048 話し合いは大事


 僕はこれからも自由に動き回る。もちろん、迷宮やダンジョンを出現させるために、国外にも行くだろう。
 だけどその時、ブルネルティの家名を背負っていると、それが庇護よりも足枷になりかねない。身分を保証してくれるのはありがたいけれど、まかり間違って現地の権力者から余計な紐をつけられるのは勘弁してもらいたいのだ。
(【環境設計】で神出鬼没ができるから、現地の調査は別として、できるだけ目立ちたくないんだよなぁ)
 と、いうことを、全部両親に話すわけにはいかない。
「たとえばですけど、ぼくをセーシュリー様のお子の婚約者にしろって命令されたら、父上、逆らえますか?」
「む……」
 セーシュリー様は、この国の第一王女だ。現在は公方家のひとつであるヘレナリオ家の当主夫人という身分であり、双子を出産した後、あまり体調が良くないと聞いている。
 ヘレナリオ家の双子は男女で、僕と同じくらいの年齢だったはずだ。男児は家を継ぐからいいとして、女児の方は他の貴族家か、外国の王族に嫁ぐことになるだろう。通常ならば。
「力ずくで迷宮を手に入れられないなら、迷宮との交渉ができるぼくを、なんとかして取り込もうとするんじゃないでしょうか? ブルネルティ家とヘレナリオ家では、身分が違いすぎますけれど、国王陛下なら、なんとかしてしまうんじゃないですか?」
「……ありうる」
 さすがにどうしようもないと、父上の顔は苦り切っている。隣の母上も、頭の中で忙しく対策を考えているようだけれど、妙手は浮かんでいないようだ。
「父上や母上が、ぼくを護ってくれるのは、疑いありません。ですが、ぼくのせいで、父上や母上、姉上や兄上が、とても困った状況になってしまうのは、ぼくが嫌なんです」
 幼い姿なりに、切々と訴えかけたら、父上も母上も、僕の言っていることに理があるとわかってくれたようだ。
 渋々と頷く両親に、僕は大きく頷いて見せた。
「そうね。あの迷宮都市は、モンダートのためにショーディーが出したのでしたね。そのせいで、わたくしたちが進退窮まるのは、本末転倒というもの。あなたの望みではないのでしょう」
「はい、母上。ぼくは成人して、他の武家に婿入りするか、武功を立てなければ、けっきょくは平民になります。それが、少し早まるだけです」
 末子が家名を捨てるだけで、本家が面倒なことに巻き込まれることを防げるのならば、当主の判断は決まっている。
「しかし、しかしだ!」
 立ち上がった父上が、イライラと談話室の中を歩き回る。兄上とそっくりな頭から、ぷこぷこと怒りの湯気が上がっているように見えた。
「父上は、家のことに誰かから手を出されるのが嫌いなんだ。それも、自分じゃ覆せないところからさ」
「当たり前だ、モンダート。唯々諾々と従っているならば、ブルネルティ家である必要はない!」
 実に武家らしい、負けん気が強いというか、良く言えば誇り高い言い方をした父上に、意外にも姉上がにこりと微笑んだ。
「お父様の意見に賛成です。ですが、私はショーディーの心遣いにも、特に感じ入るものがありました」
「なに?」
「ショーディーは、口では生意気な事を言いますけれど、結局は私たちが困らないように、いつも助けてくれているのです。いままでは、何も言ってくれないか、後から教えてくれましたけど。今回は、それを前もって、私たちに教えてくれています。優しい子ですよ」
 そんな風に姉上に言われると、照れてしまう。別に、僕は優しくないぞ!
「そうそう。いままでは、父上も母上も、ぜんぜん話聞いてくれなかった。でも、いまはちゃんと聞いてくれるから、ショーディーも話してくれるんだぜ」
 兄上まで……。なんか、僕の顔がすごく熱いよ!
 僕ひとりで照れて挙動不審になっていたけれど、父上も母上も自覚というか、思い当たることがあるのか、神妙に顔を見合わせて、そっと互いに視線を逸らせている。
 まあ、僕や姉上の意見を頭ごなしに否定したりしていたし、僕が家出してからも、夫婦喧嘩がかなりひどかったらしいしね。
「……わかった。手続きをしておこう」
「ありがとうございます、父上」
「ただし」
 自分の席に戻って、深く腰掛けた父上は、どこか縋るような視線を僕に向けてきた。
「ただのショーディーになったとしても、お前は私たちの子だ」
「……はい!」
「うむ。それがわかっているなら、私から言う事はない」
 僕は左右から撫でられたり抱きしめられたりしながら、両親からの半ばあきらめたような微笑みを受け取った。



