006 恐怖の大王


 その後もシロに詳しく聞こうと思ったが、さすがに夜中過ぎになってしまい、僕はひとまず自分の部屋のベッドに帰ることにした。
「これからは、まいにち夜更かしかな」
 昼間は人目があって、五歳児の僕はなかなか一人になれないからね。
『ゆっくりでかまいません。現在、この世界には稀人が存在しませんから。貴方のスキル発現も、もう少し後の予定だったのです』
 普通は十歳になるまでスキル鑑定はしないみたいだしね。なぜかだいぶ前倒しで、僕の記憶が戻っちゃったらしい。
「でも、いつ召喚があるか、わからないでしょう?」
『前回の召喚儀式が八年前でしたので、あと十年から二十年ほどは余裕があるとみています』
「……そうなんだ」
 八年前に召喚された稀人が、もう生きていないという事実に、僕は胸の中がすうっと寒くなった。僕が生まれた時には、まだ生きていたかもしれないのに。
『申し訳ありません』
「ううん。そのために、ぼくが来たんだもん」
 たしかに子供の僕じゃ、逃げ場を用意しても、稀人たちに信用されないだろう。それだけ余裕があるのなら、ショーディーとしての地歩を固めると同時に、じっくり迷宮造りができる。
「またね。おやすみ、シロ」
『はい、おやすみなさい』
 僕はシロに手を振って、姿見に飛び込んだ。
「……」
 真っ暗な部屋の中でパチパチと瞬きすると、僕のベッドがぼんやりと見えた。後ろを振り返ると、姿見が真っ暗な室内を映している。
(これから、いそがしくなるぞ!)
 地球にいた頃は徹夜仕事もよくやったけど、この体で徹夜はまだ早い。僕はいそいそとベッドにもぐりこむと、速やかに眠りに落ちた。
 今日はスキル鑑定から夕食時に両親を宥めたし、初めてスキルを使ってアトリエに行って、世界と迷宮の関係とか一気に頭に入った情報が多すぎて、さすがにくたびれていた。


 封印してしまった邪神が実は良い奴だったパターンは、僕も予想の内にあったけど、まさか無いと世界を破滅させかねない大事なものだったとは思わなかった。
(これじゃあ、聖ライシーカの方が、邪神とか悪魔とか、そういうものだった説が出てくるよ) 
 スキル鑑定のあった日から毎夜アトリエにこもり、翌朝眠い目を擦りながらも、僕は順調にシロからの聞き取りを進め、スキルの操作にも慣れていった。
 それから、重要なことをシロから聞きだせた。人々から邪神と呼ばれている浄化装置は、『動力となるコアが抜かれたせいで稼働停止している』とのことだった。そのコアが何処に持ち去られたのかは、強く封印されたせいでわからないんだとか。
『コアは誰も砕くことはできません。それこそ、この世界を創りたもうた方の製作物ですから』
「つまり、かんぜんに壊されたとか、殺されたわけじゃない。……コアさえ見つけられれば、復活させられるんだね」
 僕の迷宮は、それまでのつなぎと考えておこう。それが、何十年、何百年も先だったとしても、いずれは不要になる方が、この世界にとってもいいはずだ。
「邪神と、ぼくの迷宮のちがいは? しくみに関してなんだけど」
『方々から集めた良くない感情を浄化し、魔力に変換する、ここまでは同じです。邪神は星に巡る流れに自動で魔力を戻していましたが、迷宮では手動でばら撒く必要があります』
「星に巡る流れ、って?」
『我々が揺蕩う、エネルギーのうねりのことです』
 邪神の仕組みって、肺と血管みたいな関係なのかな。
「なんとなく、イメージできた。迷宮だと、そこまで届かないんだ?」
『というより、現在は流れに魔力だけでなく、“障り”まで流れてしまっているので、純粋な魔力だけを人々に届けたいのです』
「へぁ? ……え、それってシロたちも、障毒の被害にあっている、ってこと?」
『はい。新たに生まれる者たちの大半が、すでになんらかの形で“障り”の影響を受けています。……もう我々ではどうにもならないので、貴方を呼んでいただいた次第で……』
「お、おう……」
 なんか、話を聞くたびに、どんどん重症だったと認識が改まっていくんだけど。
「“障り”って、そんなどこにでも流れていくの?」
『いえ、これの原因ははっきりしています。元々の浄化・変換システム……人々が言うところの邪神がいた場所に、いまは“障り”を発生させるものがいるのです』
「とりのぞくことは?」
『すぐには難しいでしょう。ライシーカ教皇国の最奥ですよ? 厳重に立入りが制限されています』
「あー。教皇国のひとは、それを知っているの?」
『どうでしょう。そこで発生している“障り”は、すべて星に巡る流れに入っていますから』
 いやもう本当に、話を聞けば聞くほど、詰んでいるぞ、この世界。障毒に弱いくせに、生まれてくる赤ん坊の魂が、すでに“障り”まみれで、その原因を取り除く方法がほぼ無いだなんて……人類絶滅まっしぐらでは?
 僕は両手で顔をもみもみして、強張ってきた顔筋の血流を促した。
「じゃあ、どうやって、流れのなかの“障り”を除去するの? 」
『迷宮に吸い取ってもらいます』
「あー。なるほどね」
 僕はシロから聞き取ったことをノートに書きだし、迷宮を建設するにあたっての基礎コンセプトを固めていった。

