らも幸せかもしれませんね」 |