106 魚市場にて
翌日、早起きした僕らは、予定通り港の朝市に向かった。
「ふおぉぉぉ〜」 ひんやりとした潮風を胸いっぱいに吸い込みながら、僕はきょろきょろと通路の両側を見回した。 威勢のいい呼び声を出すのは、やはりガタイのいいおっちゃんや兄ちゃんたちで、たまに恰幅のいいおばちゃんもいる。 「しゅごい! おっきな海老だ!」 木箱の中でモソモソしていたのは、イセエビのような大きさの、青い海老だった。触覚も大きいが、それよりも鎧兜を纏っているかのようなごつさで、ザ・甲殻類と全身で主張されている。お値段は、僕としてはお手頃価格だと思う。 「昨日の料理には入っていなかったよね? 僕、これ食べたい!」 「おっ、さすが坊ちゃん。お目が高いねえ! ブーバッケは今が旬だよ!」 聞いたことのない名前だが、この海老はブーバッケと言うらしい。太い眉毛が目立つ厳ついおっちゃんが、どんどんとブーバッケ入りの木箱を積み上げていく。 「ねえねえ、これ、どうやって食べるのが美味しい? 塩焼き? 鍋で丸ごと茹でるの?」 「そうさなぁ、生だと殻を割るのが大変だから、最初に塩茹でするのが一般的だ。その後は、どんな味付けでも合う! ただ、コイツが入る鍋が必要だがな」 下処理をしてくれる場所が市場の一角にあるので、そこに持っていくといいと教えてもらった。 「教えてくれて、ありがとう。この海老、五匹ちょうだい。あと、そっちの貝も一袋」 「毎度あり!!」 ブーバッケが入った木箱をスハイルとソルが抱えてくれたので、先に下処理をお願いしに行くことにした。 「私が待っていますので、スハイルさんたちと見ていらしてください」 ハニシェがそう言って、僕が持っていたハマグリみたいな貝が入った網も持っていってしまった。 「そう? すぐに戻ってくるからね」 「どうぞ、ごゆっくり」 下処理待ちをハニシェに任せ、僕は再び露店の並びに戻った。 「……なんか、全体的に大きな魚が多いんだね」 小さい魚も売られていたけれど、カツオみたいな大きさの魚まで、普通にそのまま売られていた。 「海には、害獣がほとんどいません。大きな魚か、魔獣です」 「え? あっ、そういうことか……」 ソルの言葉に、僕は目と口を大きく開いてしまった。 “障り”は人が住んでいるところに多く出る。つまり、人が住んでいない海には、基本的に“障り”がないのだ。 「岸辺には、多少害獣が出ます。でも、沖にはいません」 「なるほどねえ……って、はぁああ!? なにあれ!?」 市場の脇を、コロを使ってバカでかい触手を運んでいくおっさんたちが見えた。目算で二十メートルはありそうな、タコの足だ。 「深海のテンタクル……すごい。良い漁師がいる」 「ソル、感心しているところ悪いけど、あれ、なに?」 どう見ても、巨大なタコの足にしか見えない。クラーケンとか、そういう類かな? 「沖で、たまに出てくる。運が悪いと、船が沈む」 「だろうねえ」 「全体を見た人がいない。たぶん、魔獣です」 「まあ、はい……。あれも食べられるんでしょ?」 何気なく言った僕の食べる発言に、ソルは目を真ん丸に見開いて僕を見下ろしてから、額に手を当てた。 「え、食べないの?」 「魔獣だって言ったのに、はじめて、あれを食べられるか聞いた人、会いました」 「お、おう……」 「アハハハハハハ」 スハイルに遠慮なく笑われた。えー、食べられるか気になるでしょ、普通。タコだよ、タコ。イカかもしれないけど。 「売ってくれるなら、味見したいな」 「わかりました。聞いてきますね」 まだ笑いの発作が収まらなさそうなスハイルだったけど、ささっと走って聞いてきてくれた。 「いいそうです。あまり食べたいという人がいないらしくて、普段は少し展示した後で捨ててしまうそうですよ」 「なんて、もったいない!」 漁師の腕や沖の脅威を知らしめるための展示だそうで、漁師でも食べる人は少ないそうだ。 僕は適当に切り分けてもらったタコ足を、ほとんどタダみたいな安さで買い取り、それが入った布袋を、ソルにサンタクロースのように担いでもらった。 「こんなに安くていいの? 切り取って持って帰ってくるの大変だったでしょ。もっと支払うよ?」 「いえいえ。買い取ってもらったこっちとしては、文句もありませんが……匂いや歯応えが独特で、食う奴なんかいませんよ?」 「えー。毒はないんでしょ? だったら、美味しくなるように料理しようよ〜。