102 こっちへ呼ばれる条件


 『ひのもと町』にあるキャンパスは、大学の研究施設そのものだ。
 現在は、農産及び食品加工についてのセクションが稼働しており、畑や温室、育苗ハウスなど、あちこちに緑が見える。もうしばらくすれば、各ダンジョンに香辛料の草木が増え、いまよりも味の良い作物が実ることだろう。
 このキャンパスの近くに住んでいる七種さんと、僕はキャンパスのカフェテリアで会った。
「カレーもソースも作ってくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして。各スパイスの知識がないだけで、あんなにボンヤリした味になるのね。和風だしはいい感じだけど、コンソメやブイヨンは改良しておいたわ」
「ありがとうございます! 記憶やイメージだけの力技では、限界で……」
 現状を知ってもらうために僕が作ったものを食べてもらったので、七種さんの苦笑いに僕も頭をかくしかない。
 霞賀社長から逃げるために夜の世界で働いていた七種さんだが、いまは明るい色調の長い髪はひっ詰められ、派手なメイクは薄化粧になり、凶器になりそうなネイルチップも取り払われている。こうしてみると、どこにでもいそうな落ち着いたお姉さんだ。
「なんでアイツまで、こっちに呼ばれたのかしら。いえ、私と関連があったから、って言われれば、それまでなんだけど……」
 アイスコーヒーをストローでかき回しながら、七種さんは肩をすくめた。
 一緒に召喚されたものの、いまだ王城に居る霞賀氏は、七種さんの元婚約者だそうだ。七種さんは彼から逃げ隠れしていたのだが、それは商売をしていた七種さんのご実家が、霞賀氏に騙されるように買収されてしまった事が原因だ。霞賀氏は、七種さんが研究者になった時に、お祖父さんから譲渡された特許の利権が欲しいらしい。
 七種さんが持っていた特許についても教えてもらったが、グリシンを含む特定ペプチドの封入がどうとか、作用機序がどうとか言われても、さっぱりわからなかった。こっちでは必要な場面もないし、そもそも機材や材料の関係で科学的に再現ができないので意味がないそうだ。
「アイツ、変なことに手を出して、事業に失敗していたりして。まさかね」
「なにか、心当たりが?」
「そういうわけじゃないんだけど、私を探し回っているのが、すごくしつこかったの。そこまで特許が欲しいってことは、なにかやらかして、資金繰りに困っていたのかなって」
 七種さんの利権は、七種さんの実家の事業を単独で継続させるためならまだしも、手広くやっている霞賀コーポレーションの中では、そんなに重要ではないはずだという。
「こっちにきてから、他の人ともちょっと話したんだけどね。みんな、なにかから逃げたいとか、今いる場所に居たくないとか、思ってたらしいの。だから、まだあのお城にいる四人も、同じなんじゃないかなって」
 七種さんは、金しか見えていない元婚約者から逃げていた。
 水渓さんは、自分の将来を縛ろうとする実家から逃げていた。
 枡出さんは己が原因で家族を失い、後悔と虚無を抱えていた。
 彩香さんも家族を失い、奇異の目で見る周囲から逃げたがっていた。
 琢磨は長引く不況に鬱屈を抱え、自信を失い、自分の居場所を探していた。
(もしかして、あの召喚には、当人の同意はなくても、元の世界に執着がない人間がかかりやすかったのかな?)
 だとすれば、七種さんの予想通り、王城に居る四人も、むこうに居辛い事情があったのかもしれない。
(竹柴さんなんかは、こっちに来られて、明らかに喜んでいたしなぁ)
 再スタートを切れるのは、悪い事ではないだろう。連れてこられたのが、生きていけない環境なのは別として。
「一応、むこうの四人が暮らすための環境も作ったんですけど……」
「うんうん。……なにか、問題?」
「いえ、満足してもらうハードルが高そうだなぁって」
「あー……」
 悩ましい僕の告白に、七種さんも眉間にしわを寄せたまま視線を彷徨わせるという、器用な表情をしてみせた。
「いま、王侯貴族にちやほやされているんだものね。それ以上かぁ……。高級志向って言うか、憧れのセレブっていうか?」
「そんな雰囲気ですね。テーマとしては、開けた雰囲気の『ひのもと町』とは全然違う、全部が完結したアーコロジーをイメージしたんですけど。内装や施設はリゾート地の五つ星ホテルとか……豪華客船ですよね。バーがあって、カジノがあって、プールがあって、ハイソなセレブたちと、なんかビジネスの話ができちゃったりする感じの」
「うっは。あー、剛志なら満足すると思うわ」
 広々としたスイートルームや、星空の見えるレストラン、ブランド店が並んだショッピングエリアの様子もタブレットで見せると、七種さんはおおいにウケて、霞賀氏ならこれで大丈夫と太鼓判を押してくれた。
「あとの三人は、私にはわからないけど……でも、これで先制パンチは効くんじゃない?」
「ハーレム要員の用意はしてあります」
「ショーディーくんの見た目から、ハーレムなんて言葉が出てくるなんて……」
