150 虚栄と嫉妬のダンジョン


 誰にも会話を聞かれない場所……と考え、スハイルはハニシェと一緒に短い休暇を取り、『栄耀都市カペラ』にあるレストランの個室を選んだ。周囲にアルカ族しかいないのであれば、仮に聞かれたとしても問題はないという判断だ。
 ここはグランドホテル「ダイヤモンドダスト」の上層階にあり、カペラの夜景を一望にできる。そんな素晴らしい眺めをちらりと見ただけで、場に相応しくめかし込んだ二人は、真っ白なクロスがかかったテーブルに差し向かいで座った。
「自分の働き過ぎは棚に上げて、使用人の休暇を喜ぶ、変な旦那様を持ちましたよ」
「使用人の休暇を喜ぶところが、坊ちゃまらしい良い所です。ですが、働きすぎも同意です。ご実家にいる間は、少しでも休んでいただきたいのですが」
 食前酒が満たされたグラスが掲げられる。
「旦那様の旅の無事を祈って」
「坊ちゃまが来年もご実家に戻られることを祈って」
 箱庭で暮らすようになってから、二人はショーディーに迷宮流のテーブルマナーを教えられた。いまも、テーブルに並んだカトラリー選びに戸惑いはない。
「とりあえず、旦那様はセーゼ・ラロォナ組のことは了承されたな」
「ソルさんも戸惑っていましたけど、おめでたいことです」
 ブルネルティ家の子供たちを取り巻く状況は、日増しに危険を帯び始めているとショーディーも認識していた。
 急いで仕事を片付けて、必ず一年で戻ってくるようにと、母のフォニアに約束させられていたが……。
「ハニシェは、旦那様が成し遂げようとされている事の全貌を、ご存じで?」
「いいえ。私ごときが知るものではありません。ですが……教皇国を潰して、邪神を復活させたい、とは言っていましたね」
「……旦那様らしい」
 前菜を咽ずに飲み込んだスハイルが遠い目になるのを、ハニシェは悪戯っぽく微笑みながら眺めた。
「それで、スハイルさんが聞きたいのは、それだけですか?」
「まさか。旦那様と一番長くいたハニシェなら、気付いているのではないかと思ったんですよ」

―― ショーディー・ブルネルティは、稀人である

 スハイルの金色の目に見詰められたまま、ハニシェはにこりと他所行きの笑顔を浮かべた。
「これでも私は、坊ちゃまが乳飲み子の時からお世話をして参りました。坊ちゃまは確かに、領主さまと奥様の御子です。ですが、少し変わった御子であったということも、証言できます」
 一般的とは言えない価値観で周囲を戸惑わせることなど日常茶飯事だった、とハニシェは微笑む。
「ですが、坊ちゃまが何者であろうと、私にとっては、どうでもいいことです。辺境の鉱山町出身の小娘であった私に、『ハニシェはついてきて』と言ってくれたのは、坊ちゃまです」
「ハニシェは、怖くないのですか?」
「怖い?」
 スプーンを持った手を止めて、きょとんと目を瞬いたハニシェに、スハイルは頷いた。
 類稀なスキル【環境設計】を持ち、迷宮の支配者として地上を混乱させるショーディーではあるが、その真意は稀人を保護し、この世界をあるべき姿へと導くことだ。
 だが同時に、彼の「この世界の人間嫌い」は、スハイル達にも時折感じられるほど苛烈だ。ショーディーはなるべく隠しているつもりらしいが、彼の言動や無言の圧に、背筋がぞわりとそそけ立ったことは幾度もある。
「うふふ、まさか」
「自分は対象外だと、考えているのか?」
「そうじゃありませんよ」
 スハイルは甘い認識だと指摘したが、ハニシェは緩く首を振った。
「私は坊ちゃまのお世話係です。坊ちゃまの理想がいくつ国を滅ぼそうと、坊ちゃまが欲して人々の命が積み上がろうとも、最期まで付き従うのが私の役目で矜持です。そうあれと望まれたのが、坊ちゃまですから」
 自らを差し出すことなど、とうに織り込み済みだとハニシェは微笑んだ。
「スハイルさんは、そうじゃないんですか? ……大人ぶっていないで、羨ましければこちらへ来なさればいいのよ」
「私は既に大人です。ですが、まぁ……」
 人目がないのをいいことに、手袋を外してカトラリーを握る自分の手を見て、スハイルも自嘲する。
 流転する運命ならば、自分から面白そうな方へ、体ごと転がっていくべきだろう。自分はすでに、ショーディーから「一緒に来い」と許可を得ているのだから。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 むかし、むかし。
 貧民のカペラと、貴族のカペラがおりました。


 貧民のカペラは言いました。
「なんて窮屈な生活なのかしら」

 優秀な自分には、もっと綺麗な服や、立派な家が相応しい。
 それなのに、毎日の食事にすら困るなんて。
 憧れて、虚しくて、たまらない。

「私はもっと豊かな世界にいるべきよ」


 貴族のカペラは言いました。
「なんて窮屈な生活なのかしら」

 なんでも意思を通したい自分には、自由な外の世界が相応しい。
 それなのに、閉じ込められ、指示ばかりされるなんて。
 羨ましくて、妬ましくて、たまらない。

「私は自由に生きたいの」


 ある時、出会った二人は言いました。
「「あなた、なんて素敵な生活をしているの!」」

 そこで、二人のカペラはお互いを交換しました。

 貴族のカペラは貧民に。
 貧民のカペラは貴族に。

 これで二人は満足です。


 貴族になったカペラは、毎日がとても充実しています。
 お勉強に、お作法に、覚えなければならない事はたくさんあります。
 それでも、毎日美味しい物を食べて、毎日温かなベッドで寝られます。

 ひとつ不満があるとすれば、上を見上げればきりがないという事です。
 カペラより優秀で、カペラより綺麗で、カペラより豊かな人は、たくさんいました。
 いくら美しく見栄えを良くしても、誰もカペラを褒めてくれません。

「どんな手段を使っても構わない。私を一番にして!」

 貴族になったカペラは、そう願いました。


 貧民になったカペラは、毎日が刺激的でとても楽しく過ごしています。
 時に涙、時に血を見て、奪い、奪われ、騙しあい、暴力があります。
 それでも、誰にも縛られず、自分のしたいことを自分で決められます。

 ひとつ不満があるとすれば、誰の心もカペラに向かない事です。
 カペラより弱く、カペラより鈍く、カペラより貧しい人は、たくさんいました。
 いつだってカペラが好きな人は、カペラ以外の誰かを好きでした。

「どんな手段を使っても構わない。私を一番にして!」

 貧民になったカペラは、そう願いました。


 だから、ダンジョンはその願いを聞き届けました。

 誰にも手の届かない天辺で、綺麗なドレスを蝶のように広げたカペラ。
 誰からも見上げられるのに、なにも成すことができません。

 誰もが追い求める地下深くのさらに水底で、金銀宝石にその身を変えたカペラ。
 誰からも求められるのに、誰も愛することができません。


 望みが叶った、かわいそうなカペラたち。
 大事なものを置き去りにした、その報いを受けたのです。

 まるで鏡写しのように、天と地へ延びる、カペラたちのダンジョン。
 それを人々は憐れみを込めて、「虚栄のダンジョン」「嫉妬のダンジョン」と呼ぶようになりましたとさ。


              グリモワール 「絵本:カペラのダンジョン」 より