063 男と女の事情


 いまは取り払われているだけで、王都にも“障り”避けがある。ということは……。
(トイレが無いんだよなー……)
 ここカレモレ館にも、トイレらしいトイレがない。マリュー邸にもなかったけど。
(しばらくは、壺生活に逆戻りだな)
 回収はされているようなので、回収員と仲良くなれたら、直接行かなくてもスラムや廃棄場の様子がわかるかもしれない。
 王都で何事を始めるにも、まずは情報収集をしなければ。
 ローガンと一緒に、使う部屋を掃除したり、シーツ類を運んだりしていたら、ハニシェに「坊ちゃま」とちょっと咎められる声で言われてしまったけれど、「ぼく、ハニシェが作った晩御飯食べたいなぁ。お腹空いちゃった!」とあざとく言って許してもらった。
 ハニシェの寝室だって僕の部屋の隣に用意したし、イヴェルとローガンの部屋だって、ちゃんと使用人棟に用意できた。
 これで、ここ数日の気疲れを、ゆっくり癒すことができるだろう。

「だー。もぉー。ちょーつかれたー」
「疲れたなら、こっちに来ないで寝ていればいいのに。ボス、まだ子供なんだから、風邪ひくよ?」
 オフィスエリアの会議室でぐったりしていると、イトウに呆れられた。
「明日は一日休みだから、カレモレ館でぐうたらする。その前に、色々と情報を整理しないと……」
「旦那様、ココアをお持ちしますか?」
「飲む!」
 あとで歯を磨いてくださいね、と言いつつ、うっすらと湯気が出ているマグカップを差し出してくれるハセガワ。
「んふ、おいち。よし、元気が出たから、ちゃっちゃと片付けるぞ」
 僕の方で得た情報と、側近たちが集めた情報のすり合わせをしておかないといけない。
「まず、マリュー家について。なにか、わかったことはある?」
「それが……ボスの中身が大人だとしても、少し言いにくいことばかりでして……」
 珍しく歯切れ悪い前置きをしつつ、カガミが資料を出してくれた。
「んんっ!? ……あぁ、そうか。カルローを見た時、なーんか違和感があったんだよなぁ」
「ええ、アレッサンドとカルロー兄弟は、ボスの従兄弟ではない可能性が高いようです」
 なんとびっくりというか、あの伯母上ならやらかしかねないというか……。
「いわゆる、托卵ってやつ?」
「その疑いが濃いです。ボスがいた世界のように、血液型や遺伝子情報で証明できないので、なんとも……」
 それは仕方がない。だけど、本当にわかりやすく色彩がちがったのだ。
 僕がおばあ様のところに行った時、おじい様の肖像画の近くに、マリュー家の肖像画もあったんだ。家族の肖像画と言っても、ルジェーロ伯父上が当主になってからの物ではない。オラディオおじい様とイリアおばあ様、ルジェーロ伯父上と思われる少年と、僕の母上と思われる赤ちゃんが描かれていた。
「マリュー家のみんなは、濃淡の差はあっても、みんな金髪で、目は赤か琥珀色だ。ぼくが会ったエレリカ伯母様の髪もプラチナブロンドだったのに、カルローの髪は紫がかった暗い赤色だった」
 目の色までは確認していなかったけれど、髪色だけでも随分違う。
「ゼーグラー家の色でもないんだよね?」
「そうですね。しいて言えば、ゼーグラー家の本家筋にあたるレアラン家の、先代の当主夫人の実家などに出る色のようですが、当然ながらエレリカとは直接血縁にありません」
「アレッサンドも?」
「アレッサンドの髪色は、プラチナブロンドです。ただ、目の色が両親と違う緑色で、顔立ちがルジェーロにまったく似ていないそうです」
「オウ……」
 これはなんというか、限りなく黒ではないだろうか。伯母上の交友関係が派手なのは有名だし。
「伯父上は、それで家を出てるのかな? なんで離婚しないんだろう?」
 この世界でも、家同士の婚姻が破たんするのは、体面に傷が付くと考えられている。だけど、跡取りが托卵というのはまずいだろう。完全に非は伯母上の方にあるわけだし、いくら惚れた女だからと言って、やりたい放題にさせているのはおかしい。
「実は、エレリカが嫁ぐ際に、『マリュー家がエレリカを生涯面倒みること』という約束を、ルジェーロが交わしているそうなんです」
「はあ?」
 いやそれ、思いっきりお荷物を押し付けられているじゃん。なんで伯父上はそれでオッケーしちゃったのよ。
「よくおじい様が許し……いや、おじい様に話しを通さずに、やっちまったんだろうなぁ」
