053 祖父の面影


 僕の祖父たちである、アルセリオ・ブルネルティと、オラディオ・マリューの関係は、両親に聞く限りは「仲良く喧嘩する」友人だったそうだ。
 それぞれの父に付いて子供のころから建国に携わり、その後、アルセリオは家督を継いで地方の平定と統治を任され、オラディオは王都で軍務省に勤めた。
(なんか、そういう刑事ドラマを見たな。俺たちが現場で動けるよう、アンタは偉くなれ、みたいな感じの)
 母上の侍女によると、僕はオラディオおじい様に似ているそうだけれど、たぶん性格的なもののことだろう。ネロスに屋敷を案内されている時に、オラディオおじい様の肖像画を見たけれど、顔はあんまり似ていなかった。
(なんか、厳めしいというか、偏屈そうな顔してるよね、オラディオおじい様。僕より性格悪かっ……じゃない、容赦がなかったのかな)
 額から頭のてっぺんはツルッとしている代わりに、立派な口ひげを生やし、特徴的な鋭い眼光は、絵の中からでも僕を睨みつけているように見えた。
 ちなみに、実家にあったアルセリオおじい様の肖像画は、父上とよく似ていたけれど、表情は兄上みたいに朗らかだった。陽キャ……もとい、ユーモアのある人だったのかもしれない。姉上に剣を握らせた張本人だけど。
 イリアおばあ様の部屋は、屋敷のなかでも日当たりのいい一角にあった。当主が代替わりしても、女主人として相応しい部屋と設えのままなのは、使用人たちが先代夫婦の方こそ慕っているからのようにも思える。
「失礼します、大奥様」
「あら、お客様? あら、あら、まあ!」
 オラディオおじい様の妻であるイリアおばあ様は、御年六十を越えている。前世の感覚だとまだまだけど、この世界ではいつ召されても不思議ではない御敬老だ。まあ、ちょっと認知症始まっていても、驚くようなことではない。
 だけど、揺り椅子の上から、まるで少女のようなあどけない笑顔で迎えられると、自分が孫だと言うのに、少しためらってしまう。なんか、本当に老人という雰囲気ではない。
「はじめまして、おばあ様。フォニア母様の一番下の子で、ショーディーといいます」
「フォニア?」
 おっと、自分の子供の名前も忘れてしまったかな?
 怪訝な顔をした祖母に、僕もどう説明したものかと一瞬考え込んだけれど、少し方向が違った。
「オラディオさまったら、わたくし以外の女子のお名前を……。ひどい方ですわ」
「えっ、えぇ……」
 ぷんぷん、とでも言いたげに頬を膨らませた祖母から、僕は慌ててネロスに顔を向けたけど、そのままでと視線を返されてしまった。
 どうやら祖母は、僕を恋人時代の祖父と間違えているようだ。え、僕まだ六歳なんだけど?
「えー、あー、んんっ。すまない。今日は、お土産をたくさん持ってきたんだ。機嫌を直しておくれ、ぼくのイリア」
「許してさしあげますわ! うふふっ」
 お、おう……。これでいいのかわからないけれど、おばあ様の笑顔が可愛いから、ヨシッ!

