155 失敗作未満


 バニタスも国境越えの列に並んでいたのは、本当に偶然だったらしい。
「招集と同時に、貴殿を探せとも命令されている。必ず、セーゼ・ラロォナに来るはずだと」
「それは、貴方の父君に?」
「なぜ知っている……と訊ねるのも無益か。閣下が招致を望まれるわけだ。ただ、某の父親は、一応セドリック・フェブラーということになっている。できれば、内密に」
 ティーテーブルを挟んで僕の前に座ったバニタスは、どこか困ったような笑みを浮かべた。
 落ち着いて話せる場所に行こうと提案し、いま僕らは国境の町ルーデンで一番高級な宿屋に入っていた。ここなら、貴族夫人が逗留してもおかしくない。
「僕も会いに行く予定だったから、探す手間が省けた。ジョセフ・ベルマーゼはどこに?」
「ポードニスだ」
 セーゼ・ラロォナの有名な保養地だと、ソルが付け足して教えてくれた。ルーデンから、馬車で五日ほどの場所にあるらしい。
「わかった。リンベリュート王国貴族、マリュー夫人宛に招待状をくれ。怪しまれずに訪問しよう」
「了解した。間違いなく閣下に伝えよう」
 ポードニスの高級宿で落ち合うことを決めると、バニタスはすぐに出立していった。
「迷宮は恐ろしい所だ。敵対すべきではない。そう伝えたのだが、祖国は派兵を決定した」
 そう囁きを残して。
(あらまぁ。まぁ、バニタスはベルマーゼ派だからなぁ。原理主義派とも軍閥とも繋がりがあるロッダニーモが、そんなこと聞くわけねーわな)
 リンベリュート王国での失態が響いている現在、ロッダニーモは競争相手のベルマーゼがいなくなったのを好機と見るだろう。派兵を主張するのはわかりきっていた。
(とにかく、いまはベルマーゼに会うのが先決だ)
 分厚いカーテンに包まれた教皇国の最奥、その秘密に指先がかかったような気がして、僕は期待と恐れに胸がざわめくのを押さえられなかった。


 五日後、ポードニスに着いた僕たちの前に再び現れたバニタスは、ベルマーゼからの招待状を携えており、二日後の会談日に迎えの馬車を寄越すと言ってきた。
「旦那様を暗殺するつもりでしょうか」
 護衛として神経質そうに眉を寄せるソルに、僕は肩をすくめてみせた。
「そんなあからさまなことはしないでしょ。ベルマーゼ自身の建前とか警護の都合じゃない? まあ、こっちの度胸を試す意図はあるかもしれないけど」
 最後をケタケタ笑って付け足すと、ソルの方ががっくりと肩を落としてしまった。
「うちで一番度胸があるのは旦那様ですからね」
 女装したままのスハイルが、何か言ってソルを慰めている。
 こんなに繊細でぷりちーな美少年を捕まえて、神経が図太いみたいなこと言わないで欲しいな。僕は慎重派だよ? 中身はオッサンだけど。
 なんやかやで、二日後に迎えに来た馬車は、王族でも乗せるのかというほど、それはもう立派なものだった。六頭立てなんて初めて見たよ。
 箱車は僕ら全員が乗れるほど大きかったし、ポードニスの道が整備されているせいもあるだろうけれど、迷宮製と変わらないくらい揺れを感じなかった。
(稀人がもたらして、教皇国が秘匿している技術なんだろうなぁ)
 尻で座面のふかふか具合を堪能していると、すぐにベルマーゼの屋敷に到着した。
 僕とソルは使用人らしく先に馬車から降りて安全を確認し、ハニシェにエスコートされて降りるスハイルを待った。ファラはナスリンが抱えており、ソルが降りるのを手伝った。
(ふーん。四、五人、ってとこか)
 こっそり迷宮範囲を広げて、僧籍を所持しているために反発の手応えを返してくる人数を確認する。広い屋敷の中には使用人が二十人くらいいたが、バニタスのように戦える者は、片手で数えるほどしかいなかった。門の警備員も、形だけだろう。
 おそらく、貴族階級の別荘として建てられたものだろう。見える限り、庭は綺麗に整備され、案内されたエントランスも瀟洒なものだった。
「よくいらした、マダム・マリュー。楽にしておじゃれ」
「本日はお招きいただき、恐悦至極にございます。ベルマーゼ閣下」
 ニーザルディア流の優雅なお辞儀と、一夜漬けで覚えた教皇国語の挨拶で乗り切ったスハイルは、貴族らしいといえばそれまでだが、女にしては堂々とした歩調で、出迎えた老人に付いて行った。僕らも遅れずに付いていく。
(あれが、ジョセフ・ベルマーゼか)
 教皇国の宮中言葉らしい、聞き慣れないイントネーションでしゃべるので、僕の脳内では時代劇に出てくる白塗りのお公家がしゃべっているような印象を受けた。
