005 世界の危機と、迷宮の意義


 ざっと触ってみた結果、僕にある裁量が膨大なことだけはわかった。


― ラビリンス・クリエイト・ナビゲーションにようこそ

― デザインから施工、運営管理まで
― あなたが創造する迷宮を、的確にサポートいたします


 見慣れないアプリは「ラビリンス・クリエイト・ナビゲーション」というらしく、迷宮創造に関するすべての操作がここからできるらしい。
「建設場所選定、施工計画、建材モデル、ギミックデザイン、素材エディタ……やれることがいっぱい……」
『我々にとって、貴方が希望なのです。貴方を危険から守りつつ、存分に力を発揮していただく。そのためのスキルです』
「ぼくの【環境設計】スキル、パない!」
 迷宮と言っても、いわゆるゲームみたいなダンジョンを創るだけではない。僕が姿見からこの部屋に入ったように、どこでも迷宮に改造することができるのが『迷宮建築家』であり、付随するユニークスキル【環境設計】なのだとか。
「うわ、すごい。このスキルなに?」
 僕のスキルのことではなく、アプリ内の「スキル一覧」というカテゴリーに入っていた、膨大なスキル群のことだ。
『この世界で確認されている、すべてのスキルが網羅されています。迷宮運営に関わる従者を製造する時に付与するなど、ご自由にお使いください』
「ええっ、勝手に使っていいの!?」
 たしかに、迷宮を護るモンスターも、稀人のお世話をする従者も作れるみたいだ。
 この世界の人間には憧れのスキルを自由に付与できるって、ほとんど神なった気分だよ。気を引き締めてかからないと、僕自身が倫理的にダメな人間になりそうだ。バランスも大事だしね。
 僕はひとまずアプリを閉じると、虚空に話しかけた。
「んーと……聞きたいことがいっぱいあるんだけど、いいかな?」
『どうぞ』
「あー、そのまえに、話しにくいから、出てきてもらえる?」
 白い少年が姿を見せてくれたので、僕はチェアから降りて、彼の手を引いた。
「えっと、こっちに応接室があったよね」
 前世の記憶を頼りに、アトリエの壁にドアと、その向こうにあるはずの応接室をイメージする。仕事が立て込んで家に帰れないときは、そこのソファで寝たこともあった。
「ん、できた」
 さすが僕の【環境設計】。現れたドアを引き開くと、そこには簡素な応接室ができていた。
「すわって。飲み物あるかなー?」
 応接室の隅に設置されたミニ冷蔵庫には、いつも水かお茶は入っていたはずだ。はたして、紙パック入りの緑茶が入っていた。
「グラス……んー、でてこい!」
 前世の記憶から給湯室を思い出すのも面倒くさくなって、両手にグラスをイメージする。シンプルながら、普通にガラスのコップが出てきた。
『もうスキルを使いこなしていますね』
「こういうのは、イメージと、気合がだいじって、前世でしってる」
 ローテーブルにグラスを並べ、パックから冷えた緑茶を注いだ。
「そちゃですが」
『ふふっ、ありがとうございます。……これが、貴方の世界の味なんですね』
 僕も白い少年の隣に座って、グラスからお茶を飲んだ。うん、ちゃんと緑茶の味がする。
「ねえ、キミのこと、なんて呼べばいい? かみさま?」
 白い少年は少し考えるように沈黙した後、首を横に振った。
『神……この世界を創造した者という意味ならば、違います。我々を表す、適切な言葉は存在しません。貴方の語彙に当てはめれば、我々は意思であり、エネルギーであり、この世界に生まれては還る多くの魂です』
「ライフストリームとか、みんなのご先祖さまとか?」
『その解釈で、おおむね』
 たしかに、神様っていう雰囲気ではないけれど、日本の宗教観に照らし合わせれば、言いようによっては神様の範疇に入るかもしれない。
「むーん。じゃあ、なんて呼ぼう? 名前がないと不便だよ」
 僕と同じ姿で真っ白だと、色を塗る前の塗り絵みたいに見えるんだよねえ。
「ぼく、ネーミングセンスないから、見たままのシロとかになっちゃうよ?」
『いいですよ』
「ええー」
 そんなでいいのか、と思ったけど、中身稀人からの命名が嬉しいのかもしれない。シロは笑顔だけれど、出会った頃と相変わらず、病気しているようにガリガリだ。
『貴方のサポートするこの姿の時は、シロと名乗りましょう』
「……まあ、それでいいなら」
 気に入ったなら、僕が文句を言う筋合いではないだろう。
 頷いた僕は、空になっていたそれぞれのコップにお茶を継ぎ足して、肝心の質問に移ることにした。
「あのね、そもそも、どうして迷宮が必要で、ぼくが呼ばれたの?」
『……そうですね。長い話になりますが、最初からお話させていただきます』
 シロは悲し気に顔を曇らせると、この世界の仕組みから話してくれた。

