110 お金で買えないもの


 そんなわけで、僕たちは漁業ギルドをお暇して、深海のテンタクルを使った調理レシピを登録するために、ロゼと一緒に職人ギルドに行った。エリゼオ支部長は、漁業ギルドでまだ話合うことがあるそうな。
「他のギルドと協力するためには、ムタスに住んでいる者同士のほうが、話が分かりやすいでしょう」
 魔獣肉フェスをやるつもりなら、ロゼの言う通りだろう。そのうち、他の港町にも広まればいいなと思う。
 職人ギルドでは支部長が留守だったけれど、三つの調理レシピと、「深海のテンタクルの臭みを消すいくつかの組み合わせ」の登録は、使用料を安く設定したこともあり、すんなりと受領された。
「深海のテンタクルって、あれ、食べられるんですか」
 登録窓口の若い職員も驚いていたけれど、本当にあのタコ足は、食べ物として認識されていなかったらしい。
「味は漁業ギルドで保証されました。私も食べましたが、美味しかったですよ」
「食べ方がわかれば、調理師も新しいレシピを考えるでしょ? 僕、あんなに大きなものを獲ってこられる漁師って、とってもすごいって思ったんだ。食材にできたら、名誉だけじゃなく、漁師の収入にもなるし、どうかなぁって」
 魔獣肉を食べることによるレベル云々は黙っておき、雄々しい海の男をリスペクトしたことを前面にアピールする。
「そんな風に考えてくださるなんて、漁師町で育った者として嬉しいですね。ええ、この料理が認知されれば、取り組む料理人が出てくると思いますよ」
 調理法の研究が活発になるはずだ、とギルドの職員も請け負ってくれたので、役に立てた僕もにっこりだ。
 ムタスでの用もだいたい終わったので、午後いっぱいを観光に充てて、明日にでも宿を引き払って出発しようかと考えた時、キンキンした子供の声が職人ギルドに響いた。
「お金なら払うって言っているじゃない!」
「そういう問題ではありません。規約に抵触しますので、どのような方の申し出も受け入れられません」
「わたくしに対して、なんて物言いですの!? お前を更迭しますわ! 責任者を出しなさい!」
「ギルド支部長は外出中です。また、貴方にギルド職員の人事権はございませんし、ギルドも貴方に従う義務はありません」
「お黙り!!」
 居丈高に金切り声を上げているのは、いかにもお嬢様な風体の女の子。薄桃色のフワフワな髪に、白いリボンの髪飾りが付いている。僕より少し年上かもしれないけれど、僕の姉上や兄上の落ち着きとは比べものにならない。
 侍女や護衛を引き連れて、ギルド窓口に何か無茶を言っているようだ。
「あんなに怒鳴られて、窓口の人、大丈夫かな?」
「ああ、問題ないですよ。年に二回か三回はあるんです。応対している人も、ベテランですから」
 僕のレシピ登録をやってくれた若い職員が、窓口から身をのりだし、苦笑いを浮かべつつ小さな声で教えてくれた。
「そんなにあるの?」
「他の支部はどうかわかりませんが、ムタスにはエル・ニーザルディアの貴族子女も来ますんで。ちょくちょくあるんですよ。ああいう、レシピや技法を買い取るって言い張る人が」
「ええぇ……」
 職人ギルドに登録されているレシピや技術は、使用料を払えば誰でも使えるように……いうなれば、社会利益のために独占を防ぐ制度として運用されている。
 発明者一人の利益を確保することも大事だが、多くの技術者が共有することで、より良い物を開発し、社会の役にたてるためにある。登録者が使用料を設定できるのも当然だし、それを買い取ることは基本的にできないはずだ。
「なんでそんなことを?」
「資産家の跡取りとしての通過儀礼と言いますか、親から課題を出されるようですよ。利益になるレシピを持ってこいって。特に、エル・ニーザルディアでは職人は貴族が囲っていますからね。オルコラルト以上に、目新しいレシピは、ほとんど出回らないんですよ」
「はあ? それなら、自分でレシピを考えればいいじゃん」
 首の上に乗っかっている頭は飾りかよと吐き捨てた僕に、窓口の職員は噴き出すのを堪えて肩を震わせ、ロゼや僕の使用人たちも、苦笑いを溢している。
「旦那様、誰もが旦那様やルジェーロのような頭をしているわけではないのですよ」
「スハイル、それは……まあ、伯父上のような人は少ないと思うけど」
 伯父上レベルではなくとも、家業に役立つことを考えるとか、使用人や領地の専門家に意見を聞くとか、そのくらいのことはするべきだろう。少なくとも、すでにある、誰かのレシピを強奪していいはずがない。
「姉上だって、職人たちと話し合って、色々な商品を作っていたはず。母上も、それをお褒めになっていたもの」