 おばあ様と現在のことについて話すことはできなかったけれど、昔の王都……ロロナ様やライノが、まだ王都にいた頃の様子は少しわかった。おばあ様は特に名のある家柄の出身ではなく、そのことを引け目に感じているようだったけれど、皺だらけの手に僕の手を重ねると、頬を赤らめて嬉しそうにしていた。
 一緒に庭を散歩する約束をして引き上げたけれど、おばあ様はもう寝室と居室の中くらいしか歩けないそうだ。
「大奥様があんなにお元気な様子は、久しぶりでございました。ありがとうございます」
「喜んでもらえたようだし、よかったよ」
 感激しているネロスに、僕は曖昧に笑って、マリュー家にお世話になるからと持ってきたお土産の類を、目録と共に渡した。
 主に、迷宮産の魔道具やアクセサリー、嗜好品、そしてコーヒーの消臭剤なのだけれど、この現状では過剰な貢物にも見える。まさか、こんなにひどい状況だとは思わなかったからね。
「まあ、こちらからの礼は尽くした。そちらで適当にやってくれ」
「御意のままに」
「……おばあ様に、不自由だけはさせないように」
「肝に銘じます」
 実際、伯父上が家に帰らなくなってから、伯母上が屋敷の中の人事を握ろうとしたそうだ。主人やその妻にクビを言い渡されたら、使用人たちは逆らえない。
 だが、当時伯母上に一番嫌われていたメイド長が、ここで一計を案じた。
『看護師や介護を含めた人員は、雇い賃が非常に高価である』
 使用人ネットワークを使って、上流階級の家々にそういう噂を流し、気に入らないからと解雇しても、その後で余計な費用が掛かると思い込ませたのだ。
 稀人のおかげで、看護や衛生に関する知識はあったものの、それは教皇国がほぼ握っており、きちんと教育を受けて貴人の介護にあたるには、それなりの元手が必要だった。しかも、有名なところでロロナ様の例があり、彼女の侍女たちは、たしかに元王女の侍女という事を差し引いても高給取りであった。
 被介護者を惨めな状態にしておくことは、家の沽券に関わる恥。メイド長が流した噂は、不自由な家族のために、より良い環境を用意できることが一種のステータスとして、玉突き的に使用人の立場と給料まで本当に上げることに成功した。
 かえりみて、イリアおばあ様のお世話をしていたのは、昔からおばあ様に仕えていた侍女たちであり、彼女たちが独自に勉強して仕事にあたっていたので、給料は昔のまま据え置かれていた。雇い直しとなれば、その給金は跳ね上がることだろう。
 メイド長は高齢を理由に職を辞して伯母上の留飲を下げさせ、その裏で自分に支払われていた給料分を他の使用人たちに分配して上乗せするようネロスに依頼したことで、おばあ様の身辺を護れる使用人を残したのだ。
「そのメイド長は、いまどこに?」
「ラナリアは昨年に亡くなりました。彼女の家族が、王都の下町にいるはずです」
「そうか」
 もし家族が仕事に困っているようだったら、こちらで雇って、ブルネルティ家の王都の家を任せようかな。候補には入れておこう。
 とにかく、現在のマリュー家は穴開きだらけで、かろうじておばあ様のまわりだけは、がっちりガードされている。伯母上と従兄弟たちに関しては、伯母上が雇った使用人たちがチヤホヤしており、全体を把握して指示を出さねばならないネロスも扱いに困っているありさまだった。
「それもこれも、伯父上がだらしないからだろうけど……。まあ、この件に関しては、母上にご報告申し上げる。それは了承してくれ」
「はい」
 むしろ、言わなかったら僕が母上にシバかれそうだ。
「状況は、だいたいわかった。こちらも、できるだけ急いで住む場所を確保するから、それまで厄介をかけるよ」
「滅相もございません。誠心誠意、お世話させていただきます」
 ネロス以下、旧来のマリュー家使用人たちは信用できそうだ。情報を得られていなかった彼らにとって、ほとんど闖入者である僕とハニシェを、全力でサポートしてくれることになった。

 その夜、夕食時になっても、やはり伯母上たちは僕らの前に姿を現さなかった。完全に、自分たちの生活圏から出てこない構えの様子だ。
 僕とハニシェは、一緒に部屋で夕食を取ることにして、ネロスたちには普段と変わらないよう、伯父上か伯母上からの指示がない限り、特別気を使う必要はないと伝えておいた。そんなことよりも、イリアおばあ様のお世話の方へ注力してもらいたい。
 僕たちは特に歓待されたいわけではないけれど、マリュー家から礼を失しられていることに変わりはない。その責任は、使用人代表でしかないネロスや、認知能力さえおぼつかなくなったおばあ様にはなく、すべて当主である伯父上と、伯父上の代わりをするべき伯母上にある。
「やれやれ。こうしてみると、ぼくんちって、まだマトモだったんだなぁ」
 緊急で父上たちに出す手紙の用意をしながら、僕はしみじみとため息をついた。
 父上は癇癪持ちでも、領主としてちゃんと仕事をしていたし、子供の教育に金を出し惜しみするような人ではなかった。母上は厳しさに偏りはあっても、僕たちが恥をかかないよう躾けてくれていた。夫婦喧嘩をしても、それは感情的であっても忌憚なく意見を言い合っていたのであり、互いを嫌っていたわけではなかった。
「坊ちゃまのお目が厳しいのは、ハニシェもわかっていましたよ」
 苦笑いされてしまったけれど、この世界の基準は、日本の感覚が抜けない僕からすると、だいぶいい加減で身勝手で無責任だ。ダブルスタンダードが普通で、力がなければ正直者が馬鹿をみる。
「マリュー家の使用人達が、まるでオラディオ様がおられるようだ、と言っていました」
「へ? そう?」
 たしかに、あの肖像画を見る限り、家人に対して厳しそうだった雰囲気はある。軍官僚だったってことは、規律にも厳しかったんじゃないかな。
「おじい様が生きていたら、伯父上や伯母上が責任放棄しないで、使用人もきびきび働いていたってこと?」
「オラディオ様は厳格な方で、けっして不平等や不誠実を許さなかったそうです。いまのマリュー家のように、客人に無礼を働き、使用人が分断されているなんて、絶対にありえなかったと。統率のための身分、雇用上の身分はあっても、それは職責や給金などの、正当で必要な関係であって、それにより人を差別するのは非効率で馬鹿馬鹿しいことだと……。ふふっ、坊ちゃまと同じような事をおっしゃっていたんですね」
 ハニシェは嬉しそうに言うけれど、僕もびっくりだ。おじい様って、合理主義というか、僕よりもよっぽどリアリストだったんだな。
「坊ちゃまは、マリュー家にとって甥にあたりますけれど、今は客人という立場ですから、これ以上の口出しはされないでしょう? その見極めと言うか、ご自身に対しても厳しく律する様子も、オラディオ様を思い出させるようですよ」
「……なるほど。僕がおじい様に似ているって、言われるはずだ」
 オラディオおじい様、会ってみたかったなぁ。