027 禁書
『魔法都市アクルックス』を地上に出して数ヶ月経ったけれど、いまだにスカスカで
冒険者が増えたから、ダンジョン入り口を含む中心部はボリュームがあるように見えるけれど、箱物に対してアルカ族が明らかに少ないせいだ。これは、いずれ冒険者が住みつくことを考慮して、空き物件がいくつもあることも、原因のひとつと言っていいだろう。 (やっと宿屋や商店がまわりだしたけど、なんていうか、生活感に乏しいんだよな) アルカ族が消費する衣食住が少ないのは仕方がないし、ブルネルティ家の領地を活動拠点にしている冒険者が全員来ても、まだ余裕がある造りなのだ。領外からの冒険者も受け入れる予定だし、まだまだこれからということだろう。 カフェを出てからはぐれないように姉上と手を繋いで、そんなことを考えながら街を歩いていると、しみじみとした声が降ってきた。 「どうして、こんなに清潔でいられるのかしら? “障り”避けは、本当はいらないのね……」 姉上は母上と一緒に、時々フェジェイの治療院や養護院に慰問に行っていた。つまり、あのものすごい臭いを何度か嗅いでいるし、その惨状も一度くらいは目撃しているかもしれない。 「姉上、それは、そもそも“障り”がなんなのか、みんなが知らないからです」 「ショーディーは知っているの?」 「……」 この事実は、いずれ誰かに教えるべきだとは思っていた。自分たちで気付くには、加速するばかりの滅亡カウントダウンに対して、いまはもう時間がなさ過ぎる。 「本当は、最初にお教えするのは、姉上以外の人がいいと思っていました。きっとすごく驚かれるだろうし、姉上を危険にさらしたくないからです」 「でも、必要な事よね。ショーディーの優しさは嬉しいけれど、次期領主として……ダートリアの代官として、知っておくべきだと思うわ」 姉上の知りたいという希望を確認した僕は、彼女の手を引いて迷宮案内所に隣接した、大図書館へと案内した。 「おや。ようこそ、人の子よ」 「こんにちは、ディオン」 直射日光が書棚に当たらないよう、窓を少なく造られた大図書館は、外から見ると厳めしく見えるけれど、館内は魔法を使った照明で柔らかく照らされている。 僕らが大きな扉を開けて中に入ると、立派な鹿の角を生やした男が、奥から出てきた。司書にして、この大図書館を任せているディオンだ。 「今日は、何を知りたいのだ?」 「あのね、姉上に禁書を読ませてあげて欲しいんだ」 「無知には戻れないが?」 鹿のように大きくつぶらな瞳が、姉上の方を向く。 「真実に耐える覚悟があるか、だって」 僕も見上げると、姉上はしっかりと頷いた。 「ええ。民に安全で清潔な暮らしをさせるため。私には、その責任があるわ」 「よろしい」 踵を返して図書館の奥へ行くディオンを追って、僕とネィジェーヌ姉上は木の匂いが満ちた中へ歩みを進めていった。 「これが、稀人の知識……」 「ほんの一部だ。ダンジョンの探索が進めば、世界の知識もろとも、この図書館も充実することだろう」 大空間にぎっちりと並ぶ、大きな書棚たち。そのほとんどには何も入っておらず、がらんとしている。そこに、ぽつり、ぽつりと、細い背表紙が見える。 この大図書館には、冒険者たちがダンジョンで見つけた『叡智の欠片』が揃って ドロップアイテム『叡智の欠片』は、それだけでは意味をなさない。迷宮案内所で買い取ってもらい、迷宮案内所の設備を通してシリーズ同士をくっつける必要がある。 例えば、「絵本X_01/05」という『叡智の欠片』と、「料理本T_05/12」という『叡智の欠片』を持っていたとする。しかし、所持者にはどちらも同じ『叡智の欠片』にしか見えない。迷宮案内所で「絵本X」の01から05までが揃うか、「料理本T」の01から12が揃わなければ、一冊の ダンジョンから持ち帰られた『叡智の欠片』が、迷宮案内所に買い取られ続ける限り、本が生産され続けるという仕組みだ。もちろん、完成した本を買い取り、迷宮の外に持ち出して写本を作って売ったとしても、まったく問題はない。 (この「世界の知識」は、すでに亡くなってしまった人が発見や開発、改良をした、普遍的な知識や技術だからな。それに、まだ活版印刷どころか、まともに紙を量産する技術も広まってないし) ちなみに、モンダート兄上が缶詰めになっている魔法学園には、魔法に関する物のみ、冒険者の収集を待たずにすべて揃っている。本来この世界で発展するはずが、まったく未熟なため、冊数は少なく、記述も古文書並みに昔のものだが、無いよりましだ。もちろん、門外不出で、持ちだし厳禁。 広々とした大図書館をあらためて見回したネィジェーヌ姉上は、しばらく言葉を失っていた。 