123 パラダイスロスト


 ブルネルティ領の南端から、少しずつ西へ。また王国の北側からは、サムザ川の源流を探るように少しずつ西へと移動した。途中で南北の捜索範囲が繋がったというのに、僕の目的はいまだに達成できていなかった。
「うーん……」
「失礼します。ボス、お困りだとか」
「あ、ミヤモト。そうなんだよー」
 アトリエのミニ会議室にやってきたミヤモトは、普段は『学徒街ミモザ』で農産や害獣についての研究をしてくれている。
「魔獣が全然見当たらなくてね。シロたちの記憶や、この図鑑によれば、あちこちにいてもよさそうだと思っていたんだけど……。僕の探し方が悪いのかなぁ、と」
「いま、どこをお探しですか?」
「んーっと、迷宮を出せる範囲は、このくらい」
 僕はタブレットに地図を出し、ミヤモトの方へ向けた。
 僕が移動すればするほど、僕のスキルが勝手にマッピングをして、ラビリンス・クリエイト・ナビゲーションへ迷宮出現可能地域として記録されていく。白紙だった王国の西側秘境は、いまは王国の倍の面積まで埋められようとしていた。
 さいわいと言っては何だが、ここまで人里から離れていても、星を巡る流れから滲み出す“障り”がうっすらとあるようで、僕のスキルが使えないとか、迷宮が創れないという事はなかった。
「野生動物の中では、人間に警戒しないのか寄ってくるのもいるけど。魔獣は逃げちゃっているのかなぁ?」
 これだけ見つからないと、警戒されて隠れられているんじゃないかと思うのだが、ミヤモトは真剣な表情でタブレットを見詰めたままだ。
「……ボスは、どんな魔獣に会いたいのです?」
 ミヤモトの質問に、僕は首を傾げつつ、少し訂正を入れた。
「魔獣に会いたいって言うか、スキルを定着させるための、高純度の魔石が欲しいんだ。いまの迷宮だと、そこまでの物ができなくて……。ミストの攻撃を防ぐために、できれば【不動の心】を埋め込みたいし。僕のステータスを隠すためには、【隠蔽】よりも、より複雑な【偽装】が好ましいし……」
 スキル【不動の心】は、召喚されていまだ王城に居る四人のうちの一人、沙灘優子さんが持っているスキルだ。確認されているスキルの中では、最も精神面への攻撃を防げるものだが、所有者が非常に少ないもののひとつだ。
 実際には、そこまでの高ランクスキルは必要ないかもしれないが、下手をすれば僕の従者たちの命に関わるし、僕のステータスを【偽装】できないと教皇国に捕まる危険性が跳ね上がる。迷宮の命運がかかるとすれば、万全を期したいところなのだ。
「わかりました。たしかに、ボスの中身が稀人だと知られないようにするのは、絶対に必要なことです。……確証はないのですが、この山脈は円形になっていると思います。もうしそうなら、中央が湖になっているはずで……そこを、探してみてください」
「円形? カルデラ湖でもあるの?」
 ミヤモトが示したのは、万年雪を頂いた峻厳な山々で、そこから先はまだ白紙になっていた。彼の指先が、その白紙の上をくるりとなぞる。
「……ずいぶん広いな。カルデラっていうか、クレーターかな」
 火山の噴火痕ではなく、隕石の衝突痕のようだ。
「わかった。明日からそっちを探索してみるよ」
「お気をつけて」
 その微笑みの意味を、この時の僕はまだ知らなかった。


 標高が高く、足元も悪い山岳地帯を進むことになって、僕は何度かヒヤヒヤした。進行は迷宮を繋げるだけだとしても、そこから出た先で滑落したらおしまいだ。扉を開けた先が、暴風吹き荒れる雲の中だったこともある。
 秘境を探索するために、僕らは全員、現代日本基準のトレッキングに適した服装にしていたけれど、トレッキングの経験があるわけじゃない。雪山用の装備を追加して、みんなの体をザイルで繋ぎ、一歩踏み締めるごとに、慎重に慎重を重ねた。
 気力体力の両方が激しく消耗し、なかなか予定通りには進めなかった。酸素が薄くて、高山病の症状も、何回か出た。
 それでも、何度目かの扉を開いた時、僕らの目に飛び込んできたその景色は、まさに絶景と言ってよかった。
「う、わぁ……」
 それまでたどってきた険しい山肌とは違い、はるかに広がるなだらかな下り坂の下には、穏やかな緑が広がっていた。
 湖もたしかにあり、白い砂浜が見える。ここが、ミヤモトが言っていた場所に違いない。
 ひとしきり歓声を上げた後、僕たちは勇んで湖に向かったけれど、そこに横たわっていた静かな現実に言葉を失った。
「……そうだよな。白い砂浜って、サンゴが砕けてできたものだったな」
