160 良心の置き所


 教皇国内では、やっぱり『マダム・マリュー』がいた方が、なにかと融通が利くという事で、スハイルにはまた女装してもらっている。
「ナスリンやハニシェにやってもらった方がいいと思うのですが」
「無理です! ただのメイドだった私には無理です!」
 ナスリンは全力で拒否するのだが、スハイルだって従僕しかやったことないと思うよ。
「スハイルさんは堂々としていらっしゃいますからね。私たちのようなメイドですと、どうしても所作が遠慮がちになってしまいますし」
「それは褒めているんですか、ハニシェ?」
「当たり前じゃないですか。坊ちゃまのお役に立てることこそ、使用人の誉れです」
 スハイルが丸め込まれている。ハニシェも強くなったなぁ。
「……貴君らは、常日頃、このような雰囲気なのか?」
「まあ、だいたいは」
 ニーザルディア語はわからないはずのバニタスにまで呆れられている気がするけれど、うなずくソルを否定しようとは思わない。だいたい、いつもこんな感じだし。
「平和が一番だよねぇ、ファラ?」
「あい!」
 僕と遊んでいるファラは、キャッキャと楽しそうだ。平和の意味は、たぶんわかっていないと思う。
 セーゼ・ラロォナを出て、ライシーカ教皇国に入った僕らは、国境まで迎えに来てくれていたバニタスと合流して、フェブラー家が治める地へ向かっていた。

「ようこそ」
「突然の訪問、ご無礼仕る」
 笑顔で迎えてくれたセドリック・フェブラーは、ベルマーゼよりは若そうだが、すでに家督を子供に譲り、隠居生活をしているそうだ。僕たちを泊めてくれた大きな屋敷も、本邸ではなく彼専用の別荘だとか。
 フェブラー家は、正確には貴族階級ではなく、地方豪族というか、大地主が周辺の食い詰めた人間を小作人として吸収していったら、ちょっと大きくなりすぎた、というパターンだった。
「某の母はフェブラー家の遠縁にあたる者で、ジョセフ・ベルマーゼ閣下に求婚したが、断られたそうだ。それでも閣下の子供が欲しいとごねたそうで、生まれたのが某でござる。ところが、子供を欲しがった本人がさっさと死んでしまったので、フェブラー家で世話になった次第で」
 バニタスが苦笑いで教えてくれた出生の経緯に、僕も微妙な顔にならざるをえない。お硬そうな教皇国のお嬢様にも、そんな型破りな女性がいるんだな。
 ベルマーゼは元婚約者を慕っていたが、当時もあまり自分を大事にしていないように見えて、セドリック卿は心配していたらしい。少しでも人並みの幸せと、無茶をしないストッパーになればと思ったそうだ。
 だが、諜報局の長官として、常に命の危険にさらされていたベルマーゼは、我が子の安全をセドリック卿に託した。おそらく、それは当然の判断だろう。
「やっと引退したと思ったら、挨拶もそこそこに国を出て行ってしまって……。まあ、奴らしいと言えば、そうだが」
「セドリック卿と御家族を、危険に巻き込みたくないという考えかと」
「本当に。もう少し、頼って、安全だと思ってくれてもいいだろうに」
 安楽椅子に深く腰掛け、何度も頷くセドリック卿は、本当に良い人なのだろう。ゆったりとした深みのある笑顔は、どことなくバニタスも似ているような気がする。
(ベルマーゼにとって、セドリック卿がすでにストッパーというか、良心の置き所だったのじゃないかな)
 例えば、僕にとってのハニシェのような……。
 肉親を奪われ、幼くして諜報社会に取り込まれたベルマーゼは、ともすれば自身にすら冷酷を向けてしまえる孤独を、セドリック卿がいることで人間として留まれたのではないか、と思ってしまった。
(実際、人間をやめさせられたかもしれないからな。自分がいつ『失敗作』のようになってしまうか……考えただけで怖いぞ)
 ベルマーゼは、ずっとその恐怖と戦ってきたのかもしれない。そう考えると、たとえ自分が化物になったとしても止めてくれるだろう迷宮で暮らせるのは、案外心の平穏を提供できているのではないだろうか。そんな気がしてきた。
「あのジョセフが、わざわざバニタスを付けて寄越すくらいだ。君が重要人物であることは、私でもわかる。道中の無事を願っているよ」
「かたじけなく存じます」
 ベルマーゼから依頼を受けていたようで、僕たちが教皇国内を自由に移動できる身元保証書……ビザみたいなものだな。それをセドリック卿から受け取り、僕たちはバニタスを伴って、再び旅路を急ぐことにした。

