084 かけがえのないものへ
直接カレモレ館に戻ることもできたけど、みんなを驚かせてはいけないので、エースの大山羊車に乗って、ちゃんと王都の門をくぐって、先触れを出してから、ゆったりと到着した。
「ショーディー!」 「兄上!」 ブルネルティ家の使用人たちの挨拶よりも、真っ先に駆け寄ってきたモンダート兄上に抱え上げられ、僕の足はほんの少しの間、宙を泳いだ。 「お久しぶりです、兄上」 「ああ。ショーディーも元気そうだな」 「はい。とても元気です」 僕は兄上と手を繋ぎ、出発した時よりも多くなった使用人たちに出迎えられて、カレモレ館に入った。 兄上がいるという事は、父上もいるという事だ。 僕は両親に帰還の挨拶を済ませ、王都の様子を聞いた。 「まったく、酷い目にあった」 父上の眼差しが虚ろになっているので、だいたいの状況は察せられたのだけど。 僕の戸籍は、正式な手続きを済ませて、ブルネルティ家から独立が完了していた。やり手の貴族から邪魔が入るかと思われたが、そこは伯父上が官僚パワーで押しきったらしい。 ちょうど、伯父上と母上がマリュー家のごたごたを清算していた時であり、伯父上が「甥の一人なんだが、相続の関係もあって、早めに処理してほしいんだ」とかなんとか言って、担当者を丸め込んだそうだ。中途半端にマリュー家の騒ぎを噂で知っている人ほど、そういうことならと処理を早めてくれることだろう。 父上が王都に到着した時には、すべてが片付いており、当主を呼びつけて息子の一人を差し出させようと考えていた貴族たちは、まったくの手遅れであることに地団駄を踏んだそうな。 「殿方でも、あんなに高いお声が出るものなのですね。喉は痛くないのかしら」 「耳が聞こえなくなるかと思ったぞ」 母上も呆れており、よほどヒステリックな声を上げられたらしい。まあ、僕たちは父上の怒鳴り声にも、母上の怒鳴り声にも慣れているんだけど。普段声を上げている方の人達にとっては、けっこうしんどい時間だったようだ。 「やはり、キャネセル家の?」 「その辺りだな。あとは、ヘレナリオ家の取り巻きが近づいてきた。……ショーディーが予想した通りだな」 第一王女セーシュリー様が独立されて興ったヘレナリオ家には、僕と年が近い双子の男女がいる。その女の子の方と僕をくっつけようと考える奴が出てくる可能性があると、僕は父上に進言していた。 「ヨーガレイド家は相変わらず。レアラン家は派閥内がごたついていて、宰相のイクセミア家の動きも、思っていたほど激しくない。もっとも、どちらも我が家というよりも、ルジェーロ義兄上を恐れているようだがな」 あー、なんとなくわかる。伯父上がどんな罠や搦め手を用意しているか、僕だって用心するよ。 そのルジェーロ伯父上は、いまはマリュー邸に戻っている。実は、僕が王都を離れている間に、イリアおばあ様が亡くなっていた。寒い日が続いていたし、伯父上と母上がおそばに戻ったことで、どこか安心されたのではないかというのが、マリュー家の使用人たちの言葉だ。 エレリカ伯母上は様々なやらかしがあったとかで、伯父上とは離縁されて檻の中。従兄弟たちは、それぞれの父親の縁故の下で監視されているらしい。ヒイラギが言っていたように、あの婚姻誓約書にはツッコミどころも穴もあり、伯父上にかかれば拘束力などないに等しいものだったようだ。 「公方家や貴族たちは、そんな状態だ。どこも金の匂いを嗅ぎつけてはいるが、キャネセル家の派閥以外は、我が家に対して慎重だ。態度はでかいがな」 父上はフンと鼻を鳴らしたが、すぐにニヤリと笑って、ソファから身を乗り出すように僕に囁いた。 「ヴァーガンやヒューガムのボンクラどもを 「あなた」 「ンンッ」 やはりブルネルティ家の血は、無礼に対して拳で応えることを悪いとは思わないらしい。母上に睨まれても、父上は満足そうだ。 「教皇国の僧侶たちだが、早ければ三日以内に、 「わかりました。教えていただき、ありがとうございます」 「礼を言われるほどのことではない。それよりも、幼いながらに、はじめての王都でよく働き、我が家によく報せ、このカレモレ館を確保したこと、さすが我が息子。重畳である。