109 三方良し


 ニコニコしている僕の前で、ロゼとエリゼオが小声でやり取りし、エリゼオが何度か首を縦や横に振ると、「行ってまいります」と言って、慌ただしく応接室を出ていった。
「おー。なんとかなりそう?」
「漁業ギルドを説得できれば、第一段階は問題ありません。ただ、ムタスの商業ギルドや職人ギルドは権力におもねることがあるようなので、信用という点ではいささか……」
 苦々しく首を振るロゼを見て、苦労が耐えなさそうだと、僕は心の中で同情した。
 エリゼオは先触れとして漁港に行ったらしく、僕らもロゼと一緒に、港にある漁業ギルドの建物まで行くことになった。
 各ギルドの建物が集まっているギルド通りは、漁業ギルドの建物がある港から続いているので、割とまっすぐ行けば到着する。
「ムタスの漁師には知り合いがいますので、他の漁業ギルドで話を始めるよりも、成功率は高いと思います」
「それは心強い。あ、オルコラルト国の運輸ギルドの様子はどうです?」
「残念ながら、私はよく知りません。漁業ギルドの職員の方が、運輸ギルドとの折衝があるので、詳しいと思います」
「うんうん。機会があれば、そっちとも話したいことがあるんだ。『魔法都市アクルックス』で職人を修行させれば、属性石を使った安価な冷凍庫が作れると思うんだよ。水揚げされたお魚を、新鮮なままで、あちこちに届けられるようにね」
 この世界では、燿石を組み込んだ重い機械に付属した小さな冷蔵庫くらいしかないので、ほとんど輸送には向かない。食べ物にうるさい貴族や金持ちなどが、屋敷に置いているくらいだ。しかし、ダンジョンから産出される属性石を使えば、大山羊が引っ張る冷凍車を作れるだろう。
「……」
「どうしたの?」
 高い位置から見下ろしてくる顔を見上げた僕に、ロゼはきまり悪げに視線を逸らせた。
「いえ……、ポルトルル師が言っていたのは、こういうことかと」
「んえ?」
 なんか変なこと言ったかな?
(迷宮では地球にあった魚介が食べられるけど、この世界の海の幸も食べたいじゃん? 海のないリンベリュートにも運べたら、きっと喜ばれると思うんだけどなぁ)
 僕が食いしん坊全開な思考でいると、ロゼは話題を変えてきた。
「ああ、そうだ。魔獣と普通の魚の区別ですが、たしかに、明確な違いは分かっていないと思います」
 漁師はそういう事を、あまり気にしないらしい。食べられるか、食べられないか。危険か、そうでないか、しか区別しないらしい。
「しかし、魔獣の肉がレベルに関係し、売買に直結するのなら、今後は研究したいという人間も出てくるでしょう。冒険者ギルドとしても、そういう者には援助を考えます」
「うんうん。すごくいいと思うよ!」
 少しでも自分たちで研究し、その研究に出資するという意欲が出てくるのを、僕はとても嬉しく思う。
 僕たちはロゼに案内されて、昨日行った魚市場に隣接した漁業ギルドの建物に入った。
(おっきいな……)
 第一印象は、その天井の高さや間取りの広さだ。さっきまでいた冒険者ギルドの間取りと比べて、三割から五割増しに広くなっているように感じる。
 そして、その理由はすぐにわかった。
「俺がムタス漁業ギルドを仕切らせてもらっている、バーハスだ。お初にお目にかかる」
「デッッッ……!?」
 支部長執務室で待ち構えたのは、壁のように並んだ筋肉の塊たち。圧がすごい。ムンムンというか、ビキビキというか、ゴゴゴゴゴゴって効果音が背後に見える。
 そして、その壁の真ん中にいた、硬そうな青い髪を逆立てた男が、ギルド支部長だと名乗ってきた。傷痕が見える左目の上に眼帯があり、海賊だと言われても納得しそうだ。
「しょ、ショーディーです。はじめまして。……み、みんな、おっきいね?」
「このくらいの体格の者は、漁師では珍しくないのですよ」
 声が上ずった僕に、ロゼが苦笑いで教えてくれたが、一人一人が、リンベリュートの運輸ギルド長ルドゥク並みにでっかい。
 魚市場でこのサイズを見かけなかったのは、市場にいるのは主にギルド職員で、漁師たちは港や船にいるか、あの時間はすでに休憩で家に帰っていたからだった。
「私も、女にしては大きいでしょう? そちらにいるのが、父です」
「へ?」
 パパ? ダディ? ロゼが指し示し、僕に向かって小さく顎を引いたのは、赤銅色の肌に髪と髭が白く目立つ厳ついおじさん。言われてみれば、やや緑がかかった薄茶色の目が、ロゼとよく似ている。彼もまた、二メートル前後はありそうな巨体だ。漁師の知り合いって、お父さんのことだったのか。
「しゅごい……みんなおっきくて、かっこいいね!」
