074 謎の細工職人の本性


 スハイルを匿ったはいいが、そこから伯父上は身動きが取れなくなってしまった。マリュー邸には、愚者の刃の目も、グルメニア教の目もあった。
 そこで、スハイルに愛人のふりをさせ、普段は下男として家の中で働いてもらっていたそうだ。
「職場に知られるわけにもいかないし、人間を隠すなら人形たちの中ってね」
 いま伯父上の隣に座っているスハイルは、背が高いせいで一昔前のビジュアル系バンドの人のようだ。人形みたいとは言っても、「巻きますか」とかは聞かれない雰囲気だ。表情が動かないから、マネキンのふりもできなくはないだろうけれど。
 伯父上の家には、それこそ本物の子供と見紛う程の人形も置いてあり、当時まだ十代だったスハイルなら、それらに紛れ込んでもわからなかったそうだ。
「……お兄様、料理が出来たのですね」
「ほら、私って器用だから。裁縫だってできるぞ」
「そうでしたわ……」
 伯父上は自慢げに胸を張るけれど、母上はぐったりしている。母上は領主夫人として、厨房には立たないからね。
「まあ、そういうわけで、屋敷の使用人にも、あまりこっちに来てもらいたくなかったし、できればフォニアを、こっちに呼びたかったんだ」
 それで伯父上は、わざと手紙の返事を書かなかったり、僕らが来てもマリュー邸に居辛くさせたりしたのだという。
「ネィジェーヌとモンダートからの手紙も読んだよ。いい子たちだね。手紙に書いてあったけど、迷宮ってなんだい? 稀人の知識が誰でも見たい放題だなんて、ブルネルティ領は、ずいぶん面白そうなことになっているじゃないか」
 子供のように目をキラキラさせた伯父上に、再び母上の扇が襲い掛かろうとしたけれど、僕が母上を止める前に、スハイルの手袋に覆われた手がぱしりと受け止めた。
 母上の眉尻がキッと吊り上がったけれど、スハイルは人形のように表情を動かさない。
「……ご無礼を。ブルネルティ夫人」
 意外と低い声に、ドレスが似合う綺麗さでも男なんだと再確認する。
「すまん、すまん。こいつは戦闘工作員として育てられていて、どうしても反応してしまうんだ。スハイル、控えろ」
 真紅のドレスが、すっと伯父上の隣に戻っていく。相変わらず、行動に音が出ないな。並の貴族以上に、立ち振る舞いが静かだ。
(戦闘工作員って、特殊部隊とか、パラミリみたいな? でも、テロリストなんだよな?)
 元々粗野なテロリストの子供だったとしても、十年くらい伯父上と一緒に暮らしているうちに、一般教養や行儀作法が身に付いていてもおかしくない。
「伯父上、どうしてスハイルを、あんまり他の人に見せたくないんですか? 十年も経っていたら、愚者の刃だって、彼がスハイルだってわからないんじゃないですか?」
「いい質問だ。愚者の刃には、派閥が色々あって、組織もいくつもあるって言っただろう? スハイルがいたところは、組織の人間の肌に印がされていてな。こういうドレスのような、肌が見えない服装ならいいんだが、ちょっとしたことでそれが見えてしまうんだ」
 納得の理由に、僕は力の抜けた息を吐いた。刺青か焼印かは知らないが、それは確かに、うかうかと人目のある所に出せない。逃がそうにも、不自然な服装では衛兵に見とがめられかねない。
「体の成長で、だいぶ薄くはなっているんだが、他の使用人と一緒にするのは不安が残る」
「たしかに……。それなら伯父上、スハイルが良ければ、ぼくにくださいませんか?」
「へ?」
「ぼく、あちこちを旅して、外国にも行くつもりなんです」
 そこで、僕はブルネルティ領に迷宮が出現したいきさつと、これからもあちこちにダンジョンや迷宮都市が出来るだろうこと、それに合わせて「この世界の知識」と「稀人の知識」が大量に出回るようになることを伝えた。
「そういうわけで、ぼくは教皇国をはじめとした権力者から狙われる……という覚悟はしていたんですけど、愚者の刃のことは知らなかったので……」
「なるほど。スハイルが一緒に居れば、いくらか力になれるだろうな」
「この子ったら、セーゼ・ラロォナ国出身の奴隷も買ったのよ。たしかに、その辺の人間を雇うよりも、教皇国に迎合しない人間の方がいいでしょうけれど」
「セーゼ・ラロォナ? たしかに奴隷商は来ていたが、あそこは教皇国とずぶずぶ……ああ、内乱に巻き込まれた者たちか! こんな遠いところまで……」
 むごいことをする、と呟いた伯父上の顔は苦々しい。
「……来年、異世界人召喚の儀式が行われる。そうすれば、教皇国の人間も、愚者の刃も、この王都リーベに集まってくる。私も忙しくなって、この家に帰れない時間が増えるだろう。それまでに、スハイルを、どこか安全な場所に逃がしたい」
 伯父上は仕事上、国外への通行証を発行することはできる。だが、身分証もない人間に発行すれば怪しまれるし、戦闘工作員として生きてきた子供を一人で放り出すわけにもいかなかった。
