028 小さな歩幅だとしても
大図書館を出た後、僕は姉上からいくつかの質問をされただけで、彼女が逗留している宿の前で別れた。
しばらく一人で考えたいそうだ。 (まあ、“障り”は一人でどうにかできる問題じゃないしね) かといって、このままでは滅亡一直線なので、どうにかしないといけない。ただし、表立ってグルメニア教や教皇国を批判することはできない。証拠がないからだ。 (科学的に理詰めで説明ができればいいんだけど、この世界は元々そういう風にはできていないしなぁ) ずっと未来に、魔導物理学者や魔法化学者なんかが出てきて解明してくれるかもしれないけれど、今のところは迷宮の仕組みもよくわからないで使っているし? (地上のどこかに、歴史的な記録が残っていればいいんだけど……) 残念ながら、迷宮で得られる記録や記憶は、すでに地上から失われたもののみだ。歴史は勝者が作るって、転生前に聞いたことがあるもんなぁ。 ぽっと出のダンジョンから記録が出てきても、実績がない今は証拠とみなされないだろう。地上で数百年前の記録が残っていた方が、ずっと説得力がある。だけど、聖ライシーカや教皇国に都合の悪い記録が残っている可能性は低い。 (まあ、ボチボチやるさ。いきなりなんでも変えられるもんじゃない) 僕がやることはまず、地上に出すための迷宮やダンジョンのストックを創りまくることだ。そして、適した候補地を見つけて、どんどん増やしていかなければならない。 迷宮候補地はラビリンス・クリエイト・ナビゲーションに出てくるのだけれど、実際に出現させるには、僕がそこまで出向く必要がある。実に面倒くさい仕様だけれど、そういうものらしいので仕方がない。 とはいえ、いまだに僕は六歳の子供。候補地を探して世界各地を旅するのは、まだ数年先になるだろう。 (一緒に旅をしてくれる仲間が出来るといいんだけどなぁ) それには僕のスキルについて、多少の秘密をばらす必要があるので、信用できる相応しい人物を探すところから始めなければならない。 (とても面倒くさい。誰か代わってくれないかな) 隙あらばこんな世界滅んでしまえと恐怖の大王になりかける思考を遊ばせつつ、僕は『魔法都市アクルックス』の中央にあるダンジョン入り口まで歩いてきた。 (うんうん、盛況だね) そこは各種施設に周囲を囲まれた、広い公園のようになっている。冒険者たちが待ち合わせや相談などをするために、通行の邪魔にならないスペースを用意するためだ。 ダンジョンの入り口は、公園の景観を損ねないよう可愛らしく造った。三角屋根の塔が付いている三階建てだが、そんなに大きくは感じない。日本にあれば、ちょっとした図書館付きの公民館に見えるかもしれない。 そこに出入りするのは、むくつけき冒険者たちなのだけれど。 「またこんな所にお一人で。せめて、ハセガワ殿をおそばにお付けください」 「そんなことしなくても、安全だし」 ベンチに座って冒険者たちを眺めていると、長い黒髪の男エルフに声をかけられた。 「アクルックスで冒険者に見えない人間の幼子は、ブルネルティ家の子であるショーディーさましかおりません。アルカ族の目があって直接の危険はなくとも、人間の口はアクルックスの外で噂という武器になります」 「シンは真面目だなぁ。でも、言う通りだ。過度な護衛はかえって不審をもたれるけど、身分相応の見栄えってものは必要だな」 僕が意見を受け入れたことで、シンは軽く頷いて、僕の側に不動の姿勢で立った。 彼はアクルックスの市長ルナティエの弟という設定で、現在建築作業中の『学徒街ミモザ』の町長兼防衛隊長に就任させる予定だ。 いつも僕の傍にいるハニシェが今日はいないのは、ミモザまでの道のりを覆っている木の伐り出しの手伝いをしているからだ。ダートリアを開発中の人間達と一緒に、僕たちが連れてきて大きくなりすぎた 「ミモザの外に、大山羊の牧場を作ろうか。あれだけ大きければ、野生の大山羊を捕まえてきても、群のボス扱いしてくれそうだし」 「アルカ族は手を出せませんが、畜産を学ぶ者を受け入れやすくなりそうですね」 「うんうん」 魔法に関してはアクルックスでいいけど、その他の生活に関する学問は、ミモザである程度カバーするつもりだ。 