 骨。骨。骨。また、骨、骨、骨。
 木のようにそびえたもの。岩のように苔むしたもの。足の下でパキリと砕けたもの。
 すべてが、恐竜のように巨大な動物だったと思われる骨だった。
「まさか、地上の魔獣は、もう存在しないのでしょうか」
「比較的小型のものは生き残っているかもしれないけれど、ここまでの大型が千年足らずで絶滅は、まあありえなくはないな」
 慄くように囁いたスハイルに、僕もぼんやりとした声を出すしかない。
「おそらく、繰り返される召喚魔法で急激に魔力が消費されたせいで、巨体を維持できなくなったんだろう。……いったい、どれだけの命が失われたのか」
 邪神こと魔力変換装置もストップしてしまい、あらたに魔力が生まれる量も減った。そんな中で、ここは最後の楽園だったのかもしれない。
 ささらささらと寄せては返す水際まで行くと、きらりと光を反射する物がいくつも水面から顔を出していた。透明な水底にも、いくつものきらめきが見える。
「魔石だ」
「たくさんありますね。しかも、すごく大きい」
 ハニシェが言う通り、色とりどりの巨大な結晶が、あちこちに転がっている。僕たちの足元も掘り返したら、きっともっと出てくるだろう。
 言葉少なく湖のほとりを歩いた僕は、ひときわ立派な魔石の前に立った。
 大人二人でやっと抱えられそうな大きさのそれは、まるでファイアオパールのように妖しく美しい色合いを、滑らかな表面の内に閉じ込めていた。
「綺麗だな」
 手のひらで触れると、すっと体の中に涼風が吹いたような気がした。
 それはきっと、空の高い所を飛んだ時の感触で、空と地表が交わる稜線に夜明けの橙色を見ながら、この湖へ降り立とうとしていた。
(これが、残留思念か)
 ただこの世界に生きて、死を迎えた。あるがままの、雄大な生命の軌跡だった。
「……君の魔石をもらうよ。これだけ良質なら、加工して小さくしても、スキルが定着するだろう」
 なむなむ、と両手を合わせて魔獣の冥福を祈ると、僕はこの魔石をオフィスエリアに持ち帰ることにした。
「これだけでいいんですか?」
「いいよ。それに、この場所は迷宮化する」
 大きいとはいえ、ひとつだけでいいのかとソルが首を傾げる。そこら中に大きな魔石が転がっているし、ここまで来るのに払った苦労を思えば、僕に欲がないと見えるのかもしれない。
「この場所に、人間は誰も入らせない。だけど、重要な役目を担ってもらう」
「旦那様の資源としてですか? 魔石は迷宮の外にあると、魔力が拡散してしまうからでしょうか」
 スハイルの意見は至極真っ当なものだけど、僕は首を横に振った。
「たしかに、この世界に魔力を満たすのは僕の目的のひとつだけど、それは迷宮都市やダンジョンが担っていく。重要なのは、ここが人里から遠く離れているという、地理的な要素だ」
 つまり、なにかあっても、人的被害が及びにくいという事。
「こちらの世界に押し出されてくる魔族をおびき寄せる場所にする。下手に迷宮都市に出現されると、アルカ族や冒険者たちに被害が出かねない。万が一にも、稀人が滞在している時に、そんな危険を呼び込むことは避けたい」
 迷宮化さえしてしまえば、そこに触れた魔族を観測することができる。迷宮都市よりも濃密な魔力に満ちた場所があれば、魔族はそちらに引き寄せられるだろう。
「それに、教皇国の人間にも知られたくないしね。魔石は、召喚魔法陣の材料にされてしまう。ここは失われた楽園として、迷宮に封印するよ。少なくとも、その必要がなくなるまではね」
 いつか、迷宮の存在が必要なくなった時には、この場所も解放されるだろう。
 僕は太古の昔に形作られたクレーターの内側を、まるごと迷宮化させることに成功した。
 ちょっと範囲が広すぎて、ラビリンス・クリエイト・ナビゲーションに入ってくる情報の多さにびっくりしたけど、やはり人間は住んでいないらしく、貴重な動植物の楽園となっていたようだ。
 彼らがこの地で魔力を蓄え、やがて新たな魔獣へ進化する日が来るかもしれない。
(……動物や魔獣の魂は、星を巡る流れにいないのかと、ちょっと不思議には思ってはいたけどね)
 帰ったら、ミヤモトによく礼を言っておかなければならないだろう。
 言葉を操るものにしか魂がないなんて思っていない。ただ、すでに彼らから僕に接触しているとは思っていなかっただけだ。
(いつか、相応しい肉の器が、この世界にも戻るといいな)
 それまではどうか……。
「おやすみ」
 人に知られることなく、安らかに。