010 ミュータント駆除業務


 朝食を済ませてから宿を出て、都市間移送を担う山羊車やバスのターミナルに向かって歩いていると、伊織たちは厚い服の上から軽鎧を着たいくつかの集団とすれ違った。
 彼らが出入りしている大きな建物を見つけて看板を見ると、『冒険者ギルド』とある。昨日この辺りを歩いた時に気付かなかったのは、時間帯のせいで冒険者の数が少なかったからだろう。
「へ〜、本当に冒険者なんて職業があるんだな」
「雑用から荒事までこなす、何でも屋のような職だな。昔からあったぞ」
 伊織の【集合知】によると、現在の冒険者は、主に害獣駆除が仕事のようだ。
「そういえば、なんで冒険者を選ばずに、商人になったのだ? 手軽に日銭を稼ぐには、冒険者の方がよかろう?」
「そりゃあ、俺には元手(教祖の部屋から盗んだ金)があったし。それに……」
 思わずと言った様子で唇をゆがめた伊織は、目元が鑑定眼鏡のスモーキーカラーに隠れても、十分に凶悪な笑顔になっていた。
「商人なら、金の匂いに釣られた獲物が、向こうから来るだろ?」
 魔人イオリのクラスは『魂喰らいソウルイーター』であり、人間は結局のところ、スキルの素材でしかないのだ。
「考え方が合理的というか、そもそも商売をする気がなかったというか」
「商売はする予定だぞ。盗賊なんて、金がないから襲ってくるんだ。ない奴からぶんどれるはずないだろ?」
 少し遠い目になっている影丸に、伊織はなにを言っているんだと軽く首を傾げた。
 その時、裏道の方がにわかに騒がしくなり、キーともキャーとも聞こえる耳障りな悲鳴が重なった。
「なん、だ……!?」
 思わず足を止めて覗きこもうとした伊織の顔面に向かって、壁を走ってきた臭い何かが衝突しそうになった。
「うおぉっ!?」
 とっさに腕を払ってそれを叩き落としたが、その感触は生物にしては妙に硬く、空気が詰まったフットボールに似ていた。
「イオリ、まだ来るぞ!」
「な、な……!」
 それは、石の壁と地面を覆う、鈍色の奔流に見えた。下水の匂いが、強く鼻につく。
 伊織は影丸を拾い上げ、急いで逃げ出した。数の暴力に対して、寡兵はあまりに無力だ。
「なんだあれー!?」
 一番安全そうな冒険者ギルドに向かって走ると、伊織とすれ違うように冒険者たちが走っていく。
「ドブネズミだ! 誰かしくりやがった!」
「応援呼べ! 急げ!!」
山羊カーパーが齧られるぞ! ターミナルを守れ!」
 すぐに上位者と思われる男が冒険者ギルドから出てきて、きびきびと指揮を執り始める。
「ターミナルにあと二チーム向かわせろ! リーザ、六チーム率いて市場に向かえ! あとの全員で下水だ! 続け!」
「ちょっと支部長!」
「ドッドは情報管理で待機だ!」
「あぁ、もう……面倒くさい事ばっかり押し付けるんだから!」
 そんな遣り取りを横目に、伊織は足元をすり抜けようとした生物にタイミングよく足を下ろし、尻尾を踏みつけること成功した。
「ギィィーー!」
「危ない!」
 ドッドと呼ばれていた冒険者ギルドの職員が、伊織の脚に噛みつこうとしていたものへ、飛び込むように短剣を突き刺した。
「こちらへ! 建物の中に避難してください!」
「お、おう……」
 せわしなく職員が戻っていってしまうと、伊織はまじまじとそれを観察したい欲を押さえて、冒険者ギルドの建物に入った。
 ギルドの中は、意外と狭く感じた。それは主に、目的ごとに部屋がわかれているせいだろう。
(建物の強度の問題か?)