 頭を抱える僕をよそに、ヒイラギがカガミの資料を覗き込んできた。
「失礼。……カガミ、これが原文ですか?」
「はい。婚姻における誓約書……これと全く同じ内容のものを、ゼーグラー家とルジェーロが、それぞれ持っているはずです」
「ヒイラギぃ、なんとかなりそう?」
「ええ。穴自体はありますので、いかようにも」
 さらっと言ってのけたイケメンに、僕の頭の中でファンファーレとクラッカーが鳴った。
「マ・ジ・で!?」
「簡単なことですよ。生涯面倒をみろとは書いてありますけれど、それを当主夫人として、とはどこにも書いてありませんし」
「はぇ?」
 婚姻誓約書なのに? と首を傾げた僕に見せたヒイラギのうっすらとした笑顔は、まるで冷凍マグロが詰め込まれた超低温倉庫の中にいるかの様に錯覚させた。
「だいたい、生涯を終わらせてしまえば、なにも問題はありませんよね?」
「は、はひ……? しょ、しょうかも……?」
 なんかすごく過激なことを言われたような気がしたけれど、とりあえず手があるという事が分かっただけで、十分だ。
「え、えっと……マリュー家の問題については、父上と母上が、まず整理してくれるんじゃないかな。借金とかあったら困るし、その調査とか」
「そうですね。ボスのおばあ様のこともありますし、まずはご両親がどういう方向に持っていきたいのか、その意思確認をしてからがいいでしょう」
 ヒイラギがふわっとしたいつもの笑顔に戻ったのを確認して、僕はちょっとホッとした。怖すぎて、なんか、まだ胸がドキドキしている。
「ええっと、それで、なんだっけ? あっ、そうそう、その話の繋がりで、女の人の生物学的なことで、確認しておきたいんだ」
「なぁに?」
 ひょいと反応してきたイトウに、僕はちょっと言い淀みながらも言葉にした。
「んと、この世界の人間の、生殖に関してなんだけど……」
「ああ」
 実は、この世界の女の人には、月経がない。
 何を言っているのかわからないと思うけれど、僕も初めて知った時には目が点になった。それで、どうやって妊娠するのかと。
「簡単に言うと、雌が発情して性交渉を行って強い性的興奮を感じて、そこでようやく排卵が起こる。性交渉の刺激で排卵が起こる猫に似ているけれど、多排卵なケースは少なくて、一度受精着床したら、他の雄と性交渉しても排卵は起こらない。子宮内膜は通常薄く、妊娠してから厚くなり、やがて胎盤に変化する」
「つまり?」
「たいてい、一発ヤればほぼ確実にデキるけれど、医学的に不妊要因がなくてデキなかった場合は、男がヘタクソだという評価になる」
 ものすごく開けっ広げな言い方で説明されたけれど、そういうことらしい。
「政略結婚とか、相手が自分の好みじゃなかったときって、どうするの? 跡取りは必要なのに、数撃ちゃ当たる、ってわけでもないんでしょう?」
「そこでなんと、当て馬稼業が成立してしまうのだよ、少年。結婚もしないで、普段何をやっているのかわからない親戚のお兄さんやおじさんが、実は汁男優だった、みたいな」
「おうふ……」
 これはこれで知りたくなかったような、いずれは知ってしまう世間の仕組みというか、なんというか……。
「当然、女の人バージョンもあるんでしょ?」
「まあね。娼婦や男娼が呼ばれて、ストリップ&自慰披露することが多いみたいだよ。まあ、どっちにしろ、使われる方は、酷い尊厳破壊だよね」
 自分に性的魅力が一切ないと宣言されているようなもんだ。悲しい。
「お子様が聞いていい話じゃなかった」
「ボスは中身オッサンでしょ」
「そーですけどー」
 大変深夜に相応しい話のタネになってしまったけれど、以上の事柄を踏まえると、伯父上の対外的な評価は、だいぶ悲惨という事になるだろう。妻に男として見られていないし、そっちの手腕もお粗末だって、まわり皆が思っているってことだもん。
「でもそうすると、ちょっと変だよね?」
 僕の疑問に、カガミが困ったように首肯した。
「はい。ルジェーロは愛人宅にいる。それは、元メイド長のラナリアの記憶からも確かです。ラナリアは、ルジェーロが住んでいる家に、豪華なドレスを着た女がいたのを見ています」
「それなのに、伯父上の愛人についての詳細な情報が、まったく出てこない。伯父上が愛人に子供を産ませたという話もない。……本当に伯父上は、女の人を囲っているの?」
 なにやら、ホラーな気配がしてきたぞ?