(見た目は老人だけど、脱ぐとすごいとかありえるな)
 ベルマーゼは六十歳と聞いていたが、深いしわが刻まれた顔は、もっと上に見える。七十を越えているといっても驚かないが、姿勢や歩き方はピンシャンしており、まとう空気もどこか鋭く感じる。
(バニタスとは、あまり似ていないな)
 ベルマーゼからは、バニタスのような素朴さは感じられない。体格は似ているかもしれないが、教皇国人の体格はたいてい大柄なので、僕には判断がつかなかった。
 通された応接室は暖かく、花瓶にはいっぱいの生花がいけられていた。セーゼ・ラロォナは春が早いとはいえ、甘い香りを漂わせる鮮やかな花々は、温室で栽培されたものだろう。客を迎えるにあたって、隅々まで、嫌味のない贅沢を感じた。
「ずいぶん歓迎されたな」
「礼節の範疇でおじゃるよ」
 スハイルが示されたソファに座らず、ハニシェやナスリンたちと同じ随行人用の椅子に座る。ベルマーゼの向かいには、僕が座った。僕の後ろにはソルが立ち、通訳の助けもしてくれる。
 ベルマーゼの使用人たちはお茶を出したら壁際に下がったが、その全員がバニタスを含む戦闘員だった。外の警護はいいのだろうか……いや、護るべきはここだけなのだろう。
「それで、僕に何を望む?」
「気忙しいわらべでおじゃるな。せっかくの歓迎を堪能してこそ、招かれた者の礼節でおじゃるよ」
「それはご無礼仕った。日々に追われる粗忽者ゆえ、ご勘弁いただきたい。魔族を落とされても余裕を失わないとは、やはり閣下は傑物でいらっしゃる」
 八歳児から大上段に放たれた皮肉に、さすがベルマーゼはニコニコしているが、ベルマーゼの使用人たちから怒気が噴き上がる。
(なるほど、ここにいるのは全員ベルマーゼに心酔している子飼いという事か)
 僕の後ろで剣の柄に手をかけたソル同様、主のためには身命を投げだすに躊躇いのない連中だ。
「ソル、忠誠篤い者たちだ。控えろ」
「ほっほっほ。堪忍してたもれ。アレには肝が冷えたでおじゃるよ。おかげで、セーゼ・ラロォナの燿石製品が壊滅状態だとか。まあ、各地の迷宮都市で仕入れさせた魔道具があるゆえ、この屋敷は不便しておじゃらぬが」
(やっぱり僧籍を持たない人間も使ってたか)
 僧籍を持っているか、過去に持っていた人間は、『聖懲罪府スピカ』を除いて迷宮に入れないようになっている。それなのにベルマーゼが迷宮都市製の物を持っているのは、一見無関係な人間を手先として使っているからだ。
 それはそうと、稀人への健康被害対策で、迷宮に持ち込むと燿石を使った道具が壊れることがあるって噂で流していたけど、魔族並みの高濃度魔力に晒されると本当に壊れるんだな。いいこと聞いた。
「……お前たちも控えよ。無駄に命を散らすことはないでおじゃる」
 ベルマーゼに言われたのに、まだこちらを睨んでいるような気配がするけれど、まあいい。
「時間がないのは、そちらの方だと思っていたが?」
「困ったことに、まったくその通りでおじゃる」
「ここの連中に聞かせても良いのか?」
「できれば、そこもととのみ、話がしたいのう」
「教皇国語は苦手だ」
「では、ニーザルディア語ならよろしいか」
 いきなり飛び出した標準ニーザルディア語に、僕の方が少々のけぞった。最初からそっちでしゃべってほしい。
「……わかった。サシで話そう」
「話が早くてよろしい」
 ベルマーゼが自分の使用人たちを下げさせたので、僕もソルたちに退室を促した。
「旦那様……」
「僕は大丈夫。それよりも、ソルとナスリンとファラは、無傷でリンベリュートに帰らなきゃいけないんだから。しっかり身を護って」
 心配そうなソルやハニシェ達を見送り、二人きりになった静寂の中で、僕はあらためてベルマーゼに向き直った。
「まだ名乗っていなかったな。ショーディーだ。よろしく?」
「ジョセフ・ベルマーゼと申す。最初に投げ与えられた名は、『失敗作未満』」
「失敗作、未満?」
 なんてひどい名をつけるのか、それともそういう風習かと思ったが、そのどちらでもなかった。
「ニーザルディアで、なにか見たかな?」
「ミストのことか? “障り”と残留思念が凝り固まった……まさか」
 ベルマーゼの年齢を考えれば、ニーザルディア崩壊とおよそ同年代だ。
「作成者が望んだ成功品はなし。失敗作は廃棄箱に詰め込まれ、どこかに運ばれて行った。そして、成功にも失敗にもならず、偶然にも“変化なし”として唯一生き残ったのが、私だ」
 長い眉と皺の奥から、底冷えのする眼光が憎悪をみなぎらせていた。