 両親との間に感じていた壁が取れて、行動の自由も公認された僕は、何となく心まで軽くなったような気がした。
「あの人たちも、子供相手に話す気がなかっただけで、話せばわかる人だったんだなぁ」
 両親が城館へ帰ったので、僕もミモザの自宅でのんびりしている。ハニシェが焼いてくれたクッキーと、迷宮産の紅茶が美味しい。
「坊ちゃまが賢すぎるのでございますよ。坊ちゃまくらいの子供には、普通、大人の話は難しゅうございます」
 うーん、中身オッサンの自覚がある僕には、ハニシェの言うことは耳が痛い。全然子供らしくない、装えていないってことだからなぁ。
「領主さまたちと仲直りできたことは、とてもいいことですよ。ハセガワさんもそうおっしゃっていましたし、ハニシェも同感にございます」
「うん?」
 たしかに、両親の来訪はヒイラギが姉上やアンダレイを唆して仕組んだことだったけど、ハセガワもそんなこと思ってたんだ?
(僕の側近たちって、僕のことどう思っているんだろう?)
 そういうこと、全然気にしていなかった。
 まあ、アルカ族を創っているのは僕だから、対等な人間だとは思っていないけど。
(労働環境の整備だけじゃ、足りないかなぁ?)
 世の中の社長さんって、部下や社員に、どんなことやってるんだろうな?
 僕は一人で仕事していた個人事業主だったから、部下のマネジメントとか知らないんだよ。とはいっても、下っ端として、上からされたくないことはわかっているから、そこは配慮しているけれど。
「……みんなとも、一度話した方がいいかな」
「そうなさってください。きっと、皆さん喜びますよ」
 ハニシェにニコニコされて、ちょっと恥ずかしかった。そんなこと求められているのかなぁ。
(消臭剤の開発をしてもらったし、燿石の分析と対策も考えてもらっているし、邪魔にならなければ、落ち着いたときに慰労会しようか。ああ、そういえば新人も今度起動するし、歓迎会も兼ねるかぁ……)
 考え事をしながらクッキーを齧っていたので、気が付いたらポロポロとこぼしていた。
「あ、ごめん。行儀悪かったね」
「坊ちゃまは、もう少し何も考えない時間をお作りになるべきですね」
「えー」
 お掃除はハニシェの仕事です、と言われてテーブルの上を片付けられてしまった。
 夕食の時間までアトリエで仕事しよう。

「というわけでね、みんな、なにか困ってることないかなぁって、聞いてるの」
「なるほどわからん。困ってたら、みんなすぐにボスに言うし?」
 オフィスエリアに行ったら、ちょうど実験場から研究室に戻るところのイトウと遭遇したので、そのまま研究室にお邪魔した。
 僕にはリンゴジュースが出されたけれど、白衣を着たイトウはエナドリらしき物をぐびぐび飲んでいる。大丈夫かな、この子。
 迷宮の中ならば、僕の一存で消臭も芳香も思いのままなのだけれど、外はそうはいかない。
 迷宮の外で使える消臭剤を開発するにあたって、日本にあったような、イオンをどうこうして臭いを分解するとか吸着させるとかそういう物質を人工的に作るのは無理があった。そこで、コーヒーの出涸らしを使うことにした。
 ダンジョンにコーヒーの木を生やして、コーヒーマニアだったらしい稀人の知識を元に、実を収穫して魔法で乾燥や脱穀とかやって豆にした。現在のアクルックスでは空前のコーヒーブームが起きていて、アルカ族や冒険者を問わず、自家焙煎やブレンドに凝る奴まで出てきたらしい。コーヒーの日除けに植えたバナナも収穫できたので、バナナスィーツフェアもやっている。
 イトウが飲んでいるエナドリっぽい飲料は、そのコーヒーからカフェインを抽出した副産物だ。
「イトウ、ちゃんと寝てる?」
「睡眠不要な体になって嬉しいのに、なぜ寝なければならない?」
「そうきたか。休憩しないって、メンテしないってことでしょ? パフォーマンス落ちないの?」
「む……そう言われてみれば、休憩は必要、か?」
 疑問形にしないでよ、ほんとにもう……。
「あ、じゃあアレ使ってみたい。稀人の知識にあった……まっさーじちぇあ?」
「おーけー。それっぽいの創ってくる。イトウの部屋においておけばいい?」
「うちの部屋って、どこだっけ? 帰ったことない」
「わかった。休憩ラウンジに置いておくから、そこで使って」
「アイアイサー」
 側近たちとよく話し合う必要があることを、僕はひしひしと実感した。