094 避けられる事情と、回避したいリスク
戸惑った空気の中で頭を下げ続ける僕に、最初に声をかけたのは、意外にも中学生の不忍さんだった。
「えっと、謝らないで。少なくとも、私はこっち来られて嬉しい。ラッキーだったと思ってる。だって、私の人生は、もうとっくに狂っているんだもん」 空虚さを感じさせる明るい声で言った不忍さんは、片目だけで自嘲気味に笑いながら、やや手探りで僕の肩に触れた。 「えっと、ごめん。名前……」 「ショーディーでいいよ」 「うん、ショーディーくん。私のことも、彩香って呼んで。……あのね、この顔の傷、お母さんがやったの」 「えっ!?」 驚いたのは僕だけでなく、一緒にこちらの世界に来た大人たちもだ。 「新しいお父さんと、仲良く話ができればいいと思っただけなのに、子供のくせに男に色目を使うなって。割れたガラスにね。……目も、ちょっと治しようがないって、お医者さんに言われちゃった」 ショッキングというか、あまりにもひどい経緯に、僕もみんなも、言葉が出ない。 「それで、私は病院からそのまま施設に行って、もうお母さんとも、引き取らないって言った親戚とも会うことはないんだけど……。学校とか、地元だと、事件のこと知っている人ばっかりで、ヒソヒソされるのとか、変に気を使われるのが嫌で……だけど、県外にはまだ行けなくて……」 もどかしそうに話す彩香さんの気持ちは、わからなくもない。 身分差はあれ、七歳で独り立ちが認められるこっちの世界と違って、日本の義務教育も終わっていない年齢では、どうあっても行政の世話になりながらでないと生活していけない。それだけ、文化も経済水準も違うのだ。 ただ、行政の保護によって衣食住は保障されたとしても、ある程度の型や不自由は、いかんともしがたいことは、ままあるだろう。自由の代わりに命の保証がないこちらと比べて、完全に個人の自由にできるなどありえない。 「将来のこともそうだけど、それよりも、人の視線が嫌で、どうしようって、思ってたんだ。もちろん、優しくしてくれる人もいたけど……お母さんのことをよく知りもしないで悪く言う人や、私のことを子供のくせに気持ち悪いって言う人もいた。そういう事を聞くことがない、全然知らないところに行きたかったの」 現実的でない夢だとしても、無謀ともいえる逃避行だとしても、それが自分の希望だったのだと。無闇にかまわれないで、一人で心を癒す、静かな時間が欲しかったのだと、ぽろりぽろりと頬を伝う涙が訴えてくる。 「大人なら、きっと、ただ逃げ出しただけって言うと思う。高校を卒業するまで、もう少し我慢すればいいのに、って。どうせみんなすぐに忘れる、友達も新しく作ればいいって。でも私、あそこでそんなに待つくらいなら、生きていたくなかった……!」 思春期特有の潔癖さがなくとも、自分を不潔と見られることに耐えられないのは当たり前だ。顔に残った大きな傷跡が、否が応でも壊れた家族を思い出させる。家庭の問題で、こうなったのは結局自分のせいなのだと。根拠も責任もない、外から向けられる無言の呵責と同様に、彩香さん自身がそう信じてしまっている。それは、想像を絶する苦痛に違いない。 「だからね、私は、新しい町を用意してくれたショーディーくんのこと、感謝してる。あの町から出られて、とても嬉しい。ありがとう」 「彩香さん……」 「これから、よろしくね。わっ、手がちっちゃい」 握手しようと僕の手を取った彩香さんが、本気で驚いた声を出した。片目だと、だいぶ遠近感が狂うようだ。 「はい、よろしくお願いします」 「ショーディーくん、こんなにちっちゃいのに、さっきも難しそうなこと話してたし、すごいね」 「えぇっと……僕の中身は、そこのオッサンと同級生でして……」 「誰がオッサンだ。お前もオッサンだろ。一人で若返りやがって」 「だから、そう言ってるじゃないか。オッサンだった記憶が戻った時、五歳だったんだぞ。大変だったんだからな」 「あは、うふふっ」 琢磨との気安い遣り取りが可笑しかったのか、彩香さんは涙を拭って笑ってくれた。 「私も、彩香ちゃんと同じ……と言いたいところだけど、あいつも同じところに住むことになるの?」 片手を上げた七種さんは、同じく召喚されて来た霞賀剛志から逃げている。 「いえ、あの四人は、別の町を創って、そっちに入ってもらおうと思います。というのも、コンタクトを取るのも難しそうで……」 僕はタブレットから、オペレーションルームで録画した王城の様子を再生してみせた。 