いきなり本格的な研究機関、とはいかなくていい。初等教育を受けた後で、実家を継ぐのか、あるいはやってみたい職業につくのか、その手助けになればいい。 (いずれ幅広くやるとして、まずは畜産と農産、それから近くにあるから鉱産もいいな。あっ、坑道ってどうなっているんだろう? 後でハニシェに聞いてみて、あんまりにも危ない感じだったら、坑木の組み方とか植林とか勉強させた方がいいな) さすがに土木工学や地質学は専門じゃないけれど、シロに聞けば、この世界で発見された知識も、稀人の知識も、少しは出てくるだろう。 (あとは、衛生科目を必須にして、事故や病気を防げるようになりたい) 寄生虫やカビの研究までいくのは欲張りだろう。いまはそこに行くまでの基礎、土台の教育を広げることだ。 とにかく、グルメニア教が施しでくれる稀人の知識におんぶにだっこの甘ったれ状態から自立して、自分たちの世界に目を向けさせるための、基礎学力と自発・自律の精神を育てなければならない。好奇心と探求心を持てる環境が必要だ。 (大人に経済的余裕が出ない限り、子供には学習の機会がない。ダンジョンから出る知識で、技術の導入はできると思う。姉上にはそこから先をがんばってもらわないとな) 領地が豊かになって、食べるのに困らなくなって、はじめて子供が労働から解放される。義務教育なんて、何十年、何百年もあとにならないとできないと思う。だけど、今がそのきっかけになるなら、やらないわけにはいかない。 (異世界人召喚をしなくても、この世界がやっていけるような人間を増やさなきゃ) 正直、焼け石に水な徒労感を覚えなくもないけれど、はじめたばかりの事業なのだから、焦らずコツコツやっていくしかない。 (まずは、兄上を無事に儀式から生還させて、稀人を保護することだ) それこそが、ショーディーの願いであり、僕の仕事でもある。 ダンジョン入り口から出てきた少年少女の集団を見つけて、僕は立ち上がって手を振った。 「あにうえー!」 「ショーディー!」 魔法学園でしごかれているモンダート兄上だが、こうして時々、年の近い冒険者と一緒にダンジョンに行っている。これは自由に行っているわけではなく、学園から出された課題をこなすためだ。 アルカ族は迷宮の外に出られないが、基本的にダンジョンの中にも入らない。ダンジョンの中にいる討伐対象も、アルカ族と同じ魔力で作られた存在なので、同族とまではいわないが、『同じ迷宮に生息している者』という意識があるせいだ。レベルアップの必要もないので、互いの縄張りを侵さず迷宮のために棲息している、という感覚が近いだろうか。 そういう事情もあり、ダンジョンの中はアルカ族の目があえて届かない、ある意味フリーダムな状態だ。簡単に冒険者同士で殺し合いが発生する可能性があり、 「ショーディーさま、こんにちは」 「エララもおかえり。けがしてない?」 「平気よ」 僕がハニシェと一緒に逃げ出す羽目になった、ミュースター村の村長の孫娘エララも、ついに冒険者になっていた。 驚いたことに、エララは【盾術】というスキルを持っていた。モンダート兄上の護衛にちょうどいいと、メーリガ支部長が手ずから冒険者としての基本的な指導をして、使えるようにしてくれたらしい。 兄上のまわりには、エララをはじめ、兄上と同年代くらいの少年たちがいて、よく一緒にダンジョンに行っているらしい。彼らのうち何人かは、将来も兄上と一緒にいてくれるかもしれない。 「なにかあったか?」 「うんとね、姉上と、兄上と、夕食をご一緒にしたいんです。都合のよい日は、いつですか?」 「なんだ、そんなのいつでもいい……とは言えないか。先生に外出許可をとるから、一番早くて明日ならいいぞ」 「わかりました! お店が決まったら、お知らせします。みなさんお疲れのところ、お邪魔しました」 ぺこーっとお辞儀をすると、された方もビビってお辞儀をし返す。ブルネルティ家の子供に頭を下げられるなんて、平民の心臓には刺激が強いのだ。 僕はばいばいと手を振って、迷宮案内所に向かう彼らと別れ、アトリエに行くために歩きだした。 (姉上も、兄上も、前に進もうとがんばっている) たとえ、その一歩が、いまの僕の歩幅のように小さくとも。一歩がなければ、目標までの距離は縮まらないのだ。 |