030 防衛戦略会議


 アトリエに戻ってきた僕は、イトウにもらった資料をしまって、別の資料を取り出すとカガミとヒイラギを呼び出した。
「姉上がダートリアに腰を落ち着ける前に、警戒するべきものをはっきりさせておきたい」
 アトリエを広げて、パーテーションで仕切る形で造ったミニ会議スペースには、ポップカラーのテーブルとチェアを置いてあるが、僕の椅子だけは厚みのあるクッションが置かれている。
「ご実家の立ち位置によりますね」
「敵対するか、逆に人質にされるか……。積極的な味方にならなくとも、領外からの干渉をブロックしてもらえれば十分ですが」
「あの父上と母上だからなー」
 カガミが神経質そうに瞬き、ヒイラギが考えられるパターンをメモに箇条書きにしていく。
「王家にだけは逆らえない。教会は、どうだろうなぁ……。姉上が禁書を読んで、“障り”について知ったから、姉上は教会に反発すると思う。それを見て、両親が条件反射みたいにカウンターしそうでなぁ」
「ボスが最初に“障り”に関して疑問を提示して、ご両親と派手にやりあったと聞いておりますが」
「てへ」
 こちらを見ないで言ったヒイラギに、僕も視線を彷徨わせる。僕のせいで姉上へのあたりも強くなったなら、ちょっと申し訳ない。
「まずは、味方について確認しましょう。レベルアップや障毒の治癒により、冒険者ギルドからの協力は高い確率で得られます」
 カガミの保証に僕も頷く。
「しかし、今代の領主も、領民からの評判は悪くありません。ご実家と険悪になるのは、民衆からの支持という意味では慎重になられた方が良いかもしれません」
「無難に治めているようですね」
「それは、まあ」
 父上は領主として、僕のおじい様とひいおじい様が築いた地位を守って、しっかりと領地を治めているのはたしかだ。ハニシェを引き抜いて僕のお世話係にするとか、ピンポイントでファインプレーをかますこともあるし。
「姉上も、父上のことを怖がりだって言っていたし、保守的で変化を嫌うタイプなのかな」
「そうですね。そういう人の価値観を無理に変えることはできません」
 カガミに断言されて、僕も口を尖らせる。わかっているけれど、それで邪魔されたらたまらない。
 唸る僕に、ヒイラギがなだめるように微笑んだ。
「御父上には積極的に働きかけるよりも、我々の味方に味方しないと自分が損をする、リスクを上回る確実な利益が得られる、と思わせるのが良いでしょう」
「味方の味方? 冒険者ギルドのこと?」
「冒険者ギルドだけではありません。職人ギルドなどからの収益が上がることは、領主としても望ましいでしょう? ボスや迷宮を素直に称賛できなくても、そこに関わって利益を上げてくれる人には、優しくしたいと思われませんか?」
「うん……そうか。じゃあ、ダートリアがとても栄えれば……十分な税収が上がれば、文句も言わないか」
「そうですね。ダンジョンから稀人の知識が出ることを教会が非難してきても、領主に責任はなく、むしろ教会による知識の普及不足、稀人の知識に対する尊敬を広める努力不足だと指摘できるのではないでしょうか」
 なるほど。そういう考え方にもっていけばいいのか。
 ふむふむとヒイラギに向かって頷いていると、カガミが大事なことをつけ足してくれた。
「知識をダートリアに留めてしまう事も避けねばなりません。各ギルドや個人、もしくは領主が知識を独占、秘匿するようなことをしても意味がない、と思わせなければならないでしょう。この世界にとってグリモワールの価値は非常に高いですが、社会の底辺でも手に入るくらいに、価値を低める必要があります」
「ダンジョンで継続的にドロップさせればいいんだね」
「はい。そうすることによって、教会からの攻撃を迷宮に押し付け、自分たちは避けることができます」
「カガミの懸念と対策は重要です。味方にも味方の思惑があることを忘れなければ、きっと上手く行きますよ」
 完全な味方など期待してはいけない、それを二人の目がよく語っている。
 かつて、たくさんの裏切りと絶望を経験したその姿形が、僕に警告を発しているのだ。
「うん、気をつけるよ」
 見た目は子供でも、僕の中身はオッサンだ。生まれ直した時間を入れれば、とっくに五十を過ぎている。それなりに、世間の厳しさは経験してきたつもりだ。
(だけど、それはあくまで、元の世界での話だ)
 この世界では社会通念や常識が違うだけでなく、そもそも、根本的に、精神が未熟なのだと考えておいた方がいい。
 互助よりも蹴落とし、明日の骨付き肉より目の前の砂糖粒、誠実さよりも保身……優先順位というよりも、視野狭窄によるパニックに近い。精神的に落ち着けるものを用意した方がいいんじゃないかと思う。
(和をもって貴し、として欲しいもんだけどなぁ。そう考えると、元いた世界の宗教も、極端な思想を悪用しなければ、ある程度有用だったんだな)