 あんなに姉上が領主になることに難色を示していた母上ですら、姉上の頑張りを認めてくれたのだ。オルコラルトの豪商でも、エル・ニーザルディアの貴族でも、自分の子供のそういう努力は認めてくれるだろう。……たぶん。
「そこのお前!」
「……んえ?」
 自分のことを言われたのだと認識する間に、僕よりも背の高い女の子が目の前に来ていた。
「?」
「ここにいるってことは、なにかレシピを登録したのでしょう? このわたくしが、買い取ってさしあげますわ!」
 ふぁさっと長い髪をかきあげ、びしぃっと僕を見下ろしてきた女の子。高飛車な態度とテンプレなポーズがあまりにも様になっていて、僕は隣にいたロゼがなにか言う前に、腹の底から笑いだしてしまった。
「あははははは! うは、マジで……っ、あぁ、やばいって! ウケるぅ!」
 僕の前で女の子が真っ赤になってプルプルしているけれど、どうにも笑いの発作が止められない。
「お、お金さえ積めば、売ってくれるって、ほ、ほんとうに、本気で思ってるんだ……あはははぁ! あはっ、はぁっ、お腹痛い……くるし……あはははは!」
「お嬢様に無礼な!」
「貴様、いい加減にしろ!」
 女の子のお供たちが気色ばんだけど、僕の護衛二人がすっと前に出て、女の子ごとお供たちを下がらせる。
「っ……」
「ぶははははっ!」
 彼らが怯んだ、その視線の動きと反応に、僕の腹筋はまた痙攣の危機に瀕した。なぜならば、僕の護衛二人の方が、顔が良かったからだ。
 ムタスに来た初日に、使用人の顔の良さがどうとかで張り合い、通行止めにまで発展していた騒ぎを、僕は忘れていない。
 彼女の護衛たちの顔も、悪くない。決して悪くはないし、むしろ普通にイケメンだとは思う。ただ、伯父上が育てて背景に花を背負えるスハイルの美貌と、影のあるエキゾチック美少年なソルの方が、断然美人度が上だっただけだ。
「す、スハイル、ソル。二人とも、オーバーキルだ……ははっ、はぁっ、はぁっ。僕の、腹筋も、ねじ切れちゃう」
「それは大変です、坊ちゃま。すぐに宿へお戻りになられて、お休みになりませんと」
 僕の頭に、ぷよんと柔らかい物が当たって、だらしない顔になりかける。
「ふへへ……ぁ、んんっ、そうだね、ハニシェ。ロゼ、今日はどうもありがとう。とても有意義な話がたくさんできて、よかったよ」
「こちらこそ。迷宮都市への職人の派遣に関しては、私が首都で職人ギルドの長と話をしておきます」
「うんうん。良い物がたくさん作れるように。それが、巡り巡って冒険者の力になるように。応援してるね」
「はい。ありがとうございます」
 僕はオルコラルト国の冒険者ギルドともいい関係が築けたことに満足して、ロゼにもこっそりと、ここだけの話をしておいた。
「カルモンディ渓谷に注目しておくといいよ。いつでも人を派遣できるように」
 僕の囁きに、かがんで耳を傾けていたロゼの目がすっと細くなった。
「わかりました。そのときは、私自身が行きましょう」
 ロゼが行くならば、僕も安心できる。
 冒険者ギルドに戻るロゼと別れ、悠々と職人ギルドを出ようとした僕たちを、また甲高い声が呼び止めた。
「まだ何か?」
 振り返った僕に、居丈高なお嬢さんは言い放った。
「レシピはもういいわ。その使用人をよこしなさい。わたくしが雇ってあげるわ」
「……」
 口を開きかけた僕の後ろで、三人が三人とも、旦那様とか坊ちゃまとか言うものだから、結局僕は、一度口をつぐんだ。
「我々の主は、この方をおいて他にありません」
「これ以上なく満足している」
「失礼いたします」
 スハイル、ソル、ハニシェが、それぞれ慇懃に礼をして、僕の背中を押すようにその場を離れていった。
 僕としては、あの子に文句のひとつやふたつやみっつ……いや、完膚なきまでに凹ませてやりたかったのだけど。
「僕の大事な従者たちをよこせって、何考えてるの、あの子。レシピを買い取りたいとかもそうだけどさぁ、頭おかしいんじゃないの?」
 ぶーぶー文句を言う僕に、ハニシェはバスケットを持っていない方の手を繋いでくれた。
「坊ちゃま、お気持ちは嬉しいですが、あんなところでお怒りになられたら、ロゼさんや職人ギルドの皆さんが、坊ちゃまを怖がってしまうかもしれません。もう少し、人気ひとけのない所で怒りましょうね」
 その通りだろうけれど、なんかズレているような理由に、僕は不承不承頷いた。
「人気のない所ならいいんだ」
「町の外なら、いくらでも」
 ソルまで真面目な顔でいうものだから、なんだか怒っているのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「はいはい。みんな過保護なんだから」
「そっくりお返ししますよ、旦那様」
 スハイルに笑顔で言いきられた僕は、なんだか顔が熱く感じながらも、元気に足を踏み出すのだった。