162 自立するという事


 僕は目の前でガツガツと食事をしている女の子を眺めながら、仕方がないことだと自分を納得させようとしていた。
 別に、助けたいと思って助けたわけじゃないんだけど……。
「衣食足りて礼節を知る、とは言うけれど……足りていても礼節なかったからな」
「……淑女に対して無礼な」
 しっかりと口の中の物を飲み込んでから、それでも文句は言うらしい。
 彼女の名前は、バージリアネ・プリシラ・オスボーン。エル・ニーザルディア貴族、オスボーン侯爵令嬢であるのだが、姉妹がいるのでプリシラと呼べと言われている。見た感じ、モンダート兄上と同じくらいの年齢だろうか。
(それにしては、兄上よりもやかましいし、お行儀の偏りが酷いな)
 オーファリエとの国境が近い教皇国南西部にて、僕はプリシラ嬢が乗せられた奴隷運搬用の檻車を見かけた。
 薄いピンク色のふわふわ髪と、キャンキャン甲高い喚き声に覚えがあるなぁと思ったけど思い出せず、スハイルから「港町ムタスの職人ギルドでレシピを強請られた……」と囁かれて、やっと思い出した。レシピを譲ってくれないなら、僕の使用人たちを寄越せと言ってきた阿呆だ。
「無礼でけっこう。君自身の代価を払うまでは、僕の奴隷なんだし」
「くっ……」
「とりあえず、それ食べちゃってからね」
 喚きすぎて、よほどお腹が空いていたのか、プリシラ嬢は出された食事を綺麗に平らげ、食後のお茶を傾ける姿勢は、だいぶ令嬢っぽくなっていた。
「それで、なんで教皇国の檻車なんかに入ってたの? ご家族は?」
「……」
 勝気だった視線が下がり、ちんまりした唇がきゅっと噛みしめられた。
「お辛いことかもしれませんが、正直に話された方が、坊ちゃまがお手を差し伸べやすうございますよ。あなた様が、安全に自由になられることを、坊ちゃまはお望みなのですから」
 椅子に座ったプリシラと視線を合わせるように、膝を落としたハニシェが優しく宥めている。僕はそんな殊勝なことを考えているわけではないのだけれど、話が早く進むならと、同調して頷いてみせた。
「……家に帰りたいけれど、家には帰れないわ。わたくし、お父様にもお母様にも、いらない子なんですもの」
「それは、レシピを手に入れられなかったから?」
「……」
「スキルがないから?」
「……」
 唇がいっそう引き結ばれ、青い目にジワリと涙が浮かんだ。
「わっ、わたくし、だって……、なにか、役に立つ、はずですわ……っ」
 くしゃりと握りしめられたスカートの襞に、ぽたりぽたりと、水滴がしみ込んでいった。
 僕がプリシラ嬢を奴隷商から買ったのは、彼女がやけくそのように喚いている中で、スキルを持っていないと暴露していたからだ。
 現在、彼女の故郷であるエル・ニーザルディア国は、『栄耀都市カペラ』(と『背徳街カペラ』)をめぐって、オルコラルト国と激しく競り合いをしている最中だ。そして、迷宮からはスキルスクロールというレアアイテムが産出されることも、冒険者ギルドを通じて知られ始めているはずだ。
 貴族令嬢ならば、金に飽かせてスキルスクロールを入手できそうなものだが……と不思議に思ったので、話を聞くついでにエル・ニーザルディアの内情も知れればいいなと彼女を買ったのだ。
 ハニシェがプリシラ嬢を宥めまくり、僕も途切れ途切れの涙声を辛抱強く聞き取ったところによると、彼女の言い分は以下のようなものだった。
 オスボーン侯爵家はエル・ニーザルディアの中でも結構名門で、両親ともにスキル持ちで、さらに上二人の姉もスキルを持っていたという。かの国では良血の末に生まれた良血と誉めそやされたそうだが、三番目のプリシラ嬢はスキルを持っていなかった。
 まぁ女の子の三番目だし、と緩く見られてはいたのだが、最近になって年子の弟がスキル持ちだと判明してしまった。
 家族の中でプリシラ嬢だけが「生来の出来損ない」だという雰囲気が、家の内外にできてしまったのだ。
 家族は元より、社交界でも下に見られ、使用人にも軽んじられるようになる。そんな冷えた空気と視線に、プリシラ嬢は耐えられなかったらしい。ムタスで強引にレシピを得ようとしていたのも、自分なりに家の役に立つと証明したかったからのようだ。
 しかし、迷宮を巡る騒ぎが勃発してから実家に呼び戻された。教皇国の貴族に嫁ぐよう言い渡され、そのままオーファリエまで運ばれたところで、馬車から檻車に乗せかえられてしまったらしい……。
(どう見ても捨てられたな)
