092 一人の人生が終わったその後


 稀人五名をタウンエリアに招待したことで、またラビリンス・クリエイト・ナビゲーションの一部機能がアンロックされたらしい。
 僕はタウンエリアへ行く前に、アトリエで新機能を確認していくことにした。
「えっと……『稀人のスキル付け替え』に『稀人への迷宮品作成権限付与』ですと!? ふおぉぉぉぉ! 神アプデキタコレ!!」
 アンロックされた機能は二つだけだったが、これは非常に助かる。
 稀人はスキル枠が四つもあるが、デメリットの大きいスキルも持っている。これを希望するものに付け替えることが出来たなら、彼らの今後の生活が、物理的にも精神的にも、大いに潤うことだろう。
 迷宮品作成というのは、僕がやっているような「魔力を材料にイメージを具現化する」やり方で、物を作ることだ。これで、僕はこの世界にはまだない物や、日本にあった食べ物を作っていた。
(これがあれば、必要な物を作ってもらうことができる)
 例えば、化粧品なんかは縁がないので、僕には創りようがなかった。複雑な調味料の類もそうだ。カレールーやソースを再現しようとしても、元のハーブや香辛料がどんなものか知識がないので、ぼんやりとしたコレジャナイ味になってしまうのだ。
 確かなイメージを持った人が作ってくれれば、地球の品を模した迷宮生産品も、より近い物になってくれるはずだ
(これでなんとか、迷宮で生活することに前向きになってもらえればいいけど……)
 外で生きられないのは確定だが、閉じ込められて生きるしかないというのも苦痛が大きい。
 彼らをこの世界に招いてしまった責任の一端を担うものとして、そもそも召喚されて来た稀人を保護するよう依頼されて転生してきた身としても、彼らが人間らしく生活していく環境を整えることは、僕の絶対的なライフワークだ。
 僕は必要な資料をまとめて、タブレットと一緒に抱えると、彼らに滞在してもらっているタウンエリアへの扉をくぐった。

 その旅館の名前を考える時、「雀のお宿」とか「竜宮城」とか思い浮かんだけれど、どちらもなんか縁起が悪そうな気がしたので、無難に「旅館やそしま」とした。
「ショーディー様、お疲れ様です」
「やあ、女将。みんなの様子はどうかな?」
 やそしまの女将は日本人に見えるけれど、側近級ではない。そうは見えないが、種族イメージは鬼人で、こういう妖怪系の姿をしているアルカ族は『葬骸寺院アンタレス』に多い。
「みなさま、お夕食をおあがりになりまして、落ち着いていらっしゃいます」
 女将が揃えて出してくれたスリッパを履きながら、僕も空腹を覚えた。
「おっと。日本時間だと、もう夜なのか。僕もお昼を食べてないから、なにか軽く出してもらえるかな?」
「かしこまりました。竹菱の間へご案内いたします」
 女将についていき、小宴会場として割り振られた部屋に通された。
 竹菱型の引き手に手をかけると、すっと動くふすまの向こう。広い座敷には畳のいい香りがあり、手をついた柱は磨かれてつるすべだ。見上げた欄間には竹林の透かし彫りがしてあり、茂みに隠れるようにタヌキが顔をのぞかせている。
「おまたせ〜」
 僕が入って行くと、大きな座卓を囲んだ五人が、こちらに顔を向けた。みんな浴衣に着替えて楽にしてくれているようだ。ただ、当たり前ではあるが、まとう雰囲気には不安が滲んでいる。
 僕は空いていたお誕生日席に遠慮なく陣取ると、ふかふかな座布団の上に座った。
「えっと、あらためまして、こんばんは? 食事は口にあったかな?」
「ええ。美味しかったわ。それに、お風呂も広くて素敵だったわよぉ」
「旅館って、はじめてで、すごく楽しいです」
 明るいミズタニさんと、中学生らしいシノバズさんが、にこにこと満足そうに答えてくれた。おもてなしを用意した側としては、嬉しいね。
「それはよかった。……さて、聞きたいことがいっぱいあるだろうし、僕も話さなきゃいけないことがいっぱいある。とりあえず、自己紹介するね。僕の名前は、ショーディー。いろいろあって、こっちの世界に転移してくる日本人を保護する仕事をしているよ」
「やっぱり、異世界なの? どう見ても、ここは旅館・・なんだけど」
 旅館を強調してくるミズタニさんに、僕は嬉しさ半分な苦笑いを浮かべた。
「うん。ここは僕が創った迷宮だからね。みんなが飛ばされてきたのは、間違いなく異世界だよ。地球とは別の、他所の惑星って言ってもいいかもしれないけど。月がふたつあるんだ」
 一同の、なんだそれは、とでも言いたげな瞠目に、僕もクスクス笑ってしまった。
「でも、ちょっと待ってよ。月がふたつって、まるで『月がふたつ以外の世界を知っている』みたいじゃない」
