009 そも、魔人とは


 長旅の支度を整えてから宿を取った伊織は、ブランツの町を出る前に、もう一度詳しく自分のステータスを確かめることにした。

魔人 イオリ  (転移者)
年齢:28   性別:男
クラス:魂喰らい  状態:寝不足
レベル 3
スキル 【内燃機関】【集合知】

「なんつーか、こう……いまだに信じらんねーわ」
 心が現実を受け入れることと、現実離れした物を見た脳が拒否するのは、また別の話だ。
 暖房器具こそないが、トイレも簡易風呂場もあり、内側からカギがかけられて床も壁も木材で厚く仕上げられた、ただの行商人が泊まるにしてはちょっと高級すぎる部屋のベッドでくつろぎながら、伊織はステータスボードに映し出された自分の状態に唸る。
 ブランツの町は田舎とはいえ、伊織は見知らぬ世界の木賃宿に泊まるほどのチャレンジャーではない。こう見えて、基本行動は安全第一を心掛けているのだ。無知は根拠のない自信の温床であり、無謀は自滅の第一歩だと、兄の大樹にきつく戒められたものだった。
(町中で殺人事件起こすのもマズいしなぁ。金があるうちは、スラムを避けるべきだろ。……いくら魔人でも、レベル3は、ちょっとアレだし)
 盗人など簡単に伸せる自信はあるが、いまの伊織は力が強すぎて殺してしまうだろう。死なせた相手が持っている情報は手に入るが、死体という面倒くさい物が生産されてしまうのは困る。もしも死体を見つけられて、大勢の兵士たちを相手にすることになってしまったら、いくらなんでもレベル3は心許ない。
 だが、こうして羽振りの良い姿を町で見せておいて、町の外で襲われるならば、まったく問題がない。死体もそのまま捨て置いていいだろう。
(それはそれとして、俺って、人間と比べてどうなんだろうな?)
 人間と認識されなかったせいか、影丸は文字化けだらけで鑑定眼鏡に表示されたが、他の人間には鑑定効果がなかった。無闇に人間を鑑定しないよう、アイテムには制限が欠けられているのかもしれない。
 そういうわけで、伊織は他人のステータスを知らないのだが、現時点でも並の人間よりは強いという認識はある。しかし、世の中には、上には上の強者がいるものだ。
「なあ、影丸。俺って、どのくらい強いの?」
「あん? そのステータスボードに出ているのではないか?」
 伊織と同じく、ベッドの上でもふもふとくつろいでいた影丸が、面倒くさそうに顔を向ける。
「出てるには出ているんだけどさ……これ、ありえなくね?」
「あん?」
 伊織が示したステータスボードには、スキル一覧の後に、体力や腕力といったカテゴリーが続いていた。

体力 つかれている/そこそこある
魔力 ない/ない
筋力 つよい
知力 しょうしょう
敏捷 はやい
耐久 ほどほど
器用 じゃない
幸運 もってる

「なんでこんな頭悪い感じになってんだよ! 数字じゃねーのかよ!」
「吾輩が知るか!」
 他人が部屋にいないのをいいことに、ぎゃーすか怒鳴り合う。
 伊織の困惑ももっともだが、影丸にもわからないことはある。
「他の人間にも試してみればいいではないか。これが仕様なのかもしれんぞ」
「マジかよ……ちょっと行ってくる」
 まさかな、と伊織はステータスボードを片手に部屋を抜け出し、その辺にいた女中たちに声をかけた。
「悪ぃんだけど、ステータス見てもいい? 道具の調子が悪くて、何人か協力してくんねーかな?」
「え、いいんですか?」
「見たいです!」
 どうやら、一般人は自分のステータスを見る機会はあまりないらしく、女中たちは伊織も驚くほど積極的にステータスボードを触ってくれた。
 例えば、その中の一人などは……。

