073 愚者の刃
それから数日後、僕は母上と一緒に、伯父上の愛人宅と認識されている家へ向かった。カレモレ館のような大きな屋敷ではなく、こぢんまりとした一戸建てだ。
「使用人はいるのでしょうか?」 「先触れに行った者によると、下男が一人いるそうよ」 「ということは、やっぱり女の人はいない可能性が高いですね」 「そうね」 女主人がいるなら、侍女かメイドの一人くらいいるはずだ。 僕たちが馬車から降りると、濃い金髪の男性がエントランスから出迎えてくれた。 「お兄様!」 「フォニア! 久しぶりだな。元気だったか?」 母上とハグをするこの男性が、ルジェーロ伯父上のようだ。彫りの深い顔立ちに、どことなくオラディオおじいさまの面影がある。 「お、君がショーディーだな?」 「はい! ショーディー・ブルネルティと申します。はじめまして、伯父上。お目にかかれて嬉しいです!」 令息らしくきちんと目上に対する礼をすると、温かみのある苦笑が降ってきた。 「さすが、フォニアの躾が行き届いているな。こんなに小さな子で、きっちり挨拶が出来るなんて、なかなかいないぞ」 「この子の従兄弟たちとは、大違いのようですわね」 「いやはや、痛い、痛い」 母上の皮肉にも、伯父上は全然悪びれた様子なく笑っている。 「さ、入ってくれ。外は寒いだろう」 僕と母上は伯父上についていき、護衛達は母上が言っていた下男らしい人影について行ったようだ。 伯父上の家の中は、散らかっている様子もなく、こざっぱりとしていて温かかった。応接室にはお茶の用意がしてあり、伯父上が手ずからカップに注いでくれた。 「ベルワイスからの手紙も届いていたんだが、応えられなくて悪かったな。……さて、どこから話したものか」 「最初から、全部、お願いしますわ」 母上の眉間に寄った皺を見て、伯父上は両手を上げて「わかったわかった」と話し始めた。 伯父上が勤めているのは外務省で、趣味にかまけて万年ヒラという評価を受けている。ただ、それは表の顔であり、伯父上が作ったシークレットな入れ物は、あらゆる機密の持ち運びや保管に最適とされていた。 ゼーグラー家が持っていた稀人の知識は、旧ニーザルディア国時代の異世界人召喚で獲得された物であり、リンベリュート王家が保管したがっていたが、ゼーグラー家もなかなか首肯しなかった。 そこで、絡繰りに造詣が深かった伯父上に白羽の矢が当たり、さまざまな駆け引きの末、エレリカ伯母上の生活の保障と引き換えに、ゼーグラー家が保管していた機械工学に関する知識を手に入れることができたそうだ。 ここまでが、およそ二十年前の話。 「ただ、王家もゼーグラー家と同じように、稀人の知識をただ保管するだけで、活かそうとはしなかった。知識が拡散するのを恐れたのだな」 不愉快そうに鼻を鳴らす伯父上は、たしかにオラディオおじいさまの息子なのだろう。その顔には、非効率は悪、と書いてあるように見える。 「得られた知識は活かしてこそ、だと思います。そうでなくては、何のために稀人はこの世界に呼ばれたのでしょう」 「そう! そのとおりだ、ショーディー。稀人の知識は、トロフィーでもアクセサリーでもないのだ」 伯父上はゼーグラー家から手に入れた稀人の知識を研究したがったが、王家に取り上げられてしまった。しかし、そのことで食い下がろうとは思わなかったらしい。 「……軍事利用できると、お気付きでしたか。身の安全のために、伯父上は余計なことを言わないで、引き下がったのですね」 「フォニア、なんなんだい、この子は? 察しが良すぎるだろう」 「ベルワイス様のお言葉によれば、ショーディーに常識は通じませんのよ」 なんかひどい言われようだけど、僕の予想は当たったらしい。 「まあ、そうだな。貴重な魔法使いに頼るよりも、いずれは機械を使った兵器を開発するようになるだろう。ただ、それを利用されただけの形になった私が、わざわざやる義理はない。軍部の技官なり、やりたい奴がやればいいことだ」 「そうですわね」 伯父上は稀人の知識をできるだけ読み込んでから、王家に逆らわず献上したそうだ。 「そういうわけだから、エレリカは好きにさせている。欲しかった知識は、この頭の中にしまったからな。ゼーグラー家がマリュー家の資産を乗っ取る気満々なのは知っているが、どうでもいいことだ」 「お兄様がそれでいいならかまいませんけれど、お母様についてはどうなっていますの? どうして家に帰らないでいますの?」 「あー、それなんだがなぁ……」 伯父上はガシガシと頭をかき回した後、ため息をついてから、囁くように口を開いた。 「愚者の刃を拾った」 僕には意味が分からなかったが、それがなにかの暗喩だというのは、目をかっぴらいてのけぞった母上の様子を見ればわかる。 