「ミズタニさん、するどい。たしかに僕はこの世界生まれだけど、中身は日本人だよ。そして、生まれ変わる前の名前は、善哉翔ゼンザイカケル。そこの金木琢磨カネキタクマの、幼馴染だ」
「はぁ?」
 僕と目を合わせた小太りな中年男が、ぎゅっと顔をこわばらせた。
「おい、ふざけんなよ。冗談でも言っちゃ悪い事がある」
「冗談じゃないよ。琢磨は二人姉弟きょうだいで、お姉ちゃんがいる。琢磨が得意なのは算数と図工で、苦手なのは社会。中学の部活は美術部だった。佐鳥南小学校の三年生の時に、好きだったはる……」
「待てぇい!!」
 顔を赤くして遮られてしまったけれど、幼稚園から中三まで一緒だった琢磨の恥ずかしい歴史なんか、僕はいっぱい知っている。まあ、逆も然りなんだけれど。
 ふーふーと荒い息をつきながらも、座卓の上でこぶしを握った琢磨は、絞り出すように言った。
「……あいつは、死んだ」
「そうだよ。むこうで死んじゃったから、こっちにいるわけで」
「なんで死んじまったんだ!」
「そんなことを言われましても……避けられなかったっていうか」
 僕だって、殺されたくはなかったよ。
「あー、もしかして、俺が死んでから、そんなに経ってない?」
「……この前、四十九日が終わったって、おばさんが」
「まじか」
 ということは、こっちの一年が、むこうの一週間か十日くらいか?
「てか、琢磨は地元に戻っていたんだな」
「自分で事務所構えてた翔と違って、こどおじ・・・・のフリーターだよ」
 それは、なんかすまん。聞かない方がよかった。
 俺たちの世代は、定職につけないまま、ずるずると時が過ぎてしまった人間も多い。日雇いでもフリーターでも、働き口があるだけマシだった。一度は出た実家の子供部屋だろうと、金をかけずに安全に寝られる場所があるのはいい方だ。
(俺も、実家には妹たちがいたし、地元に帰っても仕事がなかったからな。柊木さんに拾ってもらえなかったら、まじでヤバかった)
 少ない給料は家賃光熱費その他に消え、食うや食わずの生活は、本当に精神がすさんだ。結婚して子供ができなければ、生命保険に加入することもない。そんな金銭的余裕はないし、そもそも結婚できる金がない。そういう世代だった。
「おじさんもおばさんも、妹ちゃんたちも、すげー泣いてたし……なんで、俺みたいなお荷物じゃなくて、ちゃんと独立して仕事してた翔だったんだ! 翔も相手を見ただろ? 俺と同じような奴だ。どうせ殺すなら、俺にすればよかったんだ。俺なら誰も悲しまねーよ!」
「琢磨、よせ。それはちがう」
 たしかに、俺を殺した相手は、俺や琢磨と年齢が離れてなさそうな風貌をしていた。だけど、あの時、たまたま居合わせたのが善哉翔だっただけで、それが他の誰であっても、殺されていい理由にはならない。まして、それが琢磨だったなら、俺が悲しむ。
「失礼ですが、亡くなったというのは……その、事件の被害者ということですか?」
 眉間に深くしわを刻んだマスデさんに、俺は頷いた。
「あ、はい。ミスミフロンティア駅前で、通り魔に。その後どうなったか知らないんですけど」
「ミスミフロンティアって、先々月の!?」
「うっそ。あの事件、何人か被害者いたわよね」
 思わずといった様子で声を上げたナナクサさんとミズタニさんの様子をみるに、けっこう大きなニュースになったみたいだ。
 俺が行っていた『GOグリ』のイベントがあったミスミ産業ホールと、近くのダイバーアリーナで行われていたアイドルのコンサートイベントから出る人が、時間的にたまたま重なり、あの混雑となっていたらしい。被害者は俺をはじめ、十名近い重軽症者が出ていた。
 俺を襲った男は、アイドルのイベントに行った人間を狙っていたそうだ。それに当たってしまった、俺の運のなさよ。
「あー、まあ、そこで死んじゃったのは、仕方がないです。親不孝なことではありましたが」
 両親と妹たちを泣かせてしまったのは、悪かったと思う。
 ただ、死に方が理不尽ではあったけれど、実家や人生にあんまり未練がなかったのは、たしかだ。俺を殺してしまった奴にどんな事情や理由があったのかは知らないが、ちゃんと司法に則って罪を償ってくれれば、それ以上の文句もない。
 すでにショーディーとして生きてきた僕にとっては、翔の最期の記憶ですら数年前の出来事という感覚だ。
「こちらで、みなさんの力になることができるなら、それもめぐりあわせです。また琢磨に会えて、俺は嬉しいよ」
「……馬鹿野郎が」
 浴衣の袖で乱暴に顔を拭う琢磨の仕草が、子供の頃と少しも変わってなくて、少し懐かしく思ってしまった。