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141 天外倫理 −バニタス
モンタレの町で出会った奇妙な一行を見失ってからも、バニタスは各地の教会に宿を取りながらフロダ国を歩き回っていた。
彼の第一の仕事は、グルメニア教に則った修行と布教、そして害獣退治であるが、それ以外に各地の情報を探るという諜報員の側面があった。もちろん、バニタスはそれを承知しているし、教会に立ち寄るたびに、本国との連絡員に情報を渡している。 彼の帰属意識も忠誠もライシーカ教皇国とグルメニア教にあったが、その本能が赴く先に霧がかかっていることは、もうずっと前から認識していた。 平民とは言い難い自分の出自、常人にない強さ、積み重ねてきた修学と研鑽……。歩んできた人生に不満も後悔もないが、そこに自分の意思があったのかと自問することは避けていた。 「迷宮都市?」 本国からの連絡員が伝えてきたのは、迷宮都市を調査せよというものだった。 「先の稀人召喚儀式が行われた時期より、迷宮都市やダンジョンと呼ばれるものが、リンベリュート王国を中心に出現しているそうです」 「リンベリュート王国まで行けと?」 「いいえ。バニタス殿は、フロダ国に出現した迷宮都市を調査していただきたい。冒険者ギルドによると、その迷宮都市だけは、教会関係者でも入場できるそうです」 「はぁ?」 聞いたことのない情報ばかりで、最初から話を聞こうにも、連絡員もよく知らないのだと返された。 「我々よりも、冒険者ギルドの方が詳しいようです。迷宮都市に入場できるのは、基本的に冒険者証を持っている者だけらしいので」 「わかった」 害獣討伐のために冒険者証を持っているバニタスは、急ぎ王都アローダインの冒険者ギルドまで赴き、必要な情報を得て、かつてのルスサファ領にある魔の森まで行くことにした。 「しかし、ずいぶん慌ただしいな。これも迷宮都市とやらのせいか?」 陣頭指揮のためにギルド長トニエスタすら現地に向かっているらしく、アローダインの冒険者ギルド内はバタバタと騒がしかった。 ギルド内の事は自分には関係がないと思っていたバニタスだが、彼らが慌てていた原因を迷宮都市『聖懲罪府スピカ』で目の当たりにして言葉を失った。 森の中に出現した、都市まるごとが大地から天空に向けて伸びているような巨塔。 近くの村から続く道は、最近切り拓かれたのか、草の匂いが木枯らしに混じっている。 冒険者に混じって歩いていると、粗末な衣類に身を包んだ愚者の刃と思わしき者も見かけたが、バニタスはギルドで得た注意事項を守って、何も言わず見逃した。 すべての信仰を受け入れ、すべての贖罪を見届けてくれる場所。それが、『聖懲罪府スピカ』だという。入場する前から余計な騒ぎを起こすのは得策ではない。 (……!?) 巨塔を擁する城門へ近づき、ふと見上げた時、バニタスは信じられない物を見た。 「あ、れは……」 建設途中なのか、それとも壊れているのか、巨塔のあちこちから足場のようなものが飛び出しており、そのひとつに鉄製の鳥かごらしきものが吊り下がっていた。 かなり視力が良いはずのバニタスでも、遠すぎて目を細めた。だが、風に揺れるその鳥かごには、服を着た人間が入っているようだ。 「……ああ、ご心配なく。アレは死体ですので」 立ち止まってしまったバニタスの視線を追いかけた、鳥の翼を生やした門番が、なんでもない事のように答えた。 「あれは、誰か?」 「まだ生き残っていた、ルスサファ国の王族か貴族の誰かですね。先日やってきて、この場所を寄越せと喚いていましたが」 門番ににっこりと微笑まれて、バニタスも何も言えず、そのまま冒険者証を提示して城門をくぐった。 まずは迷宮案内所という施設へ行くべし、という指示に従って、掃除が行き届いた綺麗な街路を歩く。物慣れなさに緊張気味な人間を、羽や皮膜の翼を持った者が穏やかに指導しているように見えた。 「っ、失礼!」 余所見をしながら歩いていたせいで、他の通行人にぶつかった。バニタスは慌てて謝った相手を見上げ、そのあまりの美貌に、心ならずも呆けてしまった。 「いえ、こちらこそ。お怪我はありませんか?」 「は、はぁ……」 かなり体格の良いバニタスよりも背が高いのに、男か女かわからないほど整った 「おや、その刀……もしや、バニタス殿ではありませんか?」 「そ、某をご存じで?」 「ええ。私はこの『聖懲罪府スピカ』を預かる、ルシフェルと申します」 ルシフェルは背に生えた純白の翼を嬉しそうに揺らし、バニタスに手を差し伸べた。 