031 特別ということ―モンダート
自分はトクベツなのだと思っていた。
父母に愛され、毎日食事を欠かすことなく、寒さに凍えることもなく、使用人たちになんでも世話をされて生きてきた。 いずれは家名を背負って、父祖の勲を継いでいくのだと思っていた。 だから、剣の稽古はちゃんとやった。勉強は、覚えてもすぐに忘れちゃうから、ちょっと嫌いだ。 欲しいと思ったものは手に入るし、まわりの誰も持っていない【土魔法】のスキルも授かった。父上にも母上にも褒められて、とても嬉しかった。 自分は、トクベツなのだと、思っていた。 父上と母上が喧嘩している大きな声が聞こえないように、俺はベッドにもぐりこんで耳を塞いだ。両親たちの部屋とは離れているのに、城館中に響き渡るような声や物音が、ここ数日ずっと続いている。 【土魔法】を授かったせいで、俺は王様の命令で、稀人を召喚する儀式に参加しなくてはいけない。そして、儀式に参加したら、魔力が涸れて死んでしまうらしい。 (なんでこんなことになったんだ!) 悲しかったし、悔しかった。 どうして俺だけが、そんな目に合わなきゃいけないんだ。他に誰かいるだろう! (死にたくない……!) 怖くて、怖くて、さっきから涙と鼻水が止まらない。だけど、泣いている声を使用人に聞かれるのは恥ずかしい。 こうしてうずくまって唸っていると、いつもなら弟のショーディーが、いつの間にかそばに来て慰めてくれた。俺が嫌なことや困っていることを話すと、俺にもできる解決策を詳しく教えてくれた。 弟は大人に対して生意気だけど、俺にはいつも「兄上、兄上」と小さな体で追いかけてきた。そして、いつだって俺が困らないようにしてくれる味方だった。 跡取りが俺じゃなくて姉上の方がいいと言っていたのも、理由を聞けば納得だった。俺は、姉上みたいにたくさん勉強したくない。剣を振っていたいんだ。 そう考えると、別に【土魔法】もいらないような気がしてきた。 (ショーディー、助けてくれよ) その弟は、もう城館にいない。父上と喧嘩をして、家出をしてしまった。 その時、遠くから物が壊れるような音と、叫ぶような怒鳴り声が響いてきた。 (もう嫌だ!) 両親が諍い合うのも嫌、自分が死んでしまうのも嫌、家族がバラバラになってしまうのも嫌、どうすれば解決するのかわからないのも嫌。 嫌な事ばかりが、ぐるぐるぐるぐると回って、どうすればいいのかわからない。 「うっ、ひっ……うぅっ……ひっく」 鼻水と鳴き声を殺しているせいで、息苦しく熱がこもった頭から溢れるように、涙ばかりがぼろぼろと止まらない。 (誰か助けて! 誰か……!) ぎゅっと目を瞑って、ひんひんと情けない呼吸をくりかえしていると、小さなノックの後に、誰かが自室に入ってくる音がした。使用人はメイドも護衛も誰も入ってくるなと言ってあるので、涙を拭って文句を言わねばと体を起こしかけたが、毛布越しに優しく背を叩かれた。 「モンダート、大丈夫?」 「……あねうえ?」 恐る恐る毛布から顔を出すと、彼女は驚いた顔をして、俺の前髪をかきあげるように撫でた。 「まあ、顔が真っ赤よ。こんなに汗をかいて。……そんな風にしていたら暑いじゃない。ちょっと待っていなさい」 薄く扉を開けて、メイドになにか指示を出すと、ネィジェーヌ姉上はすぐに扉を閉めて戻ってきて、俺のベッドに腰かけた。 「まったく、お父様もお母様も、もう少しお声を落としていただきたいわ。雷のように大きな音は、聞こえてくるだけで恐ろしいもの。ねえ、モンダート?」 「……っ、はい」 また目尻に滲んだ涙を乱暴に拭って、大きく深呼吸をした。使用人たちに泣いているところを見られるのは、恥ずかしくて絶対に嫌だが、姉上に見られるのも、ちょっと恥ずかしい。早く落ち着かなければ。 それでも、優しく背を撫でてくれる姉上にもたれかかり、泣き疲れた体と怖さに叫びたがる心を休められた。 姉上の金色の髪は母上に、青い目は父上と同じだけど、お顔立ちはおばあさまに似ているらしい。たしかに、時々険しいお顔をされる母上には、あまり似ていなくて、父上のお部屋に飾ってある、父上の母上という人の肖像画にちょっと似ている。 俺はこげ茶色の髪の毛も青い目も父上そっくりで、性格はおじい様に似ていると言われることが多い。弟のショーディーはその逆で、髪も目の色も母上に似ていて、中身は母上の父上に似ているらしい。 (ショーディーが父上とよくケンカするのは、そのせいなのかな?) 