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151 影を彩りし過去 −ベルマーゼ
ライシーカ教皇国、聖都ソロイル。
その北側には、大聖堂をはじめとした関連施設が建ち並び、なかでも教皇庁は城といっても過言ではない。 長年改修を続けた内装は意外と近代的で、厳しい冬の寒さもほとんど感じさせない。静寂に満ちた礼拝堂とは違い、滞らせられない政務を片付けるために、この辺りでは、常に低いざわめきが、各部屋から廊下へと漏れ出していた。 そんな廊下を、秘書を連れて歩いていたジョセフ・ベルマーゼは、向かいからこれまた大勢の取り巻きを引き連れたレオ・ロッダニーモと行き会った。 ジョセフ・ベルマーゼを視界に入れたレオ・ロッダニーモは、中年太りとは言い難いほど不健康に太った腹を揺らしながら、嫌悪を隠すように目を細めた。 さもありなん。 同じ枢機卿職にある彼らは、互いに教皇の下で競争相手であり、政敵といっても良かった。つい先日も、ロッダニーモの手の者と思われる暗殺者が、ベルマーゼを狙撃しようとして失敗したばかりだ。 「これはベルマーゼ殿。ご機嫌いかがでおじゃるかな?」 「ごきげんよう、ロッダニーモ殿。ちょうど、ご挨拶に伺おうと思っていたところでおじゃる。ここでお会いできて僥倖。貴公はご多忙でいらっしゃるゆえ」 この程度の嫌味など、通常の挨拶に含まれるため、双方ともににこやかな表情の変化はない。 「挨拶とな? どこぞに視察でも行かれるのでおじゃるか?」 「いえいえ。実は、このたび職を辞すことになりもうした。教皇猊下からもお許しを得ましておじゃる」 その瞬間のロッダニーモの驚いた顔は、喜びを隠す演技半分、素が半分といったところだったろう。しかし、その大袈裟さは、ベルマーゼですら苦笑いを溢すほどだった。 「なんと! まことでおじゃるか!?」 「まことにおじゃりまする。このところ、体が不調を訴えることが多く、今年の寒さで限界を悟りまして……。ほほ、寄る年波にはかなわぬでおじゃりますよ」 「よもや、よもや! あの剛毅よ、益荒男よと、誉れ高きベルマーゼ殿が! 教皇猊下も、さぞお引止めになったのではおじゃりませぬか」 「まこと、ありがたいことに。しかして、耄碌した判断で、猊下や皆々様の御迷惑になっては末代の恥。引き際も肝要、と心得ましておじゃる」 医者からも引退を勧められたのだと恥ずかしそうに言えば、ロッダニーモも心配そうに眉をひそめてみせた。 「そこまでお加減が……お労しいことよのう。では、御領地にて静養されるのでおじゃるか」 「それが、もう少し暖かい所を勧められておじゃりまする。跡継ぎもおりませんで、領地も返上いたした。さいわい、セーゼ・ラロォナのポードニスに、知人に頼まれて買った屋敷がありまするゆえ……終の棲家にしてもよいかと」 「おお、ポードニスはいい所でおじゃるな。風光明媚で、治安も良いとか。そうでおじゃるか……寂しくなりもうすが、御身をよく労わられるように」 「ありがたきお言葉。ロッダニーモ殿も、ご自愛の上、健勝であられるように」 半分以上が社交辞令と、虚偽と真実を混ぜた情報戦だとしても、表面上は麗しく握手を交わした。万事、何事もなく平和であると見えれば、それでよいのだ。 「おや」 ロッダニーモの視線が自分の肩を通り越し、ロッダニーモの取り巻きたちも道を開けるよう隅に寄ったので、ベルマーゼも振り向いた。 やってきたのは、ずいぶんくたびれた風体の男。着ている物はベルマーゼたちに劣ることはないし、年若い。しかし、肩を落とし、うなだれた顔色はよくない。 「ごきげんよう、ロマニス殿」 「……大丈夫でおじゃりまするか?」 「あ……はい。ごきげん、よう……」 教皇庁の重鎮であるロッダニーモとベルマーゼから声をかけられたというのに、エルネスト・ロマニスはほとんど虚ろな返事をしただけで、とぼとぼと歩き去っていく。 「……本当に、大丈夫でおじゃるか、あの 「ご息女が、巫女頭候補になったという噂でおじゃるよ」 「なるほど。それで最近位階が上がったのでおじゃるか」 実子であろうと、自分の出世に使えるなら文句はないロッダニーモには感慨がないようだったが、子煩悩として知られているロマニスには、ひどいショックだろう。 