103 商人の国
保護した稀人たちとの協力体制を築きつつ、僕はオルコラルト国での旅も再開していた。
「うーみー!」 休憩のために大山羊車から降りると、ばんざーい、と両腕を広げて、僕は大きくのびをした。 遠くに見える岸辺の先には、青い海原が水平線を描き、キラキラと白波を押し立てている。 (海の色がピンクや黄色じゃなくてよかった) 稀人たちと僕らの、色の認識が違わなかったことは確認できている。地球でも、生物によっては色の見え方が全然違ったからね。僕らの眼球が、地球人と同じレベルで七色を認識できていたのはありがたい。 そして、この世界の海も、地球の海と同じで塩辛く、青や緑には見えても、黄色や白色に見えるような物質混じりではなかったようだ。 「あれが、海ですか……」 生まれて初めて海を見るハニシェは、遮られることのない風に髪をそよがせながら、遠くを眺めている。僕もショーディーとしてこの世界の海を見るのは、生まれて初めてだけど。 「ねえねえ、あの海の先にも大陸があるって、ホント?」 エースに水を出して休ませているソルに聞くと、彼はコクンと頷いた。 「はい。狭くなっているところから、船で渡れます。島も、たくさんあります」 なんと、広く見えるけれど、いま僕の視界にあるのは外海ではなく、内海らしいのだ。 教皇国の始祖である聖ライシーカは、元々はむこう岸の大陸出身なんだって。ソルたちが住んでいたセーゼ・ラロォナからも、むこうに渡ることができるらしい。 (一応、六百五十年前にはすでに、船を造れる技術はあったんだな。内海の幅がどれだけ狭いのかは知らないけど) 漁業から必要に迫られて発展したのだろうけれど、造船や航海に関する技術があったのはすごい。シロに聞く限りじゃ、ようやく金属の鋳造が始まるかなって時期だったのに。 「意外と、海に忌避感ないんだな。海の幸獲って食べてるんだろうけど」 「そうですね。海辺で生活している人間は、昔から多いですよ」 そう答えたのは、これまた生まれて初めて海を見るだろうに、あまり感慨がなさそうなスハイル。 「スハイルも、海は初めてでしょ?」 「はい。でも、私の先祖が、海の側で暮らしていたそうです。私の曽祖父さんか、そのまた祖父さんかは、知りませんが。海の話は、よく聞かされました」 「ほおぉ」 スハイルが子供の頃を過ごした愚者の刃は、グルメニア教に迫害された土着の信仰を持っていた民族をルーツに持つ。彼らが海の側で生活を営んでいたとしても、不思議はない。 「その海の話、聞かせてよ」 「子供に聞かせる様な、昔話で良ければ」 「僕、子供だよ?」 「本気で言っています?」 スハイルに「また変な事言ってんなコイツ」みたいな顔されたけど、僕はまだ七歳だよ。本当だよ。ほら、ソルもハニシェも、そんな顔しないでよ! 「なんていうか、リンベリュート王国以上だなぁ」 オルコラルト国有数の港町ムタスに入り、薄く開けた大山羊車の窓から見える街並みは、富裕エリアと労働者エリアがはっきりとわかれており、貧富の差というか、搾取する者とされる者の差が、嫌が応にも目についた。身分差がない分、そのエグさが資本主義の悪い所を見せつけてくるようで、僕はむくれ顔を止められない。 “障り”避けが見当たらないのは、ここが港町であると同時にリゾート地であり、国内の金持ちは元より、外国の貴族も来るからだ。排泄物はきちんと回収され、指定された周辺森林に撒かれて、やがて大農園の肥料にされるサイクルができているらしい。 (そういうところは金がかかっているというか……金に物を言わせて、教会から知識を買いあさっているんだろうけど) さすがは商人の国というか、金の使い方は上手いと思う。金で買えるものは買ってしまった方がいいのは当たり前だ。ただ、現金が流れる場所に偏りがあるせいで、国内に貧富差ができているのだ。 リンベリュート王国は、貴族と平民、領主と領民、という階級社会であるだけ、納得感があった。集められた税金の分配や、治安維持をはじめとした統治の責任が、領主個人や領主家にのしかかっていたせいもある。 もちろん、悪徳領主や放蕩貴族がいなかったわけではないし、むしろそういう奴も多かったのだけれど、王家というトップが頭を押さえつけており、他家から無能と思われたくないという意地から、かろうじて、領民が逃げ出すような統治は避けられていた。 しかし、オルコラルト国では、身分の上下がない代わりに、役職と金銭の過多がすべてだ。責任が個人や家ではなく、役職にかかってしまうせいで、ひどくぼんやりとした、おざなりな政治が横行していた。 (実直に商売だけをしていては利用される。搾取されたり干されたりしないよう、安全に暮らすためには、政治的に強くなるか、そういう人を支持して傘下につくしかないんだな。