105 魚料理を食べている間に


 ハニシェが戻ってきてから、僕らは夕食を取り寄せた。
 あんな騒動が日常的に起こるような街中を歩く気にはなれないし、宿が提供してくれる食事も味わってみたかった。
「うん、美味しいね!」
 宿のランクが高かったおかげか、テーブルに並んだ料理はどれも美味しかった。
 焼き魚やマリネの他に、塩とハーブが効いた煮込みや、サザエのような貝を焼いたものもあった。味付けはハーブソルトやハーブバターが多いようだが、魚醤がアクセントに使われているのか、なかなか奥深い味にも出会えた。
「はじめての味ですが、美味しいですね」
「セーゼ・ラロォナでも、こういう料理ですか?」
「セーゼ・ラロォナでは、もっと辛い味付けが多いです。オルコラルトの料理は、ハーブが多くて、爽やかです」
 ハニシェをはじめ、僕の従者たちにも好評のようだ。
「レシピ売ってくれるかなぁ?」
「あとで交渉してみます」
「お願い。特に、この煮込み? スープ? が美味しかった」
 僕はトマトとジャガイモ抜きブイヤベースみたいな魚介たっぷり料理が入っていた深皿を指して、ついでに情報収集もしてきそうなスハイルに任せた。
(迷宮の料理もいいけど、オルコラルト料理もなかなか……。安全な迷宮食材で再現したら、稀人のみんなも喜んでくれるかな)
 普段食べるのは馴染みのある日本の料理がいいだろうけれど、せっかく異世界に来たのだから、海外旅行で現地の料理を食べるような気分を味わっても楽しいだろう。
「材料は、明日の朝市で探しましょう。魚は、だいたい、わかります」
「うん。よろしくね、ソル」
 明日の朝は早起きすることが決定したが、ハニシェからハセガワが呼んでいると言われたので、寝る前にオフィスエリアに入った。
「なにかあった?」
「王国にて、いくつか動きが」
 ハセガワと一緒に、カガミがいるオペレーションルームに向かって、詳しい話を聞くことにした。
「まず、『葬骸寺院アンタレス』がキャネセル軍を二回退けましたので、戦後処理をしたのち、予定通り、第二候補のサムザ川の中州に転移しました」
「おっ、二回目の進攻を撃退したか。さすがだね、スオウは」
 公方家のひとつであるキャネセル家は、初代魔道将軍キッス・キャネセルが始祖だが、以降魔法スキル持ちが生まれない為、【土魔法】スキルを持ったモンダート僕の兄上や『魔法都市アクルックス』と仲良くやっているブルネルティ家僕んちを目の敵にしていた。
 そんな経緯の上で、僕がキャネセル領に迷宮都市のアンタレスを出現させたので、迷宮を自分たちのものとするべく、躍起になって攻略しようとしていたのだ。
「現地のスオウもですが、情報を集めていたカガミとヒイラギも、三回目の進攻をするほどの余裕はキャネセル家にはないだろう、と判断いたしましたので。下手に出られる前に、退散しました」
「ん、それでいい。いい気味だ」
 これで、キャネセル家には『せっかく現れてくれた迷宮に逃げられた無能貴族』という、不名誉なレッテルが貼られることになる。僕の家族にネチネチ嫌がらせをしてきた罰だよ!
 なんでも、キャネセル家はアンタレス攻略のために、【戦術】スキル持ちの息女を筆頭に、秘蔵の魔法使い集団まで投入していたらしいのだが……まぁ、相手が悪かったね。
「投石器や破城槌が城壁へ届く前に、バリスタで火炎瓶が飛んでくるのですから……たとえ兵士を一万人集めたとしても、無理に決まっておりますな」
「あっはっは。アンタレスはお寺だけど、敷地を含めて建物はほぼ要塞だからね。力技よりも、兵糧攻めからの裏切りを狙うのが、一番確実性が高いんだろうけど……」
「迷宮都市に兵糧攻めは効きますまい」
「アハッ、それね」
 そもそもアルカ族に食糧は不要だし、武具や兵器の類も僕が湧かしている。ミサイルや爆撃機が飛んでくるわけではないのだから、壁や高台となる、頑丈な建物さえあればいいのだ。
 西洋の古い教会跡や修道院跡が、やたら物々しく武骨に見えることがあるが、実際にテンプルナイツやクルセイダーズが利用していたとか、戦禍からの避難所になっていた等の歴史がある場所かもしれない。日本でも、あの織田信長が攻めあぐねた難攻不落の石山本願寺などは、資料や遺跡から復元してみたら寺とは思えない規模の大城砦だったとかある。
 アンタレスは本来、山の上に建っている設定だけど、平地においても十分に堅牢さを発揮してくれたことだろう。
「スオウから、エクストラスキル【操骸術】に関する報告が上がっております。旦那様が想定した通りの効果を発揮し、迷宮の範囲外に出たゾンビは、周囲の“障り”を吸収することなく、スオウが分けただけの“障り”が無くなった時点で、肉体が崩壊したようです。また、スオウ自身への悪影響は、いまのところ現れていないとのことです」
「そう、よかった!」
 悩んだ割には、あっさり作ってスオウにあげてしまったエクストラスキルだけれど、色々制限を設けつつも、実験的な運用になっている。