「ここ……この書棚いっぱいに、なるのですか」 「さよう。これでも、まだ足りないかもしれないが」 「それだけ、教皇国が独占していると……」 蒼褪めた姉上の震える手を握り直し、僕はフルフルと首を横に振った。 「姉上、稀人の知識はきっかけにすぎません。大事なのは、稀人の知識をお手本に、この世界を研究して得られた、この世界だけの知識です」 「さよう。まことにもって、さよう」 大きな角が頷き、やや高い声音がかすかに笑った。 僕たちは、彼の背を追いかけて、大きな階段の裏側にある地味な扉に入った。 「姉上、足元にお気をつけて」 「しばらく会わないうちに、可愛い末の弟が、すっかり紳士になってしまったわ」 明かりはあっても、手すりのない地下への下り階段。僕がエスコートしようとしても、まわりからは、小さな弟が転げ落ちないように、お姉ちゃんが手を繋いでやっているようにしか見えないだろう。 (くっ、六歳児ではまだまだか) 転生前はけっこう背が高い方だったので、今世でもそれなりの背丈が欲しい。 階段を下りきった先ある扉を開けると、そこには厳重に鍵をかけられた、扉付きの豪勢な書棚が鎮座した部屋。本を読むための机と椅子もある。 「さて、何を知りたいのだ?」 「“障り”について、です」 「よろしい。そこにおかけなさい」 ディオンが書棚の扉を開くと、淡く光る半透明の本が数冊だけ収まっていた。 この禁書棚におさめられている知識は、いつか高難度ダンジョンから出そうと思っている、この世界の真実だ。ほぼ僕がシロから聞き取った内容なので、現在生きている人間が知らなくてもいいことも混じっている。例えば、アルカ族が言う迷宮主が誰なのか、とか。 「“障り”に言及したものは、二冊。内、“障り”の本質について語られたものが一冊。こちらでよろしいか」 「はい」 一冊の本が書棚からふわりと飛び出し、ぱらぱらとページがめくられ、そのまま書見台に収まった。淡い光は消え、上質紙に印刷された、この国の言葉が見える。 緊張した面持ちの姉上の視線が文字列を追い、すぐに強張った声を漏らした。 「……え」 ――― ……ところが、このシステムをライシーカと稀人ヒノカゲ・サヤカが破壊し、停止させたことにより、それまで集められていた感情が魔力に変換されず、地上に溢れかえることとなった。 ライシーカ一派は己の正統性を誇示するため、より一層、『邪神を討った』と喧伝し、六百年後の現在も真実の隠蔽が施され続けている。 しかしながら、現実問題。いままで処理されていた汚物が、地上を汚染していく。これを、誰も知らない。あるいは、ライシーカは知っていたかもしれないが、それは想像の域を出ず、この場で語るものでもない。 際限のない嫉妬、身勝手な憤怒、繰り返される憎悪、必要のない卑屈、他者を貶める愉悦。挙げればきりがない、おぞましき人間の感情。未熟な精神が昇華しきれなかった廃棄物。それらが澱み凝ったものは、やがて生命を歪に変異させ、急激な滅びへと導くものとなる。 人間はそれを“障り”と呼び、忌み嫌った。 “障り”となる前に浄化してくれるものを、人間は自ら望んで排除したにもかかわらず、滑稽なことに、その真実を知らない。 “障り”の発生を抑制することができれば、あるいは世界は延命できるかもしれない。ただそれには、人間が人間らしいとする生き方を考え直し、節制する必要がある。それすらも拒否するならば、遠くない未来に、必ずや滅亡が訪れるだろう。熟考と行動が期待される ――― 我ながら、固くて真面目な文章を書けたと思う。 (これ考えている間、ちょっと厨二心が疼いたけど……正直言って、よくわからない理由のデザインリテイクで悶えてる方が楽だった。別紙(図1)を参照とかできないんだもん) 読書感想文苦手人間に、言語表現だけで本を書けなんて、だいぶ無謀だった。もうやりたくない。 『叡智の欠片』で得られる本の作成は、イトウとミヤモトの配下に創った「執筆課」にほとんど任せている。ただ、禁書に相当する数冊は、僕が僕の名義で書いた。これは、シロと対話して情報を得た、僕に責任があるからだ。 (うーん、やっぱり姉上には、まだちょっと重かったかなぁ?) 言葉を無くしてうなだれている姉上の前から、本が再び淡い光を放って飛び立ち、豪華な書棚に収まって、ぱたんと扉が閉まった。 「ディオン、ありがとう」 きちんと書棚の扉に錠を下ろして確認しているディオンに礼を言うと、彼は振り返って微笑んだ。 「どういたしまして。人間に必要な知識を案内することが、私の役目だ。私をそう創ってくださった迷宮主に、感謝を」 小さくとも心のこもった会釈をされて、僕は嬉しく思いつつも、姉上がそれに気付かないように、さっさと禁書庫を出ることにした。 |