 そのまま匿い続けて、スハイルは大人にはなったが、このとおり目立つ美人に育ってしまったので、世間知らずの一人旅はトラブルしか生まないだろう。
 伯父上もおばあ様が生きているうちは、マリュー家のしがらみから外れるわけにもいかず、どうしたものかと悩んでいた所で、ブルネルティ家からの便りが届いたそうだ。
「スハイルは、どう考えているのですか? んと、このまま伯父上の侍従になりたいでもいいし、自由に一人暮らししたいでもいいし、どう生きていきたい?」
 僕が見上げると、長いまつ毛が影を落とす切れ長の目が、一回、二回と瞬いた。
「……ルジェーロには世話になりました。できれば恩を返したいと思っていますが、私がいない方が報いることになるならば……離れて生きる方が報いることになるならば、他の地で彼の力になりたいです」
「嬉しいこと言ってくれるねえ。私は、スハイルが元気で平和に暮らしていてくれるだけで、十分だよ」
 伯父上はにこにこしているが、スハイルを匿った動機が割と不純であることは忘れてはいけないだろう。この人、スハイルの見た目が綺麗だから持って帰ってきたんだし。
「それじゃあ、ぼくと行こうよ。それで、行く先々で、伯父上の絡繰りや人形の材料に良さそうな物を見つけて、送ってあげよう?」
「私で、よいのなら……」
「じゃあ、決まりね!」
 僕が手を叩くと、隣で母上が諦めたようなため息をついた。
「ショーディーは、いつもその調子ですのね」
「はい!」
 僕はこう見えて、けっこうタイトな人生を送りそうなんですよ、母上。使えるものは、どんどん使っていかないと。
「そういえば、母上はマリュー家の財政を検めるのに、伯父上と一緒に行くんですか?」
「ええ、そうしてもらえると嬉しいわ。お母様の名前で借金なんかあったらと思うと、食事がのどを通りませんのよ」
「ああ、いいけど……たぶん、大丈夫じゃないかな」
 呑気な伯父上に母上の目が吊り上がるけど、伯父上はヘラヘラ笑いながら何でもない事のように続けた。
「私の俸禄は、すべてエレリカに渡しているからね。それ以上に豪遊をしようとすれば、貴族に目を付けられかねないほど目立つ。そこは、エレリカもわかっていると思うよ」
「はあっ!?」
「お給料全部ですか!?」
 あまりにも、あんまりな伯父上の豪胆さに、母上も僕もびっくりしてしまった。それで伯父上たちはどうやって生活しているかと思ったが、伯父上はにやぁっと唇の端を吊り上げて笑った。
「あいつらは、謎の細工職人が持っている資産なんて、知らないからな」
 伯父上が作るシークレットボックスが、国の機密書類などの保管に使われている話は、さっき聞いた。ただ、それには小話が付随するそうだ。
 ある時、伯父上が趣味で作ったシークレットボックスに目をつけた職場が、ただでよこせと言ってきたらしい。
「こんな誰でも作れる物では、意味がありませんよ。職人ギルドでオーダーメイドの依頼を出すべきです」
 そういって断ったのだが、「宰相閣下も非常に気に入られた」というお言葉つきで、あちこちの省庁に取り上げられてしまったそうだ。唯一、軍務省だけは、素直に職人ギルドに依頼を出し、相応の金と引き換えに、頑丈な金庫と暗証鍵付きアタッシュケースを手に入れたそうだ。
 しばらくの後、上流階級の間で、華美な装飾が施されたシークレットボックスが流行ることになる。
 そう、伯父上が絡繰りの設計図を、金を払えばだれでも作れるよう、職人ギルドに登録していたのだ。
 この世界に、国が管理する特許はまだない。特産加工品がある領主が、いまだに領地内で職人を囲って、外出を厳しく制限しているところも多い。企業秘密を人間ごと、外界から物理的にシャットアウトしているようなものだ。
 ただし、職人ギルドには、使用料を払えば使っていいと預けられた、さまざまな作成方法や設計図がある。これは、稀人がもたらした考え方だそうで、「どうせ流出してトラブるんだから、金が入った方がマシだろ」という理論だ。
「さすがに、父上を知っている軍務省は引っ掛からなかったけどな。秘密の隠し場所や仕掛けの解除方法を誰でも知っているとわかって、顔を真っ赤にした宰相と、真っ青になった上司たちといったら……! その後? もちろん、ギルドに依頼された分だけ、たっぷり吹っ掛けて作ってやったさ。アハハハハッ、あれはいい気味だったな!」
 伯父上は大笑いするし、母上は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえている。
(伯父上も、母上と一緒で、怒らせたら怖い人なんだな)
 副業で大成功した伯父上は、本業の方では知る人ぞ知る、アンタッチャブルな人のようだ……。