ベルマーゼには、ロマニスの心が捩り切れそうな悲しみが、痛いほど理解できた。 ロッダニーモと別れて自分の執務室に戻ってきたベルマーゼは、退去の片付けのために一時的に雑然とした室内で、届けられた手紙の束に素早く目を通した。そのうちのいくつかに返事をしたため、またいくつかの手紙は、パチパチと音を立てる暖炉にくべた。 ベルマーゼは今年六十歳を迎え、平均寿命から言えば、いつ死んでもおかしくはない老人だ。若い頃に鍛えた体にガタが来ているのも、本当だ。 (しかし、まだ死ねん) 生涯をかけて探った秘密を、誰かに受け継がせなければならない。しかし、その相手がいままでいなかった。 頼まれて作った婚外子が、意外なほど優秀ではあったものの、あれは性格的に純朴すぎて、ベルマーゼが扱う仕事に向かない。 (いや。母に似て、真っ直ぐな善い人間に育った。育ててくれたセディに感謝せねば) 辺境に領地を持つ友人にも、後で訪ねる旨の便りを出しておこうと、頭の隅に留め置く。 ジョセフ・ベルマーゼは、敬虔なグルメニア教徒……ではない。 その皮を厳重に被っているだけで、彼の心は遠い過去に置いてきたままだ。 例外的に、「 (ライシーカめ……化物め……!) 心の奥底で、熾火のような憎悪を燃やし続けた。誰にも悟られることなく、ただ心の中だけで、血の涙を流し続けた人生だった。 あまりにも秘密が多く、それ以上に敵が多いベルマーゼのそばでは、とても子育てなどできない。だから、辺境に住む友人に、養育費と共に子を託した。 最近になって、その子が……バニタスが、迷宮都市に関わりが深いと目されている子供と接触を果たした。 フロダ国の暴力姫に邪魔をされてしまったようだが、ファーストコンタクトとしては悪くない感触のようだ。バニタスにはその後、『聖懲罪府スピカ』の調査を続けさせているが、一度手元に戻した方が良さそうだ。 (我一代では成し遂げられなかった。だが、迷宮ならば、あるいは……) 大陸の各地に忍ばせた諜報員から送られてくる迷宮の情報を、ベルマーゼは一手に握っていた。もちろん、ベルマーゼ以外に属する教皇庁の諜報員もいるが、教皇国やグルメニア教に属さない人間も使っているのは、ベルマーゼ以外にいないだろう。 それだけ、教皇国の人間は傲慢であり、同時に柔軟性に欠けていた。ベルマーゼとしては、初動の鈍さに付け入ることができる。 現在、現地の冒険者ギルドを除いて、一番迷宮都市とダンジョンに詳しいのは、ベルマーゼをおいて他にいないだろう。 そして、迷宮都市と関わりが深いと目されている子供、ショーディー・ブルネルティが、セーゼ・ラロォナ出身の奴隷を従えており、いずれセーゼ・ラロォナに入国する可能性は高い。 (油断するな。国を出たとしても、監視が付く) 護衛を雇うにはリスクがあるが、そうしなければならないほど、自分の肉体は衰えているのだ。まったく、老いとは憎らしい。 バニタスがいれば、自分と、ショーディーの近辺は護れるだろう。しかし、正規軍に囲まれるようなことになれば、自分が囮になるほかない。 (国外へ脱出するついでに、何人か連れていけるか) あまり大人数では怪しまれるが、子飼いの人員なら……。 「お茶をお持ちしました」 「入れ」 即座に思考を切り替えたベルマーゼは、失礼します、と入ってきた秘書が茶器を用意するのを横目に、机の上を片付けた。 ソーサーに載った真っ白な陶器のカップには、スパイスが入ったミルクティーが満たされ、甘い香りが立ち上っている。 目の前に置かれたそれを、ベルマーゼはにこやかに秘書へと押しやった。 「毒見が済んでおらぬ」 「はっ」 秘書は顔色も変えずにミルクティーを飲んだが、数秒後には泡を吹いて床に転がった。 床に転がった陶器は欠け、毒入りミルクティーが秘書の死体と絨毯に染みを作っていく。 「ふむ。こやつは無実だったかのう?」 しつこいロッダニーモでなければ、疑り深いサストーガか、あるいは身の程知らずのノブゴルドか、それとも……。 (ロマニスの逆恨みか) 今代の巫女頭の老衰に伴い、ロマニスの娘が候補に選ばれてしまった。 (ヴェロニカ……すまぬ) 次の犠牲を防げなかった。その忸怩たる思いが、婚約者だった女への謝罪となって、ベルマーゼの胸に零れ落ちるのだった。 |