046 ごめんなさい


「そもそもだ、アレは人間が管理できるものではないのだろう? 冒険者ギルドのポルトルルが無理だと言っているんだから、無理だ。王家に丸投げしたって、失敗した後で我が家に押し付けられるのが目に見えている」
 むすっとした表情のまま言う父上に、僕はあっけにとられた。
「父上、ご慧眼です」
「あのな、ショーディー。少しは父を敬え?」
 そんな事を言われても、グルメニア教を狂信している姿しか見ていなかったので。あと、家族に対しては明らかに悪手を連発していたので。
「まあ、お前たちのおかげで、我が領は迷宮の恐ろしさを先に知り、どう付き合うべきなのかわかっている。そのうえで、上手く立ち回る必要がある」
 迷宮から得られる知識や物品は、独占できれば、いくらでも富が得られるだろう。ただ、独占できれば、というのが不可能事だ。
 それを理解しているか、信じないか、それは各陣営の頭による。
「ショーディー、お前が一番迷宮に詳しい。防衛に関して、相容れない所、我が家と連携を取れるところと、そうでないところ、わかっているだけでいいから報告しろ」
 武家として成り立ってきたブルネルティ家の当主らしく、まずは軍事的なことを聞いてきた父上に、僕は素直に話した。
「はい。まず、迷宮と相容れないのは、グルメニア教とライシーカ教皇国です。それ以外は、共存できる可能性があります」
「うむ。ダンジョンから出るという、稀人の知識だな。我々にとっては、ありがたい限りだが」
「はい。いままで稀人の知識を独占してきた教皇国にとっては、ダンジョンと迷宮は消したい存在です」
 父上も稀人の知識のことは信仰しているけれど、教皇国がそれを独占してでかい顔をしていると気付いたからには、少しは頭が冷えたようだ。
 これは僕が、稀人の知識をばらまいて希少価値を下げる、と決めていた成果が出てきたと言っていいだろう。
「そして、迷宮は迷宮だけで、完璧な防衛が出来ます。我が家の助けは要らないので、むしろ敵が攻めて来たら、アクルックスまで通していいと思います」
「なに、それでいいのか?」
「はい、大丈夫です。迷宮主が言っていました」
 これはちょっと誇張が入っている。
 いままでは僕もそうだと思っていたけれど、燿石が魔力と相性悪いことがわかった。燿石の技術を持っている教皇国が、迷宮を構成している魔力に干渉できるようになってしまったら、この優位が崩れてしまうだろう。
(それまでに燿石のことを解析して、対策を考えないと)
 ただ、現在のところは、人間が何人来ようと、迷宮の防御を突破することは不可能だ。迷宮特有の排除機能や、アルカ族の能力の高さは、早々覆されることはない。
「ブルネルティ家は、あくまで中立。迷宮の存在を容認する代わりに、迷宮に出入りする冒険者たちに便宜を図り、迷宮から出てくる知識や富を利用する。そして、領地の中に入ってきて迷宮を欲しがる勢力に迎合しない。それで大丈夫です」
「さっそく公方家がやらかしたようだしな」
 ロロナ様の侍女が起こした事件についても、耳に入っているようだ。
「迷宮側がロロナ様の謝罪と罪人の引き渡しを受け入れたので、今回は収まりました。ですが、将来にわたって、ブルネルティ家が迷宮を支配しようとしたならば、おそらく迷宮は消えてしまうでしょう」
「消えるのか? あれが?」
「そして、どこか別の場所に出現したら……?」
 渋い物を口いっぱいに詰めてしまったかのように、父上の顔が歪んだ。
 欲をかけば、迷宮から得られていた知識や富を失い、「迷宮に逃げられた領主」という不名誉なレッテルが残るだけ。さらに別の場所に迷宮が出現いどうしたならば、今度はそちらが栄える。ブルネルティ領が著しく凋落するのは、目に見えている。
「ブルネルティ家が気をつけなくてはならないのは、迷宮を狙う勢力に弱み……たとえば、人質を取られるとか、そういう事態を起こさないことです」
「我が家を盾に、迷宮を明け渡せと?」
「迷宮がそれに応じることはありません。たとえブルネルティ家が皆殺しになったとしても」
 無言で唸る父上に代わって、眉間を険しくした母上が囁くように指摘した。
「脅されるのは迷宮ではなく、我が家ですわ。そして、脅しに屈しても、破滅するだけです」
「そのとおりです、母上」
 たとえば、姉上がグルメニア教に人質に取られて、返して欲しければ迷宮を潰せと言ってきたとしても、ブルネルティ家には不可能だ。姉上か迷宮か、あるいはその両方を失うことになる。
 たとえば、迷宮をよこさないと領地を取り上げるぞ、と王家が脅してきたとする。拒否すれば家を取り潰されるし、ブルネルティ家がどうぞと差し出したとして、迷宮は消えてしまい、二度とその恩恵を受けることはなくなるだろう。