煌びやかなパーティー会場では、霞賀とタケシバさんとサナダさんとヤマニシくんの四人のまわりに、人だかりができている。霞賀はにこやかに貴族たちの相手をして、タケシバさんは王子たちを侍らせていた。 「え……? あらやだ。よく見たら、コイツ、コソ泥ババァじゃない?」 水渓さんが指先でツンツン差したのは、どこにでもいるような真面目そうな女性。 「サナダさんと、お知合いですか?」 「違うわよ。知り合いっていうか、万引き犯で有名だったのよ。お金は持っているのに、盗癖っていうのかしら? 盗んだものを、あげるあげるって、人に配るらしいのよ。スーパーで警察に引っ張られていくの見たことあるし、友達のバイト先でも出禁になったって聞いたし、あとアタシのお客さんにも知っている人がいたから、相当よ?」 「ひえぇ」 それはもはや、病院のお世話になるレベルではないだろうか。 「サナダ……もしや、沙灘……?」 「枡出さんも、知っている人ですか?」 「確証はないのですが、教え子の一人かもしれません。ずいぶん昔のことですし……ただ、印象が強いのは、保護者の方だったのですよね」 面影がある、と枡出さんは呟く。 「いわゆる、教育熱心な方でした。ただ、お子さんには合っていない勉強を詰め込んでいる様子でして、テストが返されるたびに、教師の教え方が悪いと、学校に怒鳴り込んでくるような方で……ええ、当時は胃が痛かったものです」 「えぇ……」 親の話もドン引きレベルだ。それだけインパクトが強い親なら、三十年経っても忘れないだろう。子供も大人になって、容姿がより似てきたのかもしれない。 「えっと、サナダ・ユウコさんという人です」 「ああ、そうそう。優子さん、そんな名前でしたね。あまりしゃべらない、大人しい子でした。学校を卒業してから、どうなってしまっていたのか……」 万引きの常習犯と聞いてしまったので、枡出さんの表情も痛まし気だ。 僕が広げていた資料から、彩香さんが一枚引き抜いて首を傾げた。 「タケシバ・ピュアって、同級生のお姉さんかな? ピュアって、純心って書くの。竹柴純心。私立高校に行ったのに、いじめがバレて退学させられたんだって。いまはひきこもりだって、噂されてたよ。会ったことないから、この人かどうかわからないけど」 「まじですか」 スウェット姿で異世界転移を喜んでいた姿も印象的だったけれど、彩香さんからの情報も強烈だった。 「去年卒業した妹の竹柴 お姉さんの噂もそうだけど、親のネーミングセンスをはじめとした態度もどうかと思う。苦労する子供が気の毒だ。 「なんか、意外と繋がりのある人間が召喚されているんだな?」 「奇妙というか、不思議ね」 琢磨と七種さんが言う通りだと思う。あの召喚魔法陣の解析が終われば、何かわかるかもしれない。 「ということは、この青年も、誰かの知り合いなのでしょうか?」 「ヤマニシ・ハルトさんという人ですね」 枡出さんの当然の疑問に、みんなでタブレットに映るヤマニシくんを見詰める。 「……いや、まさかな」 「琢磨?」 苦々しく呟いた琢磨は、しばらく言いよどんだ後、違うかもしれないぞ、と前置きをした。 「俺の姉貴が熟年離婚しているんだが、元旦那の浮気相手が、山西という女だった。その息子が、たしか大学生になるとかいうタイミングで……」 互いに視線が交わされる中、何とも言えない空気が漂う。 「その息子さんの為人とか、わかる?」 「たまたま絡まれた姪が言うには、友達いなさそうな意識高いしゃべり方をする中身のないゲス、だそうだ。フィルターかかって、そう言っているんだと思うが、フリーターでもデブでも足が臭くても、仕事さえあれば綺麗なアクセサリーを作れる俺の方がマシって言うくらいだから、だいぶ、なぁ……」 「キッツイなぁ」 そういえば、琢磨の姉ちゃんも、はっきりものを言う人だったな。姪ちゃんの口撃力は、母親譲りか。 「友達いなさそうな意識高い中身スカスカ……ハルト? 晴翔?」 「七種さんも知っているんですか?」 「セイナ……仕事先でできた友達なんだけど、最近しつこい客がストーカーになりそうって言ってて、そいつの名前が、たしか山ナントカ晴翔、だったような……よくある名前だから、違うかもしれないけど」 七種さんは自信なさげだが、偶然とも言い難い。 稀人の保護が僕の仕事ではあるけれど、その先も見据えるべきと考える僕としては、理想よりもリスクを取らざるを得ない。 「……隔離、決定です」 「「「「「ありがとうございます」」」」」 五人揃ってお礼を言われちゃったけど、誰だって、近寄りたくないよ。 |