ご苦労であった」 「お褒めの言葉、ありがたく」 父上からの労いの言葉に、僕も嬉しい笑顔をみせるのだった。 異世界人召喚の儀式のために、教皇国から僧侶や外交官の一団がやってくると、王都はそれだけでお祭り騒ぎになった。人出が多く、買い物に出かけるのも護衛無しでは危ないので、僕たちはほとんどカレモレ館から出なかった。 唯一の外出は、イリアおばあ様のお墓参りに行ったこと。 この世界では、稀人の知識を信仰するグルメニア教が幅を利かせているので、神様や仏様の概念が希薄だ。昔はあったのかもしれないが、いまはほとんど廃れてしまっている。スハイルが所属していた愚者の刃も、元をたどれば土着の信仰を持った人たちだったようだ。 だから、代々の墓をもっているのは貴族家や、領地持ちの家ぐらいで、棺も用意できない一般人は、布で包まれて、墓地とされている場所に適当に埋められて終わりとなる。 ある程度の規模の町ならば、町外れか城壁の外に地下墓所が造られているので、大地に還る前の御遺体を掘り起こしてしまうことはない。ただ、それぞれの墓碑もないので、墓参りと言っても、墓所の入り口にある献花台に供え物をして、墓守に心付けを渡すだけだ。 王都の外に三ヶ所ある墓所の内、身分が高い人たちの霊園がある、一番格式の高い地下墓所に、僕は母上と一緒にお参りに来た。オラディオおじい様も同じ地下墓所に安置されたそうなので、いまは夫婦そろって星を巡る流れにいることだろう。 「おばあ様は、とても可愛らしい人でしたね。おじい様がおばあ様を好きになったの、わかる気がします」 「ふふっ。ショーディーにそう言ってもらえると、わたくしも嬉しいわ」 おばあ様の最期を看取ることができた母上は、思っていたより気落ちされていないようだった。悔いのないお別れが出来たという事なのだろう。 「母上。人が死んだら、どこへ行くと思いますか?」 「どこへ? ……さあ、考えたことはなかったわね」 死んだらそこで終わり。グルメニア教徒は、だいたい、母上のような感覚であるらしい。 「そうですか。……死んだ後で、生前の行いを裁かれるのだとしたら、死後に罰を与えられ、罪を償わなければならないとしたら、恐ろしいと思われますか?」 「またショーディーの、不思議な考え方ね。そうねぇ、生前に罪を犯して、償わずに死んでしまった人なら、恐ろしいと思うのではないかしら。もっとも、誰がお裁きをするのか、知りませんけれど」 自他に厳しい母上らしい、至極もっともな感想だ。この世界にきた稀人たちは、閻魔様のことを教えなかったようだ。 「さあ、帰りましょう。またベルワイス様とモンダートが、あなたの使用人と手合わせをして楽しんでいることでしょう。まったく、王都に来てまで、剣ではしゃぐなんて……」 「あは、ははは……」 予想はしていたけれど、セーゼ・ラロォナ国の武家の一門であるネーヴィアの名を持っていたソルは、父上にも兄上にも引っ張りダコだった。流派の違う剣士と手合わせするのは、自分をより高められると嬉しそうにしている。 僕が奴隷市で買った時よりも、だいぶ健康的な肉付きになり、剣を振るう力も戻ってきていた。さらに、スハイルと一緒にハセガワにしごかれているので、見違えるほど動きが俊敏に、さらに正確になっている。 スハイルも、長身でありながら、主に室内や狭い路地のような閉所を想定した戦い方が主軸で、広い場所で剣を交えることに慣れた父上や兄上には、いい刺激になっているそうだ。 「あの二人が護衛ならショーディーを任せられると、ベルワイス様がおっしゃっていたわ」 「それは……」 父上はああ見えて、剣士として普通に強い。 父上の父上にあたるアルセリオおじい様や、初代ブルネルティ当主であるひいおじい様が無類に強かっただけで、父上も若い頃に王都で行われた剣術大会で上位に入った実力があるし、地方の兵力をまとめられるだけの指揮力もある。癇癪持ちで、うっかり失言が多いだけだ。 「父上に認めていただけたのなら、あの二人にとっても名誉なことでしょう。きっと、僕のことを護ってくれるはずです」 だから安心してほしい、と言ったとしても、母上は僕のことが心配に違いない。 母を亡くした母上の、僕の頭を撫でてくれる手は、思っていた以上に優しかった。 |