「大事なのは、弱みを見せず、王家すら躊躇わせられるほどに、領地を強く保つことですわ。脅迫が効かないと思わせる強さを、常から見せつけるのです。ベルワィス様、しっかりなさってください」
「う、ううむ。そうだな、フォニア」
 妻に睨まれて父上はカクカク頷くけれど、調子に乗りやすい父上は、その辺がちょっと頼りない。
(けっこうポロリしちゃうんだよね、父上。兄上のスキルのこととか、召喚儀式のこととか。前科があるからなぁ)
「父上よりも、姉上を社交に出した方がいいんじゃないんですか? 母上に厳しく教えてもらってるんだし」
 父上は肩を跳ね上げ、母上は両眉を跳ね上げたけれども、兄上の進言にすぐ言い返すことはなかった。
「ネ、ネィジェーヌをか……」
「たしかに、躾はしましたが……」
 いつもは姉上が領主っぽいことをすることに否定的な母上だけれど、自分の教育が足りないとは思っていない。姉上の慎重さや堅実さを、母上もよくわかっている。
「これから少しずつ、母上とだけでなく、父上の仕事にも連れて行けばいいんじゃないですか? なっ、ショーディー?」
「はいっ。姉上は、お忙しくなると思いますが……」
「大丈夫よ。お父様とお母様のお仕事を、少しでもお手伝いできたら……私も領地のために働くことができたら、とても嬉しく思います」
 領地経営に前向きな姉上の意思をあらためて確認して、顔を見合わせた両親は方針を固めることにしたようだ。
「いいでしょう。ネィジェーヌがそこまで言うのなら、ベルワィス様をお助けして、このブルネルティ領を治めてみせなさい」
「お母様……!」
 これには、僕もモンダート兄上もにっこりだ。姉上の進路については、夫婦喧嘩の種のひとつだったからね。
「よかったですね、姉上。いっぱい、お勉強してきましたからね」
「これで俺も、思いきり魔法剣士の道を究められるぜ!」
 兄上は兄上で、我が道を行けると喜んでいる。まあ、僕も応援するけど。
「そういえば、『とちだいがわり』の『ふけいさんかん』特例として、今回だけ冒険者でない私たちでもアクルックスに入れるそうだが。私たちでも、魔法の修練を見られるのだろうか?」
「へあ?」
 父上から発せられた、妙に耳馴染みのある単語に、僕はぽかんとなった。
 なにそれ。僕、聞いてないんだけど?
(ヒイラギの仕業かぁ〜!)
 優しそうな穏やか笑顔を思い浮かべて、僕は両手で顔を覆った。色々任せているというか、実質丸投げしているのは僕だけど! 驚かせないで!
(土地代代わりの父兄参観かぁ……。今後も、教育機関が入った迷宮を創った時に、その土地の所有者に取り入る為に使える手、かなぁ?)
 たぶん、似たような特例を出すことで、政治的な軋轢を減らすとか、取引材料のひとつにすることはできると思う。
「じゃ、じゃあ。魔法学園まで、ご案内しますね」

 数日後、アクルックス魔法学園で教諭たちからモンダート兄上の様子を聞いたり、再会したロロナ様からお小言をもらったりする両親がいた。
 その後は、普段より少しだけ嫌味を押さえたルナティエと会談し、迷宮案内所や大図書館といった主要施設を視察する。
「……すごいな」
「ええ。まるで、夢のようですわ」
 賑やかな商店や宿屋が建ち並ぶも、ゴミひとつ落ちていないアクルックスの街並みをそぞろ歩く両親の後姿は、圧倒されていると同時に、どこか楽しそうで、創った僕も嬉しくなった。
 そして、日を改めて僕が『学徒街ミモザ』とその周辺の農地を案内すると、整然とした教育施設や研究施設、充実した実技研修に、またぽかんとした顔でため息をつく。
 いずれはここから優秀な農夫や技術者が、ブルネルティ領のあちこちへ巣立っていくのだと説明すると、それがどれほど領地を栄えさせるか想像して、眼差しが遠くなっていた。
「まったく、いつの間に……ショーディーが出て行ってしまってから、まだ、一年も経っていないのだがなぁ」
「ロロナ様のおっしゃる通りでしたわ。……ごめんなさいね、ショーディー」
「ああ、悪かったな。お前の言う事を、ちゃんと聞いてやらないで」
 僕を抱きしめてくれる母上と、くしゃくしゃと頭を撫でてくれる父上を見上げて、ほんの少し、後悔した。
「ぼくも、生意気ばっかり言って、ごめんなさい」
 僕はたぶん、意固地になっていたのかもしれない。
 この世界に対する嫌悪感と、稀人の受け入れ態勢を整えなければならない焦りで、必要以上に攻撃的な気分になっていた。
(それはきっと、善哉翔としては、当たり前で、必要な気持ちだった)
 だけど、ショーディー・ブルネルティとしては、まず父母と心を通わせるために時間を使う時期だったのだ。
「父上、母上。心配かけて、ごめんなさい」