139 懺悔と贖罪


 オフィスエリアのミニ会議室で、僕はヒイラギから報告を受けつつ相談をしていた。
「んー、やっぱりまだ情報が少ないか」
「そうですね。ただ、無茶も出来ません」
 旧ニーザルディア領には害獣がいなかったのに、トルマーダ砂漠には巨大害獣がうようよいた。その差の理由は、まだわかっていない。
「ミヤモトは、ミストの発生条件と、害獣の餌の有無によると言っていますが、俺もそう思います。ですが、それを調べるためには、教皇国内に行く必要があります」
 つまり、餌の供給を教皇国がやっている可能性もあるという事で、僕の顔が渋い物を噛んだようになってしまうのは仕方がない。
「まあ、本丸に乗り込むには、ちょっと準備不足だな。その手前のことから、片付けていこう」
「はい。では、次の迷宮都市ですね」
 フロダ国、ジェルス国、そしてルスサファ国があった大陸北東部には、グルメニア教が入ってくる前は、各地で自然精霊信仰が盛んだったらしい。
 自然精霊と人間とを繋ぐ、ドルイドのような宗教指導者っぽい存在がいて、現在も教会の影響が届かない地方で、ひっそりと人々から敬われているらしい。
「ということは、彼らのことも刺激しない迷宮都市であればいいわけだ。どんとこい、愚者の刃」
 僕はこの大陸北東部に、『聖懲罪府スピカ』と『舞芸吟座ベガ』を出すつもりでいる。
 ベガは芸術の都として、音楽、舞踊、演劇などを中心に、文芸や絵画や彫刻といった、総合文化を提供していく。個人的には、楽器の製作や建築、魔法を使った演出なんかも、盛んに研究されるようになればいいなと期待している。
 対してスピカは、半壊したまま建っている『巨塔プルガトリウム』を中心に、各宗教の祈りの場が集まっている構造だ。そして、全迷宮都市の内、『聖懲罪府スピカ』のみ、グルメニア教の聖職者でも入場が可能とすることにした。
「なるほど。一時的にでも、教皇国の武力を引き付けるためですか」
「その通り」
 ヒイラギに言い当てられ、僕は嬉しいやら恥ずかしいやらで、へらりと笑った。
 教皇国が保有する武力は強大だ。リンベリュート王国に派遣されてきたような重装兵はたくさんいるし、他方ではバニタスのような個性もいる。
 また、稀人の知識を用いた兵器や兵站なども豊富であり、正面から歯向かおうとする国はいない。
「現在、リンベリュートとオルコラルトを中心に、ダンジョンや迷宮都市が認知され始めている。これから教皇国はこれらの国へ圧力をかけ、侵入できないのに正規軍を派遣する可能性もある。ところが、反対方向のフロダに、誰でも入場可能な迷宮都市ができたなら……」
「しかも、愚者の刃も入り放題で、世界中の宗教が容認される迷宮都市ですか。これは面白くなりそうですね」
「だろー?」
「処された魂が、毎日のようにダンジョンに入ってくるんじゃないですか? ボス、一度に何百人分も処理できますか?」
「あっ、俺の仕事が増えるから、その振り分けはヒイラギに任せるわ。基準的なテンプレ作っとくよ」
「了解しました。多い時は、俺の部下にもやらせていいですか?」
「いいよー。できるだけ悍ましくて変態的で臭くて情けない容れ物を用意しておくね」
 危ない、危ない。自ら過重労働を背負うところだった。
 ダンジョンのトラップやエネミーを考えるだけで、僕の脳みそはカロリーを消費しきってしまうのに、外から追加される手仕事までいちいちやってらんないよ。
「それで、教皇国本国から武力を剥がし、いよいよ突入ですか」
「それができたらいいけどね。無理だって、ヒイラギにはわかってるでしょ」
 さっきも言ったように、教皇国の武力は多い。各地に送ったって、まだ本国を護る分が、十分に残っているだろう。
「そうですね。戦力を分断、分散させることは賛成です。ボスはここから、兵糧攻めにするつもりでしょう? 教皇国の都市を迷宮で囲ってしまえば、聖職者は通れず、それ以外の人間はボスが放ったモンスターの餌食です」
「うふふふふ。ばれてーら」
「俺でもそうしますよ。それが、一番楽ですからね」
 僕とヒイラギは顔を見合わせ、ひとしきり、ニヤニヤと意地悪いな笑みを浮かべあうのだった。


