083 人生、いろいろ


 約二ヶ月をかけて国中を回った僕は、すべての準備を整え終わった。あとは、一度王都に戻って、母上や、もう来ていたら父上からも、王家や貴族や教会の動きを教えてもらって、実装のタイミングを待つことになる。
「というわけで、君たちには、先に探索者登録をしてもらう」
 ハニシェをはじめ、僕の使用人たちは、冒険者証を持っていない。だけど、僕の使用人であるからには、迷宮への出入りは顔パスとなっている。
 ただ、迷宮エンを得て貯めて使うには、探索者登録が必要だ。
「ハニシェはもう持っているから、みんなに登録と使い方を教えてあげてきて」
「はい。みなさん、こちらですよ」
 ここは実装待機中の新しい迷宮都市『葬骸寺院アンタレス』にある、迷宮案内所。
 建材の違いはあっても、カウンターの配置やタイルの壁画などは、アクルックスの迷宮案内所とほぼ同じだ。これは、どこの迷宮都市の迷宮案内所に行っても、同じサービスが受けられることと、少しでも混乱を少なく、安心して利用してもらうため。そして、どこの冒険者ギルドでも、新人にあらかじめ教えておきやすくするためだ。
 アンタレスで活動する予定のアルカ族は、まだほとんどが待機中だけど、代表者になるスオウ大僧正と、迷宮案内所の職員だけは起動していた。
「アクルックスの次に我らを選んでいただいたお慈悲に、深い感謝を」
「アンタレスが実装されたら、アクルックス以上に矢面に立つと思う。君たちには、負担をかけてしまうな」
「なにをおっしゃいますか。己の傲慢さも恥も知らない、罪深い魑魅魍魎との戦こそ、我らが力の意義。望むところでございます」
 青白い顔色のスオウは、大僧正という最高位を持っているにもかかわらず、灰色の髪を短く整えた、涼やかな印象の若い男だ。ただ、何歳に見えるかと聞かれて、すぐに答えが出てこないだろう、年齢不詳さがある。二十代のような瑞々しい雰囲気を持っているかと思えば、七十を越えているかのような静かで重みのある声で話す。
 スオウの後ろに、影のようにひっそりと控える尼僧がいる。スオウの付き人を務める、彼女の名前はコキアケ。俯き加減で目深に頭巾をかぶり、その表情はよく見えない。
 『葬骸寺院アンタレス』は、その名の通り、修道院を兼ねたお寺だ。頑丈な石造りの、城塞のように大きな建物で共同生活しているアルカ族は、全員が修行僧か比丘尼だ。服装は和洋折衷なデザインの法衣で、生成りであったり墨染めであったり柿渋染めであったりと、色彩はさほど多くない。
 寺院内に商業施設はないが、ダンジョンに入る冒険者のための宿泊施設や食事処は、修行の一環という事でアルカ族たちに運営されている。もちろん、代金は発生する。
 アクルックスのように、職人の研修が受け入れられる様々な店舗が構えられているわけではないが、読み書きをはじめとする一般教養、護身術、製薬、医療、繊維加工、製紙、食品加工、炭焼き、陶芸、ガラス製造などの技術習得を、修行としてアルカ族と一緒に受けることができる。また、写経ならぬ写本が推奨され、アルカ族がグリモワールから書き写した和綴じ本は、王国ゼルジ硬貨で買い取ることが可能だし、紙代を払って自分で書き写せば、そのまま持ち帰ることができる。
 アンタレスは、全体的に、ストイックな環境と言えるだろう。僕は各迷宮都市の差別化を図り、人が一ヶ所に集中することも、逆に平均化されて代わり映えがなさ過ぎることも避けたいと思っている。
 そして、この寺院の敷地内には、いままで召喚されて来た稀人の名が刻まれた墓石が並んでいる一角がある。もちろん、中身なんてない。空っぽの墓だ。しかも、本人たちの魂がシロたちに合流せず行方不明なので、この世界の人間が記録を残した人の分だけで、名前の字も合っているかどうかわからない。
 それでも、この世界で果ててしまった……この世界に生きることを奪われた人たちに、何かしらの慰めと、この世界への爪痕を残したかった。
「僕もいつか死んだら、このお寺に埋葬してもらおうかな」
「ショーディー様……」
「いつか、だよ。そんな顔しないで」
 そのいつかが、四十年以上先の寿命となるか、または志半ばで倒れるかはわからないけれど。
 僕自身には、もう前世で五十年近く生きた記憶があるし、この世界での人生はロスタイムみたいな感覚だ。ただ、そのロスタイムが以前の人生と同じくらいの長さがあることと、詰め込まれたやるべきことが多すぎると思うのは、否めない。
「恐れながら、貴方様は、自分のものでもない多くの希望を背負わされ・・・・・ております。ひとえに、拙僧どもの不徳といたすところ。まこと、慙愧に耐えませぬ」
 スオウの沈痛な言葉は、アルカ族たちが一様に僕に抱く引け目、申し訳なさだと理解している。そんな彼らが、僕に協力しようとする姿勢が見えるからこそ、僕はアルカ族に、できるだけ良い労働環境を提供しようと思うのだ。
「貴方様になにかを言えるような身ではございませんが、ご無礼を承知でひとつだけ。姉君や兄君、ご両親、そして、拙僧を含め、あの者たちが悲しみますので、どうかご自愛くださいませ」
「わかったよ。ありがとう」
