008 ベリアバロ子爵家の事情
寄り添って揺られていたリルレーアとオルレーアは、ガタンという衝撃に二人揃ってぱちりと目を覚ました。
田舎道をガタゴトと走る馬車は、自分の領地に劇物扱いされる令嬢がいたことにひっくり返った領主が、慌てて用意したものだ。さっさと自分の領地から出て行ってもらうために、やたらと飛ばしているため、それなりにクッションの良い箱車のはずが、小さな体を時折飛び跳ねさせてしまっていた。 「「……」」 波打つ金色の髪や、ふっくらとした白い肌は汚れ、父が似合うと絶賛してくれたピンクのドレスはボロボロになってしまった。 それでも、リルレーアとオルレーアは小さな手を繋ぎ、身じろぎもせず座席に深く座っていた。眠ったおかげで疲労は少し抜けていたが、起きてしまったことで空腹を感じるようになってしまった。 「「……」」 カーテンを閉め切られた箱車の中は二人だけで、世話をする侍女もいない。ただ一刻も早く、二人をしかるべき担当者……いうなれば、王家かベリアバロ子爵家の使いに引き渡せれば、ここの領主はそれでいいのだ。 「「……」」 リルレーアとオルレーアは、そんな扱いをされることに、幼いながらも理解を示し、悲しいとは思っていなかった。 自分たちを大事に思ってくれているのは、父とわずかな使用人だけ。いや、少しは物の道理をわきまえている国王や宰相たちは、双子に対しても尊厳のある丁寧な態度をしてくれた。 そしてもう一人、つい最近のことではあるが、双子をただのか弱い幼女として扱ってくれた人がいる……。 ガラガラガラガラ パッカパッカパッカ…… ぼそぼそ…… 「……はやいね?」 「……つくね?」 見合わせられた目の色は、濃い新緑。 二人が思っていたよりもだいぶ早く、馬車は次の町に着いたようだ。馬車はゆっくりと速度を落としていき、馬車の外の音も、伴走する護衛たち以外のものが増えていった。 時々止まりながらも、馬車はゆっくりと進んでいく。 ((おなかすいた……)) ここ数日、ろくな食事にありつけていなかった双子は、とにかく腹ペコだ。今朝も薄いスープと硬いパンだけだったので、できれば温かくてふわふわのスクランブルエッグが食べたいところだ。 きゅうきゅうと腹が鳴って、しょんぼりとした気分になっていたところ、ようやく本当に停車したらしく、馬車のまわりがにわかに騒がしくなった。 そして、誰かが止める声を振り切って、勢いよく箱車の扉が開いた。 「リル! オーレ!」 「「パパ!」」 そこには、心配のあまり、短期間でげっそりとやつれてしまった父が両腕を広げており、リルレーアとオルレーアは躊躇わず飛び込んだ。 「よかった! っ、ほんとうに……よかった……っ!」 人目をはばからず、ぼろぼろと涙を流しながら我が子を掻き抱く父親に、双子もぎゅっと抱きしめ返した。 「すまなかった。怖かっただろう。……よく、無事に戻ってきてくれた」 双子をがっちりと抱きしめたまま、おんおんと泣いて固まってしまった父に、リルレーアとオルレーアはちょっと困ってしまった。 元々、娘ラヴなところが多い父であるので、帰還を喜んでくれるのは嬉しいのだが、もう少し感情を押さえて行動をしてほしい。 「「パパ、おなかがすいたの」」 「む! そ、そうか! よしっ、なんでも用意させよう!」 「旦那様、まずはお嬢様方をこちらへ。このように埃まみれのままでは、可哀そうではありませんか」 「おおっ! ドレスもこんなにボロボロに! なんてことだ、急いで着替えさせよ!」 やっと父の抱擁から解放された双子は、少しホッとしながら地面に足をつけ、これまた涙を堪えている執事や乳母たちに囲まれて、さっきまでの無人の静けさが嘘のような、温かな雰囲気のなかで、一時の宿に腰を落ち着けることができた。 双子をここまで送り届けた領兵たちは、さっさと戻っていったらしく、礼を言う暇もなかった。もっとも、リルレーアとオルレーアに礼を言われても、不気味がられる可能性の方が高いかもしれないが。 「王都に戻ったら、パパと一緒に、また服を買いに行こうね」 「「うん」」 髪や手や顔を拭いて着替えさせられたリルレーアとオルレーアは、まずはすきっ腹を温めるために、蜂蜜入りのホットミルクを飲まされながら、相変わらず乏しい表情のまま、同時に頷いた。 ベリアバロ子爵家は、三十年程前までは貴族間でも、「そんな家もあったな」と言われる程度の下級貴族でしかなかった。錬金術師の家系ではあるが、だいたいは王都で中堅の官吏を輩出するだけの、ぱっとしない家柄でもある。 しかし、紆余曲折を経て王家の血が入り込んだことで、その歯車が狂い始めた。現当主のランスロット・ブルー・ベリアバロは、除籍された王子を母方の祖父に持っていたため、他国の王女が降嫁するという栄誉を得た。もちろん、政略結婚ではあるし、もっと言えば、王女は差し出された人質だった。 曲がりなりにも王族が他国の子爵家に嫁入りなぞ、王女にとっては甚だしい屈辱だったことだろう。また、彼女自身が実業家として非常に有能であったため、跡継ぎとなる双子の娘を出産して間もなく、離婚を申し出てきた。 そもそも、シュガリアン王国が彼女を人質として受け入れたのは、外交上のケジメいう形で無理やり押し付けられたものだったので、むこうから破棄されることにいささかの不利もなかった。ただ、ランスロットと彼女の結婚、及び離婚は、国際問題であることには違いない。シュガリアン王国は、元王女に子供を置いて国外退去でよいなら離婚を認めるとした。 