 一つの大きなホールにできるほどの建築技術がないのか、単に建物が古いだけなのか、そこまでは伊織にはわからない。
 伊織は出入りする冒険者たちの邪魔にならないよう、壁際に固まって待機する他の避難者たちの端、囁き声が聞かれない程度の距離を離して立った。
「影丸、ケガはないな?」
「吾輩は大丈夫だが、貴様は?」
「殴った腕が痛いぐらいだな。齧られてもねえ」
 コートの厚い布地越しとはいえ、大きなドブネズミを払った腕には、鈍く痺れが残っていた。痣にはなっていなさそうだが、何度も受け止められるとは思えない。魔人となり、普通の人間よりも頑丈なはずの伊織に向かって、それだけの衝撃でもって、あのドブネズミは突進してきたのだ。
「……あれ、見たか? あれが、この世界のドブネズミ・・・・・なのか?」
「……」
 伊織のやや震えた囁き声に、影丸は答えない。おそらく、答えられない、が正しいのだろう。
「ミュータントだ。びっくりした」
「吾輩も驚いている。吾輩が封印される前の時代には、あんな生物はいなかった」
 伊織たちが目撃したドブネズミは、六本足で走り、装甲のような体毛に覆われた体は硬く、二、三本ある太く長い尾は触手のようにそれぞれが動いた。もっともおぞましいのは、頭がいくつあるのかわからないほど、ごちゃごちゃに目玉が付いており、その下には恐竜のように牙が並んだ大きな口があることだ。
「おかしな薬品とかウイルスとか異常遺伝子とかが研究所から漏れ出して、ああなったとか、そんな話じゃないだろうな……」
「具体的な経緯はわからないが、あれも怨念の産物かもしれん」
「そうなのか?」
「凝った念をまとわりつかせておった。普通の生物は、そうならん」
「……」
 影丸の声は落ち着いていたが、やりきれない悔しさが滲んでいることを、伊織は感じ取った。
「イオリ、吾輩は少し外を観察してくる」
「よせ、危ないだろ。噛まれて病気になったらどうするんだ。俺は邪神の病気なんて治せないぞ」
「吾輩が人間のような病気になるわけがなかろう。それに、吾輩の姿は奴らにも人間にも見えん。ちょっと騒がしい場所へ食事にいくようなものだ」
 影丸は怨念を吸い取る。言われてみれば、食事と変わらないだろう。
「貴様はここに居ろ」
「ああ。対策がないまま、あの中に突っ込む気はねえ。……すぐに戻って来いよ」
「ふふん、寂しんぼめ」
「ぶっとばすぞ」
 かかか、と犬らしくない笑い声を上げて影丸が走り去っていくのを見送って、伊織は混乱が収まるまでどう過ごそうかと辺りを見回した。
(あ、売店だ)
 おそらく、冒険者御用達のアイテムを売っているのだろう。伊織は好奇心に駆られて、その一室に近づいて行った。
「おお……」
 いかにも初心者向けな、軽かろう脆かろうな装備各種が壁際に並び、カウンターのショーケースには、回復薬らしき瓶が揃っていた。
(すげえ。マジでファンタジーだ)
 伊織の鑑定眼鏡には、それぞれの性能や評価価格が忌憚なく表示されており、値札との差がほとんどない事に感心した。
 ベテランはそれぞれの専門店に行くのだろうが、金のない連中は、最低限の装備をここで揃えるのだろう。
「いらっしゃいませ」
 混乱に乗じて盗みにきたと思われたのか、職員が慌てた様子で会計カウンターに姿を現した。
「忙しい時にすんません。駆け出しの行商人でして、冒険者ギルドの商品と競合しない物を確認したくて」
「ああ、そうでしたか」
 伊織が行商許可証を見せると、盗人でも商売敵でもないとわかったのか、女性職員の目から険が薄らいだ。
「町のドブネズミって、あんなにいるんスね。ド田舎の村しか知らないんで、ちょっとビビりましたよ」
「本当に、どこから集まってくるんだか……。狩っても狩っても減らないのよね」
 そりゃネズミ算なんてあるくらいだしな、と伊織は胸の中で呟き、彼女たちはネズミが増えるスピードを知らないのかと疑問に思った。もっとも伊織だって、この世界のドブネズミの生態を、正確には知らないのだが。
(殺鼠剤ってないのか?)
 その問いに、【集合知】は「未知」と答える。あのドブネズミは様々な毒を持つために、殺せる毒を探せていないらしい。しかも、ああいう害獣の「障毒」にやられると、教会でないと癒せない。そういう困難が多いせいで、研究はいっこうに進んでいないようだ。
(障毒?)
 害獣が持つ目に見えない障り・・で、害獣を狩る多くの冒険者にとって、常に忌避され、しかし最もポピュラーな引退理由の元らしい。
(ふーん。バカ高い聖水みたいなもので解毒できるのかな)
 そんなゲーム思考の伊織に、【集合知】はもっとありえないことを答えてきた。
(この世界の「聖水」って、ぶっちゃけ「食塩水」なのか! 詐欺だろ!)
 お清めの塩水、と言えなくはない。伊織が元居た世界にも、除菌スプレーで除霊できたとか、縁切りにやたらと御利益のあるお清め水なんて、都市伝説みたいな話は聞いたことがある。
 だからといって、ただの「食塩水」が「障毒」に対し、本当に効果があるかどうかは疑わしい。実際、効果は微々たるものなのだとか。それを教会は高値で売っているというのも、阿漕な話だ。
(教会関係者の持っていた知識だから、まあだいたい本当なんだろうけど……どこかに霊験あらたかな聖水はあって欲しいって思うのは、俺の望みすぎか?)
 なかなか絶望色が濃い世の中だと、伊織の目は遠くなりかけた。
「どうしました?」
「あ、いや」
 頭に浮かんでくる知識を追っていた伊織は、まわりからは少し呆けているように見えたようだ。
 どうも、キーワードがあれば【集合知】が教えてくれるが、逆に、有効な検索ワードがなければ、いくら【集合知】に知識があっても伊織に認識できないようだ。そこは使い慣れた地球での検索エンジンに似ているので、使い方のコツさえわかれば有効利用できるだろう。
(ということは、この世界で使われる用語を集める必要があるな)
 伊織は売店の売り場を見回し、職員と会話をしつつも、丈夫な革グローブ、筆記用具とノート、害獣図鑑、ここポンムル伯爵領を含む南部地方の町や村が記入された簡単な地図などを買い込んだ。
「お買い上げありがとうございます」
「ども」
 最後に、ひとつだけ買った回復薬……いわゆるポーションの瓶をしまうと、伊織はリュックを背負い直して売店を出た。