 僕が呼ばれたこの世界は、やはり科学よりも魔法が発達するような構造になっていたらしい。
 人々は魔力を扱い、独自の法則で文明を発達させていく……はずだった。
『いまから、正確には六四二年前のこと。人々の生活が、いまだに狩猟や採集が主で、原始的な農作や牧畜を始めた所では、ゆるやかな都市国家が形成されてきた頃のことです。ライシーカという男が現れました』
「あっ、さいしょに、異世界人を召喚したひと、だね」
『はい。そして、現在のライシーカ教皇国の基礎を築いた人物です。ただ……彼がこの世界の人間だったかどうかは、我々にもわかりません』
「え……ど、どういうこと?」
 現在言い伝えられている聖ライシーカは、強力な魔法使いであり、この世界には存在していなかった、召喚魔法を作り出し、彼方の世界から異世界人を呼び寄せることに成功した。
『彼が特異点だったのか、それとも完全な異物だったのか、それは我々にはわかりません。確かなことは、我々の中にライシーカがいないことです』
「え……じゃあ、ライシーカは死んでも、たましいがこの星に還らなかったか、ライシーカがまだ生きているってこと?」
『はい。それか、生きているうちに彼自身の世界に帰ったか。考えられるのは、そのくらいでしょう。もしかしたら、ライシーカこそが、神だったのかもしれませんが』
 シロの肯定に、僕は心の中で「そんな馬鹿な」と唸った。
 この世界を巡るエネルギーであり、魂の集合体であるシロたちにとって、ライシーカは正体不明な存在であるという。
 もしも六百年以上も前の人間であるはずのライシーカがまだ生きているならば、稀人を保護しようとしている僕は、完全に敵対者という事になる。人間かどうかもあやしいライシーカとグルメニア教に狙われたら、僕は安全な迷宮から外に出ることができなくなるだろう。
『こう言ってはなんですが、異世界人召喚だけなら、ここまで急速に世界が滅びに向かう事はなかったでしょう。稀人は、魔法に理解があります』
「どういうこと?」
 僕が隣を見ると、シロは今までに見たことがない苦々しい表情を浮かべていた。
『……貴方は、この世界の人間を見て、どう思いましたか? 性格というか、気質的な意味です』
「ほえ?」
 そう言われても、僕が知っているのは家族と、城館で働いている使用人たちしかいない。
「んんー、たくさんの人を知っているわけじゃないけど……よくいえば、素朴で素直」
『……悪く言えば?』
「かんたんに騙されるし、感情的だし、あんまり自分でかんがえない」
 つまり、精神的に未熟。向上心も探求心も乏しい。ネィジェーヌ姉上の自制心がすごい上振れしているのは間違いないけど、日本の小中学生を知っている僕からすれば上の下程度。つまり、わりと普通に真面目な子って感じ。
 おそらく、この世界の人間は、忍耐を必要とする試行錯誤をしてこなかったせいで、根性や粘りなどに対する理解が低く、時間と資本をかける必要を軽視している。稀人から結果物が提供されるから、失敗に慣れていないのだ。そして、自分たちで積み重ねた知識や経験、研鑽が、圧倒的に少ない。閃き・・気付き・・・のための土台がない。急速かつ簡単に、便利になりすぎた弊害だろう。
「理解できなかったり、言い負かされたりすると、すぐに怒るし。たぶん、ぼくなら、父上も、姉上の先生たちも、ぜんいん泣かせられる」
『い、いじめないであげて……』
 僕の物騒な発言に、シロが震えた声を出した。大丈夫だよ、虐めないよ。僕を虐めてこなければの話だけど。
『貴方の言うとおり……この世界の人間は元々、とても打たれ弱い性質を持っています。簡単に他人を妬み、困難に対して怒り、自分ばかりが貧しいと嘆き、もっと便利な知識が欲しいと強欲です。それでいて、稀人の境遇には無頓着。薄情です』
「シロ、自分でわかってるのに、なんで?」
『まっさらに忘れて生まれるからです。そして、死んで我々に還って、後悔する。その繰り返しを、延々と繰り返してきました』
 それは辛いなぁ。豆腐メンタルなのに、死んだ後もダメージが入るなんて。完全に病むよ? あ、だからシロはこんなに痩せてるの?
『元から惰弱な我々に、世界は救済の仕組みを与えてくれていました。我々の悍ましく浅ましい感情を集めて無毒化し、さらにそれを魔力に変換する仕組みです』
「ほうほう!」
『それを……ライシーカは破壊しました。召喚した異世界人を使って』
「へ、ぇ…………まさか、“障り”って……」
 絶句した僕に、シロは申し訳なさそうに、小さな声で告げた。
『グルメニア教が邪神と呼んでいるのは、その浄化変換装置です。“障り”は浄化されていない感情が凝ったもの。実際に影響を及ぼす怨念。……貴方に作っていただきたい迷宮は、その代替システムなのです』