魔力たっぷりな魔獣を食べたら、レベルあがりそうな気がするのになぁ」 もったいない、もったいない、と言って立ち去る僕の後ろで、市場の職員か漁業ギルドの人かは知らないけれど、怪訝な顔で仲間に魔獣魚肉の効果について話しに行くことを、僕は知らない。 さて、その後はまた露店に戻り、大きめのアジやメバルに見える奴なんかを買い集めた。市場の中では小ぶりな魚で安かったけど、あまり大きすぎても、調理に困るからね。 ブーバッケの下処理が終わって待っていたハニシェと合流し、僕らは朝の魚市場を後にした。宿に帰る途中で、別の朝市に遭遇したので、料理に使うハーブ類を扱う店で、あれもこれもと大人買いした。 「よしっ。とりあえず、箱庭の家に持っていこう」 生ものを常温に置いておくわけにはいかないので、人気のない場所を見計らって箱庭に運び込み、冷蔵庫や冷凍庫に放り込んでから、何食わぬ顔で宿に戻った。 宿で朝食を食べ終わる頃、冒険者ギルドから遣いが来て、ギルド長が今夜到着する予定であることと、明日の会談時間を報せに来た。 「うーん、じゃあ、僕は箱庭で魚料理でも作っていようかな。ソルも一緒に来て。海の魚を捌くのは初めてだから、危なくないか、見ていてほしいんだ」 「私で、よければ」 宿の部屋に誰か残っていないといけないので、ハニシェが宿に残り、スハイルは街の偵察に行くことになった。 「大丈夫?」 「ええ。このお仕着せを着ていれば、有力者の上級使用人だと見られます。なにかあっても、私一人なら逃げられますから」 スハイルは【隠密】スキル持ちなので、音や気配を消して逃げ隠れするのは得意だ。 「旦那様が面白がりそうな話を、見つけてきますよ」 「それは期待するけど、気をつけてね」 「かしこまりました」 そんなわけで、僕はソルを連れて、ナスリンとファラ親子が待機している箱庭の家にもう一度入った。 「あら。おかえりなさいませ?」 「ただいま、ナスリン。しばらくキッチンを占領させてもらうよ」 「はい、どうぞ」 離乳食でおなかが膨れたファラは、片手にあみぐるみを掴んで元気に振り回しており、ナスリンに抱えられて親子の寝室へ戻っていった。小さい子にキッチンへ入り込まれると、危ないからね。 「よし、まずはアジの干物を作ろう」 アジではなく、ミースという名前らしいのだけれど、形や大きさが似ているので、まあだいたいアジでいいだろう。 鱗を落としてから、腹開きに捌いて内臓とエラを取り除く。前世でも魚の内臓をまじまじと観察したことはないけれど、そんなに変わらないようだ。 「旦那様、上手ですね」 「ありがとう。ソルが手伝ってくれて助かるよ」 よく洗ってから塩水に一時間漬け込む。干し網に乗せて風通しのいい軒下に吊るして、一日たてば干物の完成だ。 「便利な網ですね」 「椎茸を干しておくにも便利だぞ」 「シイタケ?」 「ああ、キノコだよ」 前世で子供の頃、庭に原木を置いて自家栽培していたけれど、ちょくちょくナメクジに食われちまうんだよなぁ。仕事で栽培している人はすげーと思うわ。 メバルみたいな魚、アゲッチノは、厚揚げと一緒に煮付けにしてみた。ハマグリっぽいビア貝はたくさんあるので、とりあえず三分の一ほど酒蒸しにして、残りはパスタの具やお吸い物にしてみようと思う。 下処理のすんでいる鎧兜イセエビことブーバッケは、そのまま焼いて食べることにした。柚子風味の味噌ダレを添えておく。 「で、このタコ足だが」 「本当に食べるんですか」 ソルが若干引いているけれど、僕は目を瞑ってどう料理しようか考える。 僕が知っている料理のレシピは、ほとんどが前世で母さんに教わった物か、仕事の付き合いで行った食事処の料理を真似したものだ。 「とりあえず、味見してみよう」 塩茹でしたものを齧ってみたが、懐かしい弾力と、慣れない匂いがあった。 「ん、なんか大味だし、生臭い。これのせいで人気がないのか」 酒やワインビネガー、買ったばかりのハーブを色々試してみたところ、ワサビのような香りのハーブや、ハーブ屋の女将さんがオススメしていたブーケガルニっぽい混合ハーブと相性が良かった。 「これなら、香味野菜と一緒に料理したら美味しそうだな。ワサビ風味の唐揚げかフリッターにしてもいいし、紅ショウガとネギを盛ればタコ焼きもいけるか? 和食にするなら、生姜を少し入れて大根と煮込んでみるかなぁ」 そんなこんなで僕の一日は過ぎていき、箱庭で行った試食会では、なかなかの高評価を得ることになる。 |