「ちょうどよかった。あなたは、レイチェル王女と面識がおありでしたね? 良い報せが来たので、ぜひご同席ください」 「は、はあ?」 「さあさあ」 まるで無邪気に手を取られ、バニタスはルシフェルに半ば引きずられるようについて行った。 そこはバニタスが入ろうとしていた迷宮案内所からほど近く、城門から真っ直ぐ進んだ先にある円形闘技場だった。 「サタナエル! 良い報せですよ!」 大きく手を振ったルシフェルは、観客席最前列の手すりに腰かけ、場内を眺めながら両脚をぶらつかせていた小柄な影に近づいていく。 こちらを向いたサタナエルは、黒髪に黒い角を生やし、黒い皮膜の翼を持つ、胸にいくつも勲章をつけた軍服姿の人物だったが、どう見ても少女だった。 「見てください。フロダ国王の直筆サイン入りです。要約すると『娘はどうなってもいいが、できれば国宝の鎧を返還してもらえると嬉しい』ですって。呪いが解除できるかもしれない方法まで教えてさしあげたのに、無情ですねえ」 (レイチェル王女、ここでも問題を起こしていたのか! 冒険者ギルドが慌てたわけだ。それにしても……) 相変わらず傍若無人なレイチェルと、彼女を切り捨てた判断は元より、稀人が作ったとされる鎧を要求するフロダ国王の厚かましさに、バニタスは絶句した。 それはサタナエルも同じだったらしく、愛らしい顔立ちの中で赤い唇を溜息のために開いた。 「そう。で?」 「たしかに稀人様お手製の貴重なものですが、鎧は進呈しましょう。あの鎧は、迷宮の外にあってこそ、意味があるのです。それに、あの程度の性能の鎧なら、迷宮からいくらでも出てきますし」 (は!?) バニタスは思わずひっくり返った声が出そうになったが、それは責められるものではない。レイチェルが着ていた鎧は、脱げない呪いがかかっていたが、それでも世界屈指の高性能な装備だったはずだ。何度か相対したバニタスの攻撃も、幾度となく無効化された。 (それが、いくらでもある、だと……!?) 驚きに固まっているバニタスの前で、サタナエルはわかったと頷き、柵を飛び越えて闘技場の中へ下りていった。 そして、壁にめり込んでいたなにかを引きずり出し、腰のホルスターから引き抜いた物を、無造作に向けた。 ドンッ! 手すりに両手をついてのぞきこんだバニタスが、長い髪が付いたまま散らばった頭蓋と脳漿と、大地に染み込んでいく血を見詰めている間に、係員らしき者たちが鎧を脱がせて回収していく。ルシフェルが「オーライ、オーライ」と、どこからともなく降ろしてきた鉄の鳥かごに、サタナエルがレイチェルだったボロボロの肉塊を放り込んだ。 「猛る魂に、救世主のお導きがあらんことを」 ルシフェルの厳かな祈りは、いっそ滑稽であったかもしれない。じゃらじゃらと重い鎖の音に続き、鉄の鳥かごはぶぅんと中空に舞い上がっていった。 「必要なのは鎧だけだ、ハンマーは処分しろ。あっ、首を刈って、鎧と一緒に送り届けた方がよかったか?」 「サタナエル、それはとても良いアイディアですが、アレは首級として扱ってよい人物ではありませんでした。ゲスにはゲスの死に様、というものがあります。だいたい、最後にサタナエルと戦えたことすら、あの痴女にはもったいないのですよ」 欲しがった鎧に同梱された、切り捨てたはずの娘の恨めし気な生首を見たなら、フロダ国王はひっくり返るかもしれない。 今回はそんなことにはならなかったが、必要とあれば、ルシフェルはやってのけるだろう。 「……で、次はお前か?」 サタナエルの金色の目に見詰められ、バニタスの首筋はざわりとそそけ立った。警戒態勢をとるどころか、膝が崩れないように踏ん張ることしかできない。 「謹んで、辞退させていただく。某の役目は調査であり、敵対ではありませぬ」 「ふん、つまらん」 「良いではありませんか。きっちり調査して、本国に報告していただきましょう?」 自分がここに 「慈悲深い救世主は、悔い改めた者の命まで無闇に取るなと仰せです。しかし『聖懲罪府スピカ』は、悔い改めない者の来訪も、歓迎しますよ」 たわわに実った麦穂を見詰める様な微笑みは、しかし命を刈り取る鎌の鋭さを秘めている。 それがわかったからこそ、バニタスは深く一礼の後、ルシフェルたちの前から踵を返した。いまは、強固な教義よりも、愛しい誇りよりも、たったひとつの命が惜しい。 「とても、楽しみです」 バニタスが背に聞いたルシフェルの足元に、太い鎖たちがじゃらりじゃらりと鳴りながら、蛇のようにわだかまっていた。 |