 スオウの視線の先には、アンタレスのアルカ族と、僕の使用人たちがいた。
(そうだね、ハニシェに泣かれたくはないかな)
 アルカ族たちに心配されないように、せめてハニシェよりは長生きしようと、緩く目標を掲げておくことにした。
 そのとき、てちてちと石畳を踏む足音が聞こえてきた。
「ぷっきゅ〜。もうかりまっか〜」
 幼女のような甲高い声を出しながら近づいてきたのは、「商い中」ののぼり・・・と大きなリュックを背負った、ずんぐりむっくりなでかい毛玉。
「ぼちぼちでんな〜」
「はー。やっぱりボンはノリが最高や。攫って埋めておきたい……スオウはん、怖い顔せんといて。ほんの冗談さかい、突っ込んでくれへんと毛皮が凍ってしまうわ」
 ぷきゅうぷきゅうと不満げに腹を揺らすこの生物は、各地のダンジョンに行商人として出没させる予定の、獣型アルカ族ゲッシ一家の一人だ。
 モルモットやハムスターのような、非常にもふもふした愛嬌のある外見だが、その体力や腕力は、迷宮都市の衛兵たちに引けを取らない。商売を邪魔するような人間がいれば、一撃で頭蓋を粉砕することだろう。
 『葬骸寺院アンタレス』に商業施設はないが、このゲッシ一家が代わりに露店や屋台を開くことになっている。装備の売買や整備、携帯食や医薬品の販売、迷宮案内所では引き取ってくれないドロップ品の買取りなどを受け持つ。なにより、取引品目に制限はあるものの、迷宮エン以外の各地の貨幣も使えるのが強みで、少額なら両替もしてくれる。ただし、レートはお察しと言っておこう。
「アクルックスでの予告は、もう広まっているかな?」
「ルナティエはんが、ようやってくれはってますわ。あー、あの、ライノはんとかいう冒険者が、アクルックスの案内所に張り付いておったさかい、外への周知は大丈夫とちゃいますか?」
 ブルネルティ領フェジェイ支部の副支部長であるライノなら、些細な告知でも見逃さずにギルドに報告していることだろう。
 現在『魔法都市アクルックス』の迷宮案内所からは、「各地でダンジョン発生の予兆がある」「各地のダンジョンでは迷宮エンがドロップしないので、管理用の探索者登録がなくても冒険者なら入場可能」「各地のダンジョンでも様々なドロップ品が手に入る」「アイテム『叡智の欠片』はドロップしないが、『稀人の知識』や『世界の知識』グリモワールが宝箱から出ることがある」「ダンジョンに迷宮案内所はないが、ゲッシ一家がいるので彼らと取引を行えること」等々の告知が出されているはずだ。
 僕はひとつ頷くと、こちらに戻ってくる使用人たちに柔らかく微笑んだ。
「そろそろ、カウントダウンといこうか」
 国中を引っ掻き回して、異世界人召喚の儀式なんてやっている場合じゃないと思わせることが出来ればいいが、そう上手く事が運べば苦労はしないだろう。
「みんな、僕を護ってね」
「「「「「はいっ」」」」」
 ハニシェやスオウを筆頭に、恭しく下げられた頭たちを、僕は心強く思いながら眺めるのだった。


 明日にはカレモレ館に戻ろうという日、箱庭の家でくつろいでいた僕は、リビングのソファに手をつきながら、よちよち歩いているファラを眺め、長い事考えていた懸案をハニシェにたずねた。
「ねえ、ハニシェ。ハニシェは、結婚したい?」
「はい?」
 ハニシェはポットを片手に、裏返った声で返事をしてきた。
「どうされたんですか、急に」
「ずっと前から、考えてはいたんだよ。だけど、ほら、ナスリンだって子供いるし」
 ナスリンは未婚の母だが、この世界ではナスリンやハニシェくらいの女の人は、既婚者が多い。
 ただ、身分が高い女性の侍女などでは、未婚のまま仕えている人もいる。元々結婚したくないという人もいるが、自分の幸せよりも忠義を優先するものらしく、特に女主人が未婚だったり子供が望めなかったりした時には、遠慮するのだとか。
「私は別に、結婚したいとは……好いた相手もいませんし」
「それは、僕が機会を作ってあげられてなかったし。お見合いとかする?」
 このままでは行き遅れてしまうし、父上と母上が近くにいるいまなら、お見合いを設定してもらう事も出来る。だけど、ハニシェは明るく笑って首を振った。
「ハニシェは、坊ちゃまのお世話をすることが、一番、大好きなのです。他の男の世話なんか、やってられませんよ」
 下町の女の子のようにあけすけに言うハニシェに、僕も考え直して頷いた。ハニシェは親に無理やり結婚させられそうになったことがあるし、ハニシェがいいなら、これ以上無理には言うまい。僕のお世話が好きと言ってくれるのも嬉しいし。
「それに、どうしても形式上必要とあれば、私よりも結婚を逃している人がいますからね」
「んにゅ?」
 首を傾げた僕は、ハニシェの視線を追った。
 ちょうど、ハセガワにしごかれて、よろよろしながら帰ってきた、スハイルとソルがいた。
「……なにか?」
「いいえ。二人とも、おかえりなさいませ」
 きょとんとこちらを見返したスハイルに、僕は無言でフルフルと首を振り、ハニシェは夕食の準備のためにナスリンがいるキッチンに行ってしまった。
 スハイルも……伯父上の美貌の愛人役をやっていたからね。仕方がないよ。