ひとつ、 “障り”や悪い感情を吸い取り、魔力に変換する
ひとつ、 変換された魔力は、手動で迷宮外に持ち出せるようにする
ひとつ、 稀人が安全で快適に過ごせる環境を最優先にする
ひとつ、 人々の戦闘力を上げて、害獣と対峙しやすく育てる
ひとつ、 政治的に教皇国を含めた国家の影響を受け付けない仕組みにする
ひとつ、 いずれ消滅するべき(してもいい)施設とする

「うん。とりあえず、こんなかんじかな」
 僕はクライアントであるシロに、ノートを見せた。
『はい、大丈夫です』
「これを下敷きに、設計していくよ。いま考えているのは、この世界のひとが入れるダンジョンエリアと、稀人だけが暮らせるタウンエリアだね」
 迷宮が物理的な障壁になって、稀人を匿うことができるだろう。ただ、稀人とこの世界との関わり方については、慎重に模索していく必要がある。
(この世界の人間を、もうちょっとなんとかいい方向に教育するっていうのは、この世界の人間の役目だ。迷宮を通じてヒントは出すけど、全部は面倒見きれないからね。姉上と兄上に、がんばってもらおう)
 その辺のあれこれも、僕がその辺の平民じゃなくて、ブルネルティ家っていう名家の人間だから、たぶん障害少なめに手をまわせるはずだ。
 稀人の犠牲と知識に依存して、のうのうとしているこの世界の人間を、簡単に救ってやる義理はない。ビシバシ教育して、自分で頑張らなければいけないということを、ギュウギュウに叩き込んでやるつもりだ。もちろん、モチベーションとなる素敵な財宝魔力をお持ち帰りいただかなくてはいけないから、そこらへんは匙加減が必要だろう。
「むふふふ……アメとムチ」
『……』
 僕の物騒な笑顔に、シロがドン引きしてしまった。ごめんね、怖くないよ?
 僕の迷宮は、稀人を保護することと同時に、この世界の人間に魔力を迷宮外へ持ち出させるのも重要な役目だ。
「デザインはまあ、いくらかおぼえがあるけど、マーケティングは専門外だからなぁ。魅力的なダンジョンの宣伝と、誠実な運営。なんとか、がんばってみるよ」
『よろしくお願いします』
 僕に対して深々と頭を下げたシロは、この件で僕に対し、最も重要な話題を口にした。
『では、報酬のお話をさせていただきます』
「……へえ。払う気があったんだ」
『当然です』
 僕が皮肉っぽく横目で見ると、やや目を泳がせながらもシロは即答した。
 たぶん、最初はそんな気はなかったんだろう。少なくとも、あの病院のロビーみたいな不思議空間で出会った時は、僕の良心につけこんで無償で仕事をさせるつもりだった。
(それはね、仕方ない部分もあるよ。シロたちは元々、そういう狡くて図々しい性質なんだもん。自分たちのダメなところの自覚はあっても、どうすればいいのか知らなかったんだ)
 だけど、僕と対話を重ねていくうちに(というか僕が無自覚に毒を吐きまくったせいで)、「稀人を尊重すること」「要求をするなら対価を支払うこと」「僕の機嫌を損ねたら終了」ということを、豆腐メンタルに刻み込んでくれたようだ。
「ぼくはお人好しじゃない。だから、ぼくが選ばれたのかもね」
 辛酸をなめてきた就職氷河期世代ロストジェネシスを侮らないでいただきたい。対価をケチる無礼な奴に、救いの手なんか差し伸べるはずがないだろう。
(この星の人類を根こそぎ滅ぼしてやれば、異世界人召喚なんてできなくなるんだからな。そもそも呼ばなければ、稀人を保護する必要もない。“障り”の浄化を度外視すれば、それが一番手っ取り早いんだ)
 幸いと言ってはなんだが、現在召喚された稀人はこの世界にいない。遠慮なく滅ぼせる。こちとら一回死んでいるので、邪神の代わりにならなくても、魔王でも恐怖の大王でも、やってやるつもりだ。
『……報酬は、貴方の望み、すべてです。我々にとって不可能事、不可逆的な事を除き、貴方の望みを叶えます』
「それは、ふとっぱらだね」
 だけど、契約にあいまいな表現はいけない。
 僕としか接触できないシロたちが、この世界に及ぼせる事象は少ない。僕自身のパワーアップも意味がない。ならば……。
「生きている人が死んだら、そのたましいがシロたちに合流する前に、ぼくがもらって、迷宮で自由に使っていい権利、をちょうだい!」
 僕は無邪気な笑顔で、悪魔の要求を突き付けた。