 フェブラー家の領地は教皇国の南西部にあり、オーファリエに通じる街道へも楽に行けた。
 しかし、街道を行き来するのは、鉱石を積んだものか、食料などを積んだものかのどちらかで、人が行き来している様子は少なかった。
「南部の様子とは、だいぶ違うな」
「むこうは、人も物も、たくさん移動していましたよね」
 ハニシェが言う通り、セーゼ・ラロォナからフェブラー領までの間は、けっこう賑やかで明るい雰囲気だった。
 それなのに、オーファリエへの道を行き来する人の顔は、妙に薄暗い雰囲気をしている。
「なんだか景気悪そうだね」
「少し、話を聞いてみましょうか」
 ソルがバニタスと一緒に、鉱石を積んだキャラバンに話を聞きに行ってくれた。
「わかりました。原因はエル・ニーザルディアです」
「は?」
 エル・ニーザルディアは、現在カルモンディ渓谷に出現した『栄耀都市カペラ』をめぐってオルコラルトと小競り合い中であり、そろそろリンベリュートからの仲裁が入る頃だ。
「オーファリエとエル・ニーザルディアって、道は繋がっているけど、交易はあんまり盛んじゃないよね?」
 首を傾げた僕に、相変わらず女装したままのスハイルが、口元を扇で隠して頷いた。
「あそこは道も険しいので、通常の交易ではなく、僧侶と技術者の往来が多いのです。つまり、稀人の知識と、それが用いられた高値が付く品の売買ですね」
 エル・ニーザルディアが持っている知識は比較的古いが、大賢老シュナミスが持ち出したもので、現在の教皇国では一般的にはあまり知られていないものも多いらしい。
 そして、教皇国側からは、ニーザルディア建国後に入手された知識が入ってくる。エル・ニーザルディアには技術者が多いので、それらの知識は盛んに活用されることだろう。
「それと、もうひとつ。鉱山労働用の、奴隷売買です」
 いっそう低められたスハイルの声は囁くように小さかったが、僕の目つきが剣呑になったのは仕方がない。
「そういえば、平民は家畜と変わらないんだったな。あの国は」
 貴族に逆らったか不興を買ったかして、奴隷として売り飛ばされた平民は少なくないと予想される。
「それで、エル・ニーザルディアとオーファリエは、なんでこのタイミングで?」
 角を突き合わす時期が予想よりも早いと思った僕に、ソルはわずかに顔をしかめてみせた。
「貴族と教会が仲違いしたらしく、僧侶がこちらに流れてくる代わりに、奴隷が入って来なくなったそうです。旦那様が予測されたように、鉱山周辺でかなり病気が蔓延しているみたいで、人手が足りないんだとか」
「わぁお……」
「エル・ニーザルディアの僧侶は鉱山で働きはしませんし、かといって病人の看病をするでもなく……。素通りして、教皇国に入っているみたいです」
 あまりの身勝手さに頭痛がしてきそうだったけれど、バニタスも同じ思いなのか表情が苦々しい。
「鉱山の調査も、病気の調査もしないどころか、病人の看護すらしようとしないとは……!」
 オーファリエ側からの要請、もしくは許可が無ければ現場に立ち入れないのだとしても、無視とか素通りとかはねーわ。仮にも聖職者だろうに、金にならない事は、徹底してやらないのだとしたら、いっそ清々しい。
「教皇国の医療団を呼んでいるそうなのですが、しばらくは近付かない方が良さそうです。エル・ニーザルディアとの国境も、封鎖されるかもしれないと」
「なるほど。事のついでに、鉱毒の流出やカルモンディ渓谷の土砂災害の口を拭うつもりか」
 めんどくせーなー、とは思うけれど、そっちがその気なら、こっちもそれなりの対応をとるべきだろう。
(燿石の変質ついでに、これ以上、鉱毒がカルモンディ渓谷に広がらないようにしておこう)
 エル・ニーザルディアの肩を持つわけではないが、オーファリエと教皇国のやり方は気に食わない。
 内海経由なら教皇国へ使者を立てられるが、聖都ソロイルまでかなりの遠回りになる。時間稼ぎをしている間に、オーファリエの問題をなかったこと・・・・・・にしてしまうかもしれない。
「わかった。引き返して、聖都ソロイルに向かおう。この辺でたむろしている間に、エル・ニーザルディアの僧侶に絡まれたら嫌だ」
 方針を決めて馬車の向きを変えていると、オーファリエ方面から騒がしい声が聞こえてきた。
「いいから、ここから出しなさい! 無礼者!! わたくしはオスボーン侯爵令嬢でしてよ!? きゃっ! ちょっと、もう少し静かに運転できないの!? 誰か! クッションを持ちなさい! ああんっ、もう! 誰か! ここから出しなさぁいっ!!」
 ガラガラガラガラ……、と過ぎ去っていくのは、どう見ても奴隷運搬用の檻車だ。
 そして、鉄格子越しにキーキー叫んでいる声と、ふわふわした薄ピンク色の髪は、なんかどこかで見たような……。
「ショーディー殿?」
「え? ああ……、なんでもないよ。それより、オーファリエを助けに行きたいだろうに、申し訳ない」
「今はショーディー殿たちの案内と警護が、某の任務でござる。お気になさるな。オーファリエには、某以外の者が、指令を受けて行くはずでござれば」
 修行僧としての行動よりも、ベルマーゼの命令が優先だと、バニタスは僕を馬車に押し戻すのだった。