彼女はそれに飛びついて離婚を済ませると、そのまま出奔してしまった。王女としての人生を軽んじられた生国にも、戻っていないようだ。 自分の資産を持ち、市井で生きていける十分な経済力がある彼女を、ランスロットは独り立ちを助けこそすれ、一度も引き止めなかった。彼には、愛のない結婚相手よりも、もっと大事なものができていたのだから。 「あの狂信者どもめ……!」 ソファに深く腰掛け、眉間に深い皺を寄せて唸るランスロットの眦はギリギリと上がり、爪を噛んでまで憤怒を抑え込んでいた。 宿の部屋は最高級とは言えないが、子爵家の人間が数人の使用人と一緒に押し掛けて泊まるには、十分にゆとりがあった。寒い時期でもあり、しっかりとした暖房があるだけ、上等と言える。 疲れ果てた娘たちを休ませるために、この町に一泊だけすることにしており、明日になれば、王都に向けて出発する手はずになっている。 「カラルス福音教団については、ポンムル伯爵と王家が調査することでしょう。今はとにかく、お嬢様たちに安心していただくことが一番でございます。朝になっても眉間に跡が付いているようでは、お嬢様たちが心配されます」 「む……」 冷静な執事に言われて、ランスロットはようやく姿勢を正して、眉間に寄った皺をもみほぐしてから、温めたブランデーに口を付けた。強い香りと体の内側で火をともすような温かさに、ほっと力が抜ける。 「……しかし、残念だな。娘たちの恩人には、ぜひ会いたかったのだが……」 ランスロットは、リルレーアとオルレーアから大体の状況を聞きだせていた。娘たちを助けてくれたのが、おそらく転移者であることも、理解している。 そして、カラルス福音教団に召還されてしまった異世界人が、異様な現状から自分の身を守るために、姿をくらましたと考えるのは容易だった。 「そう心配されずとも、近いうちに会えましょう。この国で転移者について知りたければ、おのずとベリアバロ家に行きつくのですから」 「それは……まあ、そうか」 ここシュガリアン王国では、異世界人の召喚を禁じていた。理由は色々あるのだが、二百年前の建国時にそう法律で決められ、以来、異世界人がこの国を訪れたのは、一度しかない。 その一度だけ、他国からこの国へ逃げ込んできた異世界人と友誼を結び、終の棲家を提供したのが、ランスロットの二人の祖父とベリアバロ子爵家だったのだ。 「王都に帰ったら、娘たちの恩人がいつ来てもいいように、準備をしておくように」 「かしこまりました」 執事を下がらせると、ランスロットはカップを揺らしながら思案に暮れた。 (ようやく落ち着いてきたというのに……) この世界にはない知識を持つ異世界人が現れたという事は、世の中が大きく動くという事だ。数年前の隣国との戦争に端を発し、国王の退位にまでなった政変が、ようやく収まったのが去年の話だ。 新たに王位についたヴァニエスは、政敵と一緒に父である国王すらまとめて排し、当時はまだ伯爵家の三男だった俊英なるラムネーを抜擢して、瓦解しかけた国内をまとめ上げた手腕は、すさまじいキレをみせた。だが、なんといっても、現国王はまだ若い。 あちこちボロボロになった国を立て直そうと、内政に注力している現在、王家には異世界人に対応している余力がないだろう。 (娘たちを助けてもらった恩義もある。我が家に任されるなら、誠心誠意務めよう) ランスロットはそう心に決めると、カップの中身を飲み干し、せっかく酒で温まった身体が冷えないうちに床に就くことにした。 ベリアバロ子爵家の双子が無闇に畏れられるのは、もちろん二カ国の王家の血を引いていることもある。 だが、もっとも直接的に恐れられるのは、その魔力の強さと、感情の窺えない人形のように整った美貌のせいだろう。この世界で魔法を扱える人間は、とても限られている。 「「……」」 リルレーアとオルレーアは、ひとつのベッドでくっつくように横になっていた。こうして二人一緒ならば、寒くない。 自分たちの家のベッドほど柔らかくはないが、清潔に整えられたベッドは、ここ数日の内で一番休むのに適した寝台だった。 王都で誘拐されたのは、ひどい災難だった。外出時は普段から車を使って、ドアからドアへの移動をしており、護衛も付いているので、街中でさらわれるなどという事は、ほぼ不可能のはずだった。 だが、その店の玄関先、車から降りた場所に召喚魔法陣を敷かれていては、避けようがなかった。そう、彼女たちは転移魔法ではなく、召喚魔法でさらわれたのだ。 普通の人間なら、そんなことは考えもしないし、できることでもなかった。召喚魔法の技術を持つグルメニア教徒ならではの悪知恵と言えるだろう。 もちろん、異世界人を渡らせる召喚魔法は門外不出の秘術であり、誰もが軽々に扱えるものでもなければ、その知識を得ることすら難しい。カラルス福音教団は、異端認定を受けながらも、その秘術を手に入れ、あろうことか改造までしてのけたのだ。 それが、双子を誘拐した『同世界召喚』と、『悪魔召喚』の真相だった。 「つよかったね」 「かっこよかったね」 見つめ合う新緑色の双眸が思い出すのは、大きな獣のように暴れて自分たちを救い出してくれた、父と同じくらいの年齢の男。 強すぎる魔力を契約魔法の触媒にするために、二人そろってあの場所で殺されるところだった。自分たちの、命の恩人だ。 「「あおいめの、おじさま」」 小さな唇たちが、ほんのわずかに、弧を描いた。 |