 スキルを持っていないから政略結婚にも使えない、と判断されたのだろうか。それとも、日常からあんな態度だったのか、家の恥とされたのか、無駄な努力とされたのか、戦場近くを勝手にうろつかれると邪魔だと思われたのか。
 おそらく、故郷の実家では、彼女は教皇国で修道女になったとか、そんな話になっているんじゃないかな。まあ、僕には関係ないことだが。
「くだらない。現在、スキル持っている人間の方が、圧倒的に少数派なだけなのに。スキルを持っているから偉い、出来がいい、なんて、全然基準にならないよ」
「こんなに惨めな気持ちは、貴方にはわからないわ!」
「そうだね。僕も兄上もスキル持っているし。でも、僕の姉上は、スキル持ってないけど、次期領主として跡継ぎ指名されているよ?」
 ひゅっと息を吸い込んだまま、プリシラ嬢は固まってしまった。
「僕の姉上は、良い領主になるために、ずっと努力してきた。お勉強も、お作法も、剣術も、一生懸命がんばってる。僕と兄上は、弟として、それをずっと見てきた。父上と母上に認められて、こんど結婚もするんだ。……人の優劣は、スキルを持っているか、いないか、じゃない。自分の良心に従って、自分を律することができるかどうか、だと思うよ」
 自立した人間っていうのは、もちろん経済的に自立していればなおいいけれど、なによりも他者に価値観を依存しないで立っていられる人のことだと思う。
 誰かがこう言っていたから、この人がああ言っていたから……そんな判断基準で己の価値観や行動を決めていたら、社会人として無責任すぎる。誰かが「アイツいじめよう」って言ったらいじめるのか? 誰かが「アイツの仕事はくだらない」って言ったら職業差別するのか? 
「ねえ、君のまわりの人間は、君がスキルを持っていないから、って蔑んだの? じゃあそいつら、スキル持ってるの? 君の家族は、持っているスキルを使って、なにか成果を上げた? 持っているだけじゃないの? だいたい、スキルを持っている奴が偉いって、その価値観が正しいって、誰か保証してくれるの?」
「でも……だって……!」
 プリシラ嬢が受けた理不尽な仕打ちは、たしかに許されないと思う。だけど、それを言い訳にして、誰かをいじめていいわけじゃない。
「スキルを持っていないプリシラ嬢をいじめていいと思われるのが理不尽だと思うなら、自分が貴族で相手が平民だからなんでも奪っていいと思っていることも、理不尽だと思うよ?」
「……」
 かつての自分の行いを突き付けられて、それでもプリシラ嬢は悔し気な表情をしたままだった。
 僕は彼女をハニシェに任せて部屋を出たが、扉の向こうからは「なんでよ! なんでわたくしばっかり!」という叫びと泣き声が聞こえてきた。
 彼女を奴隷商から買った料金分の情報を引き出したら解放してあげる予定だけど、この辺に放り出したら付いてきそうで面倒だ。
「ん? おかえり」
「ただいま戻りました」
 階段を上がってきたのは、バニタス。
 宿のワンフロアを借り切っているので、この階にある部屋には、僕たちしかいない。
「少し、よろしいだろうか」
「もちろん。僕の部屋へどうぞ」
 僕はバニタスを招いて茶を淹れた。迷宮魔道具のポットはどこでもお湯が出せるから便利だね。
「なにかわかった?」
「だいぶ問題になっているようでござる」
 バニタスが町で情報収集してきたのは、主にエル・ニーザルディアから流れてきた聖職者たちについてだ。
 オーファリエで病人の看護などをするでもなく、教皇国に入ってからも身分をかさにきて、やりたい放題らしい。
「どうも、エル・ニーザルディアの貴族出身が多いようで、教会を預かる者たちにも無理を押し付ける横柄さだとか。護衛を連れている者も多く、武力で押し切られることも」
「あー」
 木っ端聖職者の癖に、やっぱり固有武力持っているのか。ということは、それを養える金を持っているという事で、貴族出身なのは間違いない。
 すっごい面倒で迷惑な奴らだというのはわかった。バニタスの顔が苦々しいを通り越して怒ってるよ。
「教皇国の、治安維持部隊は?」
「さて。彼らも外交問題になりかねないことには、うかつに介入できないのやもしれませぬ。……急ぎ、この惨状を聖都ソロイルまで報せて欲しいと、頼まれ申した」
「そんな申し訳なさそうな顔をしてくれるな。もちろん、ソロイルまで急ぐとしよう」
「かたじけない」
 バニタスに深々と頭を下げられ、僕はアレコレ思案を巡らせるのだった。