生意気なショーディーに母上も怒っていたけれど、侍女長のパルティに「亡くなったオラディオ様に似ていらっしゃいませんか」と言われて、なんとも言えない困ったお顔をされて、黙ってしまったところを見たことがある。パルティは母上が結婚する前から母上のお傍にいたから、オラディオおじい様のことも知っているはずだ。 そんなことをつらつらと考えていたら、メイドが冷水を絞った手ぬぐいを持ってきてきたので顔を拭き、ベッドから簡単なティーセットが用意された席に移動した。 姉上はメイドたちをまた部屋から追い出し、俺のために温めたミルクをカップに注いでくれた。 「私たち家族がバラバラになりそうな、困難な時期だというのは、貴方もわかっているわね?」 「はい」 だから死に怯えるのは止めろ、と言うのかと思ったが、姉上はあまり見せない悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「信じていたでしょう? 私たちの弟は、とても賢くて、誰よりも優しいのよ」 ドレスのポケットから取り出した手紙は、家出をしたショーディーからのものだった。 びっくりするほど薄くて綺麗な植物紙には、無事に目的地に着いたこと、問題なく元気にしていること。そして、俺が儀式のせいで死なない為に、十分な魔力量を確保するための町を作っている、と書かれていた。 (あいつ、こんなに字をたくさん書けたんだな) ちょっと見当違いな所で感心してしまったけれど、それにしても、町を作る、ってどういうことだろう。 「詳しいことはまだわからないけれど、ショーディーは私たちを見捨てたりなんてしないわ。さぁ、元気を出しなさい。貴方はあの子の兄なのに、先に諦めてはダメよ」 「は、はいっ!」 姉上に励まされ、ミルクとクッキーで元気を補給した俺は、両親の喧嘩をあまり気にしないようにした。俺が悲しくて疲れてしまうことを両親も望まないだろうから、聞こえても忘れてしまって構わない、とまで姉上は言い切った。 それから、机でする勉強も、もう少し真面目にやるようになったのも、付け加えておく。……このままだと、字の上手さまで弟に追い越されそうだったから。 その年の暮れには、冒険者だけが入れる『魔法都市アクルックス』という場所ができたと知らされた。 そこへ行った冒険者によると、ライシーカ教皇国のように栄えているらしい。 「ショーディーの町ですか?」 「たぶんね。……ねぇ、モンダート」 コソコソと内緒話をする俺に、姉上はまた、悪戯っぽい微笑をひらめかせた。 「家出しない?」 相変わらず両親どちらか、あるいは両方の怒鳴り声が響く城館で、なんだか慣れてきたような、でも実はそうでもない気持ちを抱えていた俺は、何も言わずに頷いた。 厳寒な時期を避けて姉上と俺は城館を出て、『魔法都市アクルックス』に向かった。当然、父上も母上もお怒りになったが……それは俺たちが冒険者資格を持ったからだ。 「なんだか、もやもやします。怒るところ、そこなんだ、って……」 「お父様たちにとっては、領地内にいる限りは、城館と同じ扱いなのね」 それはそれで好都合だと姉上は言うけれど、冒険者になることを拒んで俺に付いてこなかった、護衛のイライジェのことも、なんだか腹立たしい。 (俺よりも、自分が冒険者じゃないことの方が大事なんだ) 俺の護衛もそうだけれど、姉上の侍女も辞めて実家に戻ってしまったらしい。 結局、主君の子供よりも自分のことが大事なんだと文句を言ったけれど、姉上は「そうね」とあっさり肯定してしまった。 「いいじゃない。口煩いのがいないのよ? なんでも自分のことは自分でやらなければいけないけれど、自分でなんでも決めていいのよ?」 「……もうちょっと寝ていたいとか、苦い野菜は食べたくないとか」 「うふふ。モンダートには、やっぱりお目付け役が必要ね」 「いやですよ、姉上!」 そんなことを姉弟で話しはしたが、『魔法都市アクルックス』では城館以上に規則正しい生活が待っているとは思わなかった。 ……アクルックス魔法学園の教諭陣によると、俺は特別らしい。 「おぬしを死なせないために、この町が現れたのだ。自覚するがよい。おぬしは弟御にとって、特別な存在なのだ。それを肝に銘じ、恥じぬよう精進せよ」 たしかに俺は、トクベツだと思う。だけど、それは俺がそう思っているだけだ。 (ショーディーに、ショーディーにとって特別だ、って思ってもらえるのは、なんだかすごく嬉しいな) 俺は、一生懸命に俺を応援してくれる弟の期待に応えたいと思う。 (かっこ悪いところなんか見せられねえ!) 俺は、 |