 筋肉ムキムキで、海の男って感じがする。彼らが深海のテンタクルと格闘してタコ足を持って帰ってきてくれるのかと思うと、とても感動する。
 僕が目を輝かせてキャッキャしたのが心証を良くしたのか、僕を見下ろしてくる眼光がいくらか和らいだ気がする。
「それで、首都ミリオニアにいるはずの冒険者ギルド長が直々に動く話ってのは、何だ?」
 バーハスに促されて、僕とロゼもバーハスの向かいに座る。
「昨日、深海のテンタクルを買っていったのは、オメェさんだな? 正直、驚いている。俺たちを見て泣きださなかったジャリは、初めてだからな」
 肝が据わっている、とバーハスに感心されたけど、そりゃそうだろう。中身がオッサンの僕でも一瞬ビビったのに、こんなおっかなそうな男たちに見下されたら、普通のお子様じゃチビッてギャン泣くわ。
「んと、あらためて自己紹介が必要?」
「いや、遠慮しとくわ。悪いが、漁師の勘が、聞かない方がいいと言ってる」
 僕を見下ろす隻眼が据わったので、アハハと乾いた笑いを返しておく。さすがは、有数の港町に構えられた漁業ギルドを仕切っているだけはある。胃が痛くなりそうな事を回避するセンサーはバツグンだ。
「じゃあ、さっさと本題に入ろうか。ハニシェ、みんなに試食してもらって」
「はい、坊ちゃま」
 ここからは、冒険者ギルドでやったことと同じ。違いは、漁師たちの指につままれた唐揚げが、豆粒にしか見えないくらいだ。
 ロゼの交渉で、深海のテンタクルの売買は問題なく締結した。漁師の収入になるなら、漁業ギルドにも文句はないと。
「ザックよぉ。オメェ、漁師が帰る家を護るのが冒険者だ、って啖呵切って飛び出してった娘っ子がよぉ。こんなに立派になって帰ってくるとはなぁ」
「……」
 バーハスに揶揄われて、ロゼのお父さんは周囲の漁師からもツンツンされている。肌が日焼けしているせいで、赤くなっていてもわかりづらいし、表情も動いていないけれど、ちょっと照れているのかもしれない。
 なんと、昨日僕が買ったタコ足は、ザックさんたちの船団が持って帰ってきたものらしい。これからも、深海のテンタクルに遭遇したら、気をつけて狩ってきてほしいと思う。
「それで、レシピの管理なのですが……」
「ああ。あのクセェ触手だなんて信じられんくらい美味かったからな。ギルドや市場の食堂でも提供したい。そもそも、あのデカブツを使い切るのも骨だろう?」
 ロゼとバーハルが互いに頷き合うように、たしかにあのタコ足を、腐る前に全部使いきるのは大変だ。
「なんとここに、もう二種類のレシピが。実物を持ってくるのが大変だったから、味見はそちらで調理してみて」
「ショーディー殿……」
「僕、開発したレシピが一種類だけだなんて言ってないよ?」
 ロゼは顔を覆ってため息をついたけど、僕はヘラヘラ笑いながら、計三枚のレシピを二人の前に出してあげた。
「調理レシピは職人ギルドの管轄だって聞いたんだけど、海で獲れる魔獣の肉が投機商品にされると困るんだよね。食べたら強くなれるかもっていうのも、僕がそう思っただけで、まだ、ちゃんと効果を検証したわけでもないしさ」
「なるほど。まわりの迷惑など考えずに、自分の金を増やすことが正義だと思っている阿呆が、どこにでもいるからな」
 バーハルが苦々しく隻眼をゆがめたところを見ると、過去に何かそういう諍いごとがあったのかもしれない。
 魔獣肉の可能性については、レシピからいずれは広がる情報だとしても、おかしな値の吊り上がりは避けたい。
「わかった。深海のテンタクルの値段は、セリによる時価ではなく、漁業ギルドが定める定価とする。これで、多少は防げるだろう。本部と、他の町の漁業ギルドにも提案しておく」
「ありがとうございます!」
 ロゼとエリゼオがバーハルに深々と頭を下げた。彼女らの嬉しそうな声から、少しでも冒険者の環境がよくなればと考えている姿勢がうかがえた。
 結局、調理レシピに関しては僕のものとして、職人ギルドに登録することになった。まあ、『稀人の知識』にあるアレコレも、広まるまでの独占防止対策として僕名義で登録したものがあるので、そこに追加しておけばいいだけだ。
 漁業ギルドと冒険者ギルドが調理レシピの使用料を払い、市場の食堂や冒険者がよく利用する提携先の食事処などに配布する予定だそうで、僕にちょっとしたお小遣いが入ってくることになった。
「これぞ、三方良しってやつだね」
 冒険者が強くなって害獣退治が捗るなら、港周辺ももっと安全になることだろう。
 まぁ、美味しい物でおなかを満たせることが、最もハッピーだと思うけどね!