 おそらく、現在のこの世界の人間にとって、その安心できるもの、精神的な拠り所が、稀人の知識なのだろう。幼児が握りしめるヌイグルミやブランケットを制限するよりは、もういらないと言うまで与え続けた方が良さそうだ。
(問題は、いま現在、その精神安定剤を独占配給している組織だ)
 ライシーカ教皇国。こことは確実にぶつかり合う。
「グリモワールが頒布されるという事は、教皇国の価値も下がるという事だ。確実に、こちらを潰しに来るだろう」
 僕はカガミが集めてくれた分厚い資料を引き寄せる。
「いきなり本国から遠征してくることはなさそうだね」
「かなり離れていますからね」
 僕たちがいるリンベリュート王国と、ライシーカ教皇国の間には、三つほど他の国が挟まっている。そのうちの二つは、リンベリュート王国と合わせて、元はひとつの国だった。分裂した一派が“障り”のない住みやすい場所を求めて外征して領土としたのが、我が国の起源らしい。
(教皇国までの土地は、“障り”がいっぱいありそう。迷宮候補地が多すぎて迷ったりして……いや、それなら迷宮を防壁にできるな。この国に攻め込まれる前に、あちこちに出してやろう)
 それはそれで楽しそうだけど、いまはまだ、他にやるべきことがある。
「リンベリュート王国内にいる教会勢力が、まず邪魔をしてくるはず。その方法は?」
 僕の問いに、カガミが指を一本ずつ立てながら答えた。
「単純な武力を向けてくることがひとつ。王国の権力者を揺さぶって、政治と武力で攻めてくることが、ふたつめと、みっつめ。民衆を脅して、経済的に攻めてくることが、よっつめ。これらに効果がないとわかれば、その時は本国からの増援が来るでしょう」
「教皇国はともかく、教会って武力持ってるの?」
「ほとんどありません。傭兵を雇うか……ごくまれに諸国を旅している修行僧や、布教の旅をしている僧とその護衛などが、戦力になることはあります。教会を置いている国が、余計な武力を持たれることを嫌がりますから」
「じゃあ、あんまり考えなくていいか。でも、旅してるってことは、戦ったら強そうだねー」
 対人だけでなく、野獣や害獣との戦いを経験しているはずだ。だけど、迷宮を攻撃するためだけに、何処にいるかわからない彼らを集める可能性は低いだろう。
「冒険者や各ギルドと仲良くしていれば、よっつめはむしろ悪手になるね」
「そうですね。彼らにとって益を取り上げられ、害ばかりになりますから」
「ですが、同時に魔力の拡散という、迷宮の役割を阻害されることになります」
「別にいいよ。魔力がなくなって異世界人召喚ができなくなると困るのは教皇国だし」
 迷宮の対外的な営業を担当するヒイラギの指摘に、僕は冷淡に鼻を鳴らした。
「ぼくが今、魔力を拡散させたいのは、兄上を死なせないためなんだから。それ以降はどうなろうと、知ったこっちゃないね。迷宮から産出されるものが欲しければ、この世界の人間が頑張るべきだ」
 必要以上には、この世界の人間に手を貸さない。それは最初から僕のスタンスだ。
「ボスの御心のままに。では、問題はふたつめと、みっつめですね」
 ヒイラギの目礼の後、カガミがテーブルに資料を広げた。
「残念ながら、我々が入手できる情報は、それを知っている人間が死んだ後です。ここにあるのは、すでに遅れた情報である可能性があることを、ご承知ください」
「それは仕方がないよね。わかった」
 シロがこの国で異世界人召喚の儀式が近いうちにあることを知らなかったのは、知っている人間が死んでいなかったからだ。死んで魂が星を巡る流れに合流しなければ、シロにはわからないし、その情報を引き出す僕らにも伝わるはずがないのだ。
「王家保有の戦力だけなら、ブルネルティ家の戦力だけでも防ぐことは可能です」
「くさっても武家だからね、うち」
「ですが、迷宮の富を狙う国中の戦力・・・・・に集まられると、我々が支援しても難しいでしょう」
「デオハブ家滅亡の再現、か」
 ブルネルティ家の領地は、地形的に袋小路になり、地図もない山脈を超えない限り、逃げ場がない。
 迷宮の敷地にさえ入ってしまえば、敵なんて抹殺し放題だからスルーしてくれてかまわないと言ったって、父上や姉上が領地に攻め入れられるのを良しとしないだろう。僕の家族を人質に取られるとか、まちがっても殺されたくない。
「父上や姉上に言って、いまから戦力を増やしてもらう、なんてできないしなぁ。ヒイラギ、なんかいい案ある?」
「それなら、ブルネルティ家の領地以外の場所にも迷宮を創って、むこうの意識も戦力も分散させてしまえばよろしいかと」
 打てば響く解答に、僕は声をあげて笑ってしまった。
「なるほど。たしかにそうだ! ぼくにしかできない、ぼくらしい解決方法だ。ありがとう」
「光栄です」
 僕はさらに王家や主要な貴族たちについて、カガミから情報をもらい、その対処方法をヒイラギと考えていった。