「んな、んて、ものを……!」 「そういう反応になるよなー……」 伯父上はアハハと乾いた笑いを漏らしているが、視線は気まずそうにその辺を漂っている。 「それは、なんですか?」 「あー……」 「……いえ、ショーディーは知っておくべきですわ」 母上は僕に向き直ると、愚者の刃について教えてくれた。 「端的に言えば、反グルメニア教のテロリストたちです。反教皇国でもありますね。“障り”の原因は異世界人召喚儀式であるとしていて、稀人の知識を一掃し、この世界のあるべき姿に立ち返るべきだという主張をしています。彼らによって失われた稀人の知識も、かなりあるようですよ」 「おおー」 そんな組織があったのか。なかなか気骨のある連中のようだ。 「なぜそんなことになりましたの、お兄様」 「話せば長くなるんだが……」 元々この国に潜伏していた愚者の刃は、ゼーグラー家を狙っていたそうだ。ニーザルディア国が分裂した時、多くの知識が散逸したが、ゼーグラー家が持ち出した知識が残っていた。 「稀人の知識は教皇国が独占しているが、そこから偶然こぼれたか、あるいは複数の稀人からもたらされたために、現地に残った知識もある。教皇国に直接歯向かうには力がない愚者の刃は、そういう知識を狙って狩っているんだ」 幸か不幸か、ゼーグラー家は知識を研究したり商用利用しようとしたりしないで、金庫の奥深くにしまいこんでいたので、ゼーグラー家が保管しているものが、本当に稀人の知識であるという確証がなかった。そのために、愚者の刃も手を出さなかったのだ。 ところが、伯父上がエレリカ伯母上との結婚を機に入手し、たしかに稀人の知識であるとわかったものだから、各地からそれを狙った愚者の刃が集まってきてしまった。それなのに、伯父上がすぐ王家にパスしてしまったので、獲物を見失った者たちの同士討ちや、グルメニア教徒との抗争が発生した。 「愚者の刃の中にも派閥があるようでね。単に教皇国に恨みを持つだけの者から、グルメニア教の教典も稀人の知識を書き留めた書物もまとめて焼き払えって連中もいる」 「伯父上、どうして、そんな人たちができたんでしょう?」 「多くは、グルメニア教の強権的な支配……文化侵略ともいえるな。教皇国自体も、軍事的に多くの国を併呑してきた。それで迫害された地域の人達が寄り集まり、より反教皇国的な思想を持つ者たちで組織されたのが、愚者の刃だ。この名前も、教皇国側が便宜的につけているだけで、彼らのグループひとつひとつが、別の組織名を名乗っているよ」 そんな過激派がいるなんて、全然知らなかった。まだ僕が子供すぎて、得るべき情報の手掛かりさえつかめていなかったのだろう。 「彼らの衝突には、私も何度か巻き込まれたよ。おかげで、その頃から、なかなか家に帰れなくて……。あぁ、ちょうどフォニアが嫁入りした直後辺りだな」 「そんなに前から……」 「奴らもなかなか巧妙でね。父上が亡くなってからは、ゼーグラー家を通じてうちに乗り込んでくるようになった。そうしたら、教会からも目をつけられて、困ったもんだよ。我が家は関係ないのに、戦場にされているようなものだ」 伯父上は軽く肩をすくめるが、僕は思わず天井を仰いだ。あの屋敷から早々に退散して、本当に良かった。グルメニア教の工作員までいたかもしれないなんて、危なかったよ。 「母上はあの屋敷から動く気がないし、使用人たちも高齢になっていくのに、おかしな人間が入り込むのを避けるために、なかなか新しい人員を増やせなくて……正直、困っていたんだよ」 そこで伯父上は、屋敷の維持を放棄して、おばあ様の身辺だけは護れるように整理したらしい。 「それで……ちょうど、カルローが生まれてしばらくしてからかな。偶然、教会が愚者の刃のアジトを襲っているところに遭遇してね。そこで、大人たちに捨て駒にされて、最後まで戦って傷付いていた綺麗な人形を、バレないようにこっそり持ち帰ってきちゃったんだ」 悪戯っぽくもおばあ様に似た無邪気な笑みを浮かべる伯父上に、母上は呆れて顔を覆い、僕は開いた口が塞がらないまま、音もなく開いた応接室の扉の方に視線を向けた。 「あの頃はまだ、痩せて小さかったけど、警戒心いっぱいな目で威嚇してきて、可愛かったんだよね」 「えっと、伯父上。その綺麗な人形って、あの人ですか?」 「そうだよ。紹介するね。スハイルだ」 そこには、真紅のドレスをまとった、白皙の美人が立っていた。ただし、成人男性と同じくらいの背丈の。 「いやぁ、こいつを逃がしてやりたいと思ってたんだけど、あんまりにも綺麗だから、匿っている内に、ずるずると……アハハハ」 「あははは、ではありませんッ!」 すぱしーん、と母上の扇が、伯父上の額にクリティカルヒットした。 |