 迷宮は“障り”を純粋な魔力に変換する設備だが、“障り”自体をどうこうする技術は確立されていない。ただ、魔力を浴びたり、“障り”によって変異した害獣を倒したりするとレベルが上がるので、もしかしたら“障り”を魔力っぽく扱えなくはないんじゃないかな、と思ったのがきっかけだ。
「アルカ族に“障り”の悪影響が出ないかどうかが、一番の不安要素だったんだよ。魔力と混ざっちゃうんじゃないかって」
「そもそも我々は、純粋な魔力で濃く固く作られております。迷宮都市で警備や監視の業務にあたっている小動物型の準アルカ族はさておき、スオウほどのスペックであれば、“障り”を取り込んでも埃が付いた程度にしか感じないでしょう」
「埃まみれになっていたら、やっぱり病気になっちゃうよ。スオウには、定期的に健康診断を受けさせてね」
「かしこまりました」
 ハセガワは僕の執事として謹厳な表情を崩さないけれど、どこか声色がやわらかだ。少し呆れているのかもしれない。
 過保護と言われようとも、スオウ自身が望んでやっているのはわかっているけれど、やっぱり僕は、アルカ族に無茶なことはして欲しくない。適切な報酬を受け取って、僕の迷宮運営をできるだけ安全に手伝ってほしいんだ。
「アンタレスのみんなにも、ご苦労様って伝えておいて。これからも大変だろうけれど、アンタレスへの攻撃が無くなるまで、もうちょっと暴れておいてね」
「かしこまりました。そのように伝えておきます」
 『葬骸寺院アンタレス』は、すでにキャネセル領の平原から、ヘレナリオ領とマコルス領の境目であるサムザ川の中州に転移している。
 中州と言っても、単に川原の水がない場所というわけではない。サムザ川自体、かろうじて向こう岸が見える水量豊かな大河であり、どちらかというと洪水などで河川の統合や分岐などを繰り返した結果、雑木の根が張った所から土砂の堆積が多くなり、時間をかけて両岸と同じくらいの高さまで広く大きくなったのだろう。
 一応、アンタレスが乗れるだけの広さはあるが、かなりギリギリだ。迷宮範囲は川の中に及ぶため、ほとんど濠の代わりだ。
(まあ、それも湖畔や中州に建っている、ヨーロッパのお城みたいでいいよね)
 外から眺めるだけなら、風情があっていいと思う。迷宮主としては、湿気対策をしないといけないけれど。
 サムザ川に再出現させた『葬骸寺院アンタレス』は、両岸を有するヘレナリオ家とマコルス家の双方から攻撃される可能性もあるが、ヨーガレイド家や冒険者ギルドからの忠告を受け入れて、友好的に接してくる可能性も半分くらいはあるだろう。できれば、仲良くしたいものだ。
(まあ、攻撃してきたら、また撃退して、今度こそ難攻不落な山の上に据えるつもりだけど)
 そろそろ、各領主たちもダンジョンの存在に気付き、その有用性と扱いに慎重さを求められることに頭を悩まし始める頃だろう。父上と母上の所に、たくさん相談が来るかもしれないな。
(これを機に、姉上の社交界デビューがあったりして)
 できれば、有能かつ心根の穏やかな人が義兄になってもらいたいものだ。父上が暴走しないように、また母上の眉間にしわが増えそうだけど。
 それはそれとして、王城にも動きがあったらしい。
「稀人様方に、メッセージが届けられました」
「マジで!?」
 カガミからの報告に、僕は詳しくと先を促した。
 いつも誰かしら侍らせている竹柴さんや沙灘さんには無理だったが、そろそろ人相手に疲れてきた霞賀氏や山西君が、「少し一人になりたい」と人払いをした瞬間があったそうだ。そこへ、迷宮主からの手紙を落とした。
 手紙の内容は端的に、「放射線量の多い世界なので、これまでに来た稀人は三年くらいしか生きられていない」「冒険者になってダンジョンか迷宮都市に逃げ込め」「一緒に召喚された五人はすでに保護された」というものだ。
 すぐ霞賀氏に相談に来た山西君と二人で、吟味し、本当なら大変なことだが、むやみに騒げば逃げられないよう監禁されてしまうかもしれない。それとなく情報を集めつつ、機を待つしかないだろうという事になった。
 一緒に召喚された他の五人が、愚者の刃という反教皇国テロリストに誘拐されて、現在行方不明になっていることは、彼らも知っていた。しかし、それが本当にテロリストによるものだったのか、彼らには知るすべがない。
 王国も教皇国も、稀人には調子の良いことばかり言って、都合の悪い情報は渡さないはずだ。それでも二人は、誤魔化されることが多い、と察した。
 ただ、やはり竹柴さんは将来の王子妃の地位に満足していそうで、沙灘さんはうっかり現地人にしゃべってしまいそうで相談できず、今すぐに四人の足並みをそろえることは難しそうだ。
「結果として、現状に不審を感じはしても、やはり思い切った行動にはつながらなさそうです。チャンスがあれば、単独でも抜け出しそうですが」
「まあ、そんなもんだよねぇ」
 それでも、逃げ込み場所としてダンジョンと迷宮が指定されており、王孫の護衛として害獣を駆除する冒険者資格を取ることは確定しているので、彼らも行先に迷うことはないだろう。