 僕はフロダ国の冒険者ギルド長トニエスタから、通行許可と紹介状をもらえていたので、大山羊車は王都アローダインよりさらに東を目指していた。
「うーん、道は悪くないんだけど、検問が多いのはかったるいなぁ」
「その検問も、ハニシェの笑顔で、だいぶ通りやすいですよ」
 ハニシェと交代で箱車にいるスハイルに言われ、僕は頭を抱える。
「ハニシェの笑顔を、そんなことで安売りしたくないんだけどなぁ」
 可愛くて胸の大きな女の子の愛想とか愛嬌は、日照り続きな兵隊さんによく効く。わかる。僕だって男だし。だけど! だけど! もったいない!!
「これも使用人の仕事です。相手が男でなくて女なら、私が出ます。適材適所、効率的に結果が出せる役割があるというのは、良いことです」
「うぅ〜。スハイルが伯父上みたいなことを言ってる」
「仕方がありません。私はルジェーロに育てられましたので」
 くっそぅ、顔がいいのを自覚している男の余裕め。羨ましい!
「そのハニシェが言っていましたが、そろそろ、一度ご実家に顔をお出しになりませんか?」
「んえ?」
「旦那様は年末に誕生日がありますでしょう? きっと、ご両親たちが待っていると思うのですが」
「あー……」
 そういえば、春先に王都で別れてから顔を出していない。姉上に至っては、一年も会っていない。
「この辺をまわり終わったら、一度戻ってみるか」
「そうなさってください。旦那様のスキルで、こちらにも、いつでも来られるのでしょう?」
「うん」
 一度行ったことがある辺りには、簡単に迷宮範囲を出現させることができるので、僕は割と神出鬼没なことができる。
「……正直言いまして、この先に進むのも、お止めしたいくらいです」
 スハイルが綺麗な顔をしかめるのも理解できる。
 僕だって、危険を冒したくはない。必要だからしているだけだ。
「見境のない愚者の刃に襲われるかもしれないって、スハイルの心配もわかる。でも、土着の信仰を守っている、数少ない土地だ。できれば、祭司にも話を聞きたい。それに、もしかしたら、教皇国の巫女様とやらを、遠目でも見られるかもしれない」
 僕の譲れない理由をスハイルも承知している。だから、僕を止めないんだ。
「先日のようなことがあれば、場合によっては我々を置いて、旦那さまだけで逃げていただくこともありえます。それだけは、どうかご了承を」
「……わかったよ」
 時には護衛を見捨てて逃げる、これは護衛される身分である僕の責務だ。スハイル、ソル、ハニシェが全滅しても、僕さえ無事であれば、護衛としての任を果たせているのだから。むしろ、僕が無事でなければ、仕事を達成できなかった彼らも、結局無事では済まない。
(まあ、そんなこたぁ、この僕が許さないよ? 迷宮主ぱわーを侮っちゃダメだぞ)
 僕が、僕の大事な使用人たちを、易々と殺させるわけがないじゃないか。
(でも、一生懸命に僕を護ってくれようとしてくれるのはわかるし、僕も油断しないようにしなくちゃ)
 それから、使用人たちの愛想や、僕からの差し入れという袖の下を駆使して、僕たちは大陸北東部のさらに端の方……かつてはルスサファ国の領土だった土地にもぐりこんだ。


「あれが、地元で魔の森って呼ばれている所か」
 どこまでも広がり、紅葉が始まっても暗く密集した木々の向こうは見えない。
 手前の畑か牧草地だった場所には背の高い草や若木が茂り、人の手が入らなくなった途端に侵食されていくのがうかがえた。
「古くから魔獣が棲む森と知られていたようですが、最近は害獣ばかりが森から出てくるそうです」
「まぁ、そうだろうなぁ……」
 ソルが地元民から得た情報に、僕もタブレットを見ながら眉間に力を入れた。
 この魔の森の奥には、星を巡る流れが交差し太くなっている箇所がいくつもあった。太古にはポイントエデンのような魔獣の楽園だったろうが、現在は星を巡る流れに混じる“障り”のせいで、害獣ばかりが棲むようになっているらしい
(迷宮都市を構えるには、絶好の建設地だ)
 しかし、この地は同時に、信仰の対象でもあった。
「みんなが大事にしてきた森でしょ。なるべく残したいなぁ」
「お気持ちはありがたいが、害獣がいなくなり、安心して住める方が大事じゃ」
 近くの村に住む、ボロを纏った古老すら、疲れたようにそう言う。長引く戦乱によって人が減り、森から溢れる害獣でさらに生活が脅かされていた。潰れてしまった村落も多いそうだ。
 僕が会いたいと思っていた祭司も、グルメニア教に捕らわれてしまったり、すでに老齢で亡くなっていたり、愚者の刃に参加していたりと、もうこの地には残っていないそうだ。
「祖先が言葉を交わしていたはずの精霊が姿を消し、魔獣も野獣もいなくなり、害獣ばかりがうろつくようになった。グルメニア教を受け入れ、召喚儀式などをした罰だ。害獣が出るようになったのも、儀式があったのも、儂が生まれる前だが、それからというもの、地は乱れる一方よ」
 稀人を召喚しても、平穏や隆盛などありはしなかった。
「稀人が遺したものを、ご存じですか?」
「もちろん。蛇の毒を消す薬、冷夏に強いイモやイネ、害獣の爪や牙を通さない防具……儂が子供の頃には、全部、あった。だが、すべて、失われた。儂らは、もう持っておらん」
 消費するだけ消費して、それを研究、保存しようとしなかったのだ。
 召還した稀人から与えられるのが当たり前で、自分たちは雛鳥のように口を開けて待っていればよかった。
 ところが、稀人がいなくなったら、その遺産を巡って身内を喰らいあい、互いの手足をもいで、田畑を人血で穢した。その結果、外国からの侵略を招いて滅びようとしている。いや、現状はすでに滅びている。
「愚かなことだった。祖先たちのように、この土地の声を聴き、この土地と共に生きていけばよかったのだ。稀人の知識など、過ぎた物だった。身の程を知らなかったのだ」
 こけた頬に伝う涙が、戦乱に倦み疲れた彼らの本音だろう。
「贖罪の機会を求めますか?」
「償えるものならば」
 それは、僕がシロを通して星を巡る流れに漂う者たちから聞いたのと、同じ答えだった。