社会保障制度なんてないだろうし、一度コケると、這い上がるどころか、生きていくのさえ大変そうだ) 賄賂は当然、私腹を肥やす者はさらに肥え太り、持たざる者は適当なガス抜きすらされない貧困生活を強いられている。そして、そういった貧困層を奴隷として買取った金持ちが、大規模な農園を運営し、海や鉱山での危険な仕事に従事させ、また利益を得ているのだ。 せっかく王制よりは民主的な国なのに、これでは独裁者が支配していたり、貧しくて公務員に満足な金が払えなかったりする国と、大差ない。 実際のところ、この国には傭兵ギルドが存在し、金のある商人は傭兵を雇って、身辺を警護させているらしい。害獣よりも人間の方が、金を目当てに危害を加えてくる可能性が高いのだ。 「法律が機能していないのかな? 一応、身分差がないことになっていて、家長には選挙権もあるんでしょ?」 向かいに座っているスハイルに問えば、皮肉気な微笑が返ってきた。 「金持ちに都合のいい法律なら、通っているようですね。選挙権と言っても、ある程度の資産のある者に限られていますし、その票を集めたい者が金で買うことも当たり前です」 「勘弁してよ。それでよく国の信用があるね。そんな奴がトップ層にいるなんて、買収し放題じゃない。外交成り立つの?」 「金貨や銀貨の質だけはいいですからね。買収しようにも、オルコラルト金貨につり合うもので釣らないといけないので、工作費がかかりすぎるんです。この国のトップ層は、貴族でもないのに、それはお金持ちですからねぇ」 僕らにとっては大金でも、彼らにとってはした金では、買収にならないという事だ。数百億持っている資産家に一千万持っていったって、鼻で哂われるのと同じだ。 “障り”避けではなく金貨の臭いを嗅いだ気がして、僕は窓を閉めてため息をついた。 「それだけの金を積んだ奴が手にする一票か。そりゃ国政への参加は、貧乏人には高嶺の花だな。道徳なき商業とか、労働なき富とか……ガンジーの言葉だったかな?」 七つの社会的罪として、理念なき政治、労働なき富、良心なき快楽、人格なき学識、道徳なき商業、人間性なき科学、献身なき信仰、が挙げられていたはずだ。植民地支配に抵抗した人の言葉だと思うと、いっそう重みを感じる。 まあ、僕はこの世界の統治にまで首を突っ込むつもりはない。この国に住んでいる人間が、どうにか足掻いてより良い国にしていくべきだろう。 (ダンジョンや迷宮都市が出来ることで、この国の統治が変化する可能性は無きにしも非ず、だけど) 引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、トンズラするのだ。統治者たちからすれば、僕はさぞ憎らしい存在だろう。 「……それにしても、さっきから車が動いてないんじゃない?」 街中なので徐行していたが、それでもさっきから進んでいない気がする。 「言われてみれば……」 「ハニシェ、ソル、なにかあった?」 御者台の方を振り向いたスハイルの横に、僕も行儀悪く座面に膝をついて御者台に話しかけた。 すると、軽いノックに続いて箱車のドアが薄く開き、ハニシェが滑り込んできた。 「失礼します。どうもこの先でトラブルがあったようで、人で道が塞がれています。迂回した方がよろしいかと」 「ええっと、そのトラブルが起きている場所は、冒険者ギルドの手前なんだね?」 目的地まで、まだ結構あるのかと首を傾げた僕に、ハニシェはカガミが用意してくれた地図を広げた。 僕らが今いるのは、港町ムタスの観光地区だ。当初の予定通り、オルコラルト国の首都ミリオニアを避けてここに来たが、オルコラルト国の冒険者ギルド長から、会談の打診があり、この町の冒険者ギルドへ向かっているのだけれど……。 「いま私たちがいるのは、ここですね」 「冒険者ギルドまで、あと二ブロック先を左折……ということは、少し戻って、この道を行けば……」 その時、にわかに外が騒がしくなって、スハイルがハニシェの代わりに外に出ていった。ソルだけでは、まだニーザルディア語の会話が不安だし、大人の男がいると見られた方が舐められないからね。 しかし、その後すぐに、僕が乗った大山羊車はUターンをして、タカタカと道を戻り始めた。 「余程面倒だったんだな」 「スハイルさんの判断なら、私よりも信用できます」 苦笑いを浮かべるハニシェと比べれば、たしかにスハイルの方が切り替えが早いし、情に流されず冷淡に切り捨てられるだろう。厄介事を避けるための判断は、早ければ早い方がいいに決まっている。 やがて、迷いもなく進んで停まった大山羊車の外から、到着を告げるスハイルの声が聞こえてきた。 |