チャミ
年齢:25   性別:女
クラス:女中  状態:健康
レベル 2
スキル −

体力 29/30
魔力 0/0
筋力 3
知力 2
敏捷 1
耐久 1
器用 4
幸運 1

(……ちゃんと数字で出るな)
 結果は、伊織の時のようにいい加減なものではなく、すべて厳密な数字で出ること、スキルを持っている人間がいなかったこと。また、レベルはせいぜい1か2だったこと。
「さんきゅ。壊れてはないみたいだ。女の子の秘密を見て、悪かったな」
「えっ」
「まあっ」
 チップとして百クートずつも渡すと、高価な道具を持っている上に太っ腹な商人だと認識してくれたらしく、怖がられることが多い顔面の伊織にも愛想よくしてくれた。
 伊織はそそくさと部屋に戻ると、ぎゅむっと眉間にしわを寄せる。
「……そういう顔をすると、本当に極悪盗賊団の首領のようだな」
「うるせえ」
 どっかりとベッドに尻を沈め、伊織は低い声でぼやいた。
「他の人間は、ちゃんと数字で出た」
「ということは、貴様が真正の人間ではないから、この道具ではデータを正しく読み込めないのだろう。人間が作った道具の、限界だろうな」
「チッ。……もう寝る」
「拗ねるな。せめて夕食を取らないと、人間に怪しまれるぞ」
「あーっ、くそっ!」
 苛立ちを込めてベッドを叩くと、ボカンとすごい音がして、影丸の体が飛び跳ねた。
「ふおっ!?」
「うわわわ、やべぇ、壊れる……大丈夫か?」
「物ではなく、吾輩の心配をせんか」
「だって、壊したら弁償もんだぞ」
 伊織はこわごわとベッドを撫でさすり、自分が迷惑客にならなかったことに、ほっと胸をなでおろした。
 結局その日は軽めに夕食を済ませると、伊織は時差ボケを解消するためにも早々に床に就いた。
「……ひでー目に遭った一日だった」
 ざっと三十時間の間に、出勤して仕事して異世界転移して子供と影丸と自分を助けて人助けして試験受けて買い物して、ようやくベッドにもぐりこんだのだ。
「影丸、おやすみ」
「うむ」
 そして十時間は熟睡して起きだした伊織は、洗面所でまじまじと鏡を覗き込んでしまった。
「っええぇぇ!?」
「くわぁぁ……どうした、イオリ」
 限界まで口を開けてあくびをした影丸は、のそのそとベッドから降りて、洗面所にいる伊織を見上げた。
「目が……目の色が、変わってる……」
「はぁ?」
 影丸を見下ろしてきた伊織の目は、影丸が最初に見た時と変わらず、鬼火のような薄い青。
「変わっとらんぞ」
「待て待て待て。俺の目は、元はこげ茶色だ。日本人の目の色は、大体そんな感じだろ」
「知るか。最初から青かったぞ」
「……マジか。じゃあ、召喚された時に変わったんだ」
 鏡に映る顰め面は、好意的にとればシベリアンハスキーのようだと例える人もいるかもしれない。
「昨夜は疲れすぎてたのか……全然気が付かなかった」
「色が変わったくらいで、そんなに落ち込むことか」
「……永久無料カラコンだと思えばいいか」
「よくわからんが、自己解決したようでなによりだ」
 目の色が変わってしまった以外に変化はないかと、伊織は小さな歪みが所々にある鏡の前で、よくよく自分の容姿をチェックした。
「髪は変わってないし、耳も尖ってねーな。皮膚が硬くなったとか、鱗が生えたとかもねーし……爪も、特に伸びてねーな」
 むにっと自分の頬を引っ張って痛みを感じたので、これはあらためて夢ではないと確信する。
「これが異世界転移か……それとも、悪魔転生? んー? そんなゲームがあったな」
 あれは滅びた東京を旅する設定だったが、それに比べたら伊織はまだマシだろう。影丸という道連れもいる。
「そういえば……影丸、この世界には、人間以外の人間の形をした種族はいないんだよな? エルフとか、ドワーフとか、人型の魔族とか」
えるふ・・・どわーふ・・・・がなにか知らんが、そうだな。ただ、魔族と呼ばれる存在がいるのは確かだ。彼らはこの世界に隣接している世界の住人で、この世界の人間よりも強い力を持っている」
「ほう? もうちょい詳しく」
「魔族、時に悪魔とも呼ばれる彼らは、極稀に、この世界に姿を現すことがある。ただ、魔族はこちらの住人とは意思疎通ができないし、この世界では、そう長い時間存在を維持することもできない。例外として、こちらの世界にも適合しうる強靭な個体を魔人と称するが、そんな特殊個体はそもそも世界を渡ることができないはずだ。だから、吾輩やこの世界の人間と話ができる貴様が、何処の世界から来たのか、興味がないこともない。……吾輩が知っているのは、このくらいだな」
「……これを見てくれ」
 伊織は教祖の部屋から持ち出した、人のいない所で処分するつもりの書類を、魔法鞄から取り出した。
「あのカルト教団は、人間の異世界人を呼ぶ魔法陣を使って、その魔族を呼び出し、自分たちで使役しようとしていたらしい」
「馬鹿な……」
 伊織が床に広げた書類を見て、その研究内容の愚かさとおぞましさに、影丸はあきれ果てたと言わんばかりに首を振った。
 伊織が腹パンで殺してしまったドネルたちは魔族を呼ぶつもりだったのだが、召喚魔法陣の改造が甘く、伊織たちの世界ともつながってしまったのだ。
「そうか、そのせいで……」
「それぞれから呼び出されたものが、合体しちまったんだな。すぐに存在が消えてしまうはずの魔族が、俺という肉体に力を与えることで魔人になった。ハエ男にならなかっただけ、温情ってわけだ」
「すまぬ。吾輩が封印されるなどという失態をしなければ……」
「気にすんな。やらかしたのは、この世界の人間で、影丸じゃねーよ」
 すっかりしょげて耳と尻尾を伏せる影丸に、伊織はほろ苦く笑ってみせ、ふわふわとした手触りの小さな頭を撫でてやった。