「すみません」
 小学生の見た目が言ってはいけない言葉だったらしい。
「気に入らなければ、住みたい環境にフロアごと替えられますから、実際に来てもらってから、追々といった感じですね。『ひのもと町』とは切り離されていて、行き来ができませんし、ダンジョンで冒険したいと言ったら、彼ら専用のダンジョンを用意しますよ」
「なんか悪いわね」
「いいえ。これが本来の、僕の仕事ですから」
 申し訳なさそうな七種さんに、僕は笑って答える。彼女が安心して暮らせる環境を作るためなら、その他の調整は当然だ。
(ただ……創ったはいいけど、使う機会があるかどうかがなぁ)
 そこはまだ、七種さんたちには言えないでいる。
 琢磨が僕にくれた『フェイネス新聞』が伝えることによると、リンベリュート王国の王城では、相変わらず国王に選ばれた稀人四人が悠々と暮らしている。そしてその全員が、すでに色々な名目で数名の異性をあてがわれていた。
 意外だったのは、王家が稀人専用の館を王城の敷地内に用意してあり、そこでなら、まあまあ清潔感のある生活ができるようだった。もしかしたら、召喚儀式の誘致をする際、教皇国側からこれだけの設備を用意しておけと言われていたのかもしれない。
 館の内外には、使用人や警備兵がうろついていて、稀人の側にはいつも侍女や従僕がいる。稀人だけが集まっているとか、一人でいる時が極端に少なくて、やはり僕が直に接触するのは難しかった。なんとか、危険性と逃げ場があることだけは知らせておきたいところだが……。
「あ、ねえねえ。話は変わるんだけどさ、その、害獣? とかいうやつ、薬剤で駆除はしないの?」
 七種さんの疑問に、僕も頷くしかない。
「害獣に効く毒薬がわからないんです。僕も、そういう知識がないし、なにより、この世界でそういう研究がされてなくて……そもそも、人間に有効な薬草も、あんまりわかっていないというか」
「ふーん」
 僕も、蚊取り線香に殺虫成分が含まれた植物が使われていることくらいは知っている。だけど、野原に放り出されて、どれがその植物かと聞かれてもわからない。
「なるほどねぇ。観察したり、経験を蓄積させ、記録を残したりするのにも、基礎教育が必要なのかぁ……」
「地球人類が、数千年をかけて集めた知識ですから。この世界の知識を集めるにも、そのくらいの時間は必要でしょう」
「金木さんも言っていたけど、気の長い話よね。まあ、私が知っていることくらいは提供するけど」
「ありがとうございます」
 ゴキブリ駆除に使うホウ酸は、サッソライトという白から黄色っぽくて軽い鉱石から作られ、それは温泉に含まれることが多いこと。
 殺鼠剤には、桜葉に含まれる血が固まりにくくなるクマリンや、海葱かいそうという球根に含まれる神経作用のあるシリロシドが使われていると教えてもらった。
 「この世界の知識」の中に、これらと似た物がないか探してみて、効果のある薬剤が実用化されれば、都市部の害獣被害はだいぶ抑えられるだろう。
「沙灘さんだっけ? たしか、薬師のクラスと、【調薬】のスキル持ってる人。その人が協力してくれたら、もっといいかもしれないけどね」
「そうですねぇ」
 僕もぜひそうあってほしいと思うけれど、沙灘さんは相変わらず自分から何かするという気配がなく、同性の友人を求めて、なぜかメイドたちにその辺の物を気前よくあげていた。
「あー。無闇に物をあげる人って、どんな心境でやっているんでしょうか?」
 唐突な僕の疑問に、七種さんは瞬きをしてから、ああ、と気が付いたようだ。
「そう言えば、水渓クンが言ってたわね。いわゆる、ヤルヤルタイプの人よね。クレクレと反対の」
 クレクレというのは、「一口頂戴」をはじめ、なんでも他人の物を欲しがる人のことだ。断ると「少しくらいいいじゃない、ケチ」と言う、真性ケチでもある。
 ヤルヤルはその反対で、相手が別に欲しくないものまで、押し付けるように譲渡する人のことで、譲渡物が時には自分のものですらない事もあり、周囲を巻き込んだトラブルになることもあるらしい。
「私もそういうのはくわしくないけど、お母さんから聞いたことがあるわ。もしかしたら、寂しいのかもしれないね、って」
 まったく予想していなかった言葉に、僕は飲みかけのオレンジジュースに咽た。
「寂しい?」
「そう。自分に自信がない……とも少し違うかな。他人との距離感というか信頼関係? そういうのを上手く築けない人が多いみたいよ。物をあげることで恩に感じてもらうとか、ちょっと不健全よね。そういえば、盗癖もあるんだっけ?」
 七種さんはしゃべる程に表情が渋くなっていき、僕も悩ましいと頷く。
「あー、うん。協力してもらいたいって言ったけど、聞かなかったことにしてくれていいわ。この町で一緒に暮らしているみんなに、迷惑かかったら嫌だし」
「はい。慎重にします」
「ごめん、そうして」
 二人そろってしょぼしょぼした顔になりつつも、僕たちは害獣に対する新しいアプローチを模索し続けるのだった。