006 仕事とは、やりたいことではなく、出来ることを選ぶべし
「すんません、あざっす」
「なんの、なんの。こっちは大助かりしたんだ。少しでも恩返ししなきゃ、罰が当たるってもんだ」 伊織を荷台の端に乗せた男は、古い小型トラクターを運転しながら、本当に助かったと日に焼けた頬を緩ませた。 そう、トラクター……どこからどう見ても、農業用牽引自動車である。 (燃料はガソリン……じゃねーのか?) 伊織の鑑定眼鏡には、型式や資産価値は出てきても、仕組みまでは詳しく出てこない。しかし、スキル【集合知】によると、この世界で 排ガスを鑑定してみると、硫化水素や一酸化炭素のような、伊織の知識にある有毒ガスはなく、炎化ナズやドンバル65号といった、よくわからない物質が含まれていた。意外なことに、これらは人体にとってほとんど無害らしい。ただ、甘苦い独特の臭いがした。 (俺たちで言う、化石燃料を精製するような技術はある。ついでに、エンジンみたいなものもある。しかも、それが一般にまで浸透している) 伊織のスキルに【内燃機関】とあったのだから、内燃機関に相当する概念や機構も存在するはずで、当たり前と言っては当たり前かもしれない。留意すべき点は、それが一般的な技術であり、燃料も簡単に手に入るという点だ。 (燃料の保管と流通には、細心の注意と技術が必要だ。この世界は……少なくともこの国には、それだけの ほんの少しの不注意で、大惨事を起こしかねない物を、知識のない者が扱えるはずがない。一般人が安全に扱える装置を作り、安全に配慮した行動ができる人間を育成しているという事だ。 (怪しまれないように、もぐりこめるかどうか) 日本人の感覚では住みやすい文明レベルかもしれないが、魔人イオリが一般人に成りすまして生活するには、周囲の目を誤魔化すことに限界がある可能性がある。 大きな砂利とぬかるみが混じった悪い道を、ガタゴトとゆっくり進むトラクターに揺られながら、伊織は悩んでも解決しなさそうな不安を弄りまわすのをやめて、積み上がった木箱の上で興奮気味に辺りを見回している影丸を見上げた。 (落ちるなよ) なんとなく予想はついたが、影丸は伊織以外の人間には見えないし、声も聞こえないようだ。伊織が影丸と会話したとしても、傍からは伊織が独り言を言っているように見えるため、気を付ける必要があった。 「イオリ、すごいな! 調教した獣もおらんのに、こいつ動いておるぞ!」 (そうだなー) このトラクターは、町まで農作物を運搬している最中に、不運にも牽引していた荷台がぬかるみにはまり込んでしまっていた。そこに通りかかった伊織が、見かけによらない怪力で荷台を硬い道に押し上げ、荷崩れて散らばった野菜を拾い集めるのも手伝った。その礼として、こうして乗せていってもらっているのだ。 「車走るのに、あんまり、道広くないんスね」 「この辺は開拓されて、まだ日が浅いからなぁ。ああ、きっと一昨日まで続いた雨のせいで、轍の所から崩れちまったんだ。帰りも気を付けねえと」 ハンドルを握ったまま、農夫は表情を渋くする。 いま進んでいる細い道は、ブランツとバーリーという二つの町に繋がっているが、元々はエイヴァーの森に入るためのものらしい。ブランツは今向かっている町で、バーリーは反対側。伊織が双子を送り届けた物見砦そばの町だ。 「しかし、闘神官様もご苦労だな。この辺に巡礼地なんてないだろうに」 「え?」 「なんでぇ、違うのかい?」 そもそも、闘神官とはなんだと伊織は首を傾げ、いわゆる修行僧や僧兵の類だと【集合知】から返答がある。この世界で広く信仰されているグルメニア教の闘神官は、修行の一環で巡礼地を一人で旅することがあるそうだ。ちなみに、伊織を呼び出した邪教団は、そのグルメニア教に属するものの異端扱いされているカラルス福音教団の、さらに過激な一派だ。 「どうして、俺が闘神官だって?」 「俺のような農民を助けてくれるし、実際すごい怪力だった。なにより、香の匂いがしたからな」 「!」 それを聞いて、教祖のコートをかっぱらってきた伊織は、冷や汗が噴き出すのを感じた。 (ヤベェ。マジでヤベェ) コートに染み付いた香の匂いで、教団関係者だと思われるのは盲点だった。これは早々に外套も買い換えないといけないかもしれない。 (どうする、闘神官のふりをするか?) しかしそれは無理があると、伊織は内心で首を振った。一人旅の言い訳には都合がいいかもしれないが、巡礼者なら通行手形や身分証を持っているはずだ。 「……いや、俺は闘神官じゃない。村に居辛くなったんで、出てきただけ」 「バーリーには行かなかったのか? この辺にはうちの村しかないし、むこうの方が近いだろう?」 「その……、付き合ってた彼女を、村に出入りしていたバーリーの住人に、寝取られて……」 「そいつぁ……すまん。本当に悪い事を聞いた。忘れてくれ」 (セーーーフ!!) 心臓がバクバク鳴っていたが、伊織は気の毒がってくれている農夫に気付かれないよう、そろそろと安堵の息を吐いた。 (あっぶね! マジであっぶね! 設定考えておいてよかったぁ!) 伊織は残念ながら、転移前の世界でも寝取られたどころか、異性と付き合ったことがない。ワルだがそれがかっこいい、と思う同世代の女の子が、いない事はなかった。伊織と付き合いたいと思ってくれる娘も、ゼロではなかったようだが、人伝の噂だけで伊織の目の前に現れたことはない。 (泣いてない。別に彼女とかいなくていいもん。寝取られたら嫌だし) 嘘に向けてくれた同情に悪いとは思うが、こんなに同情される悲哀に遭う可能性があるなら、年齢=彼女がいない歴を憐れまれる方がマシである。 「そんなら、うちの村に住むかい?」 開拓村ならば、人手は欲しいだろう。伊織を荷台に乗せてくれたこの農夫も、良い人柄のようだ。しかし、伊織は努めて明るく、首を横に振った。 「気ィ遣ってもらって、ありがとうございます。でも大丈夫っす。とりあえず、なにか商売やろうかなって。思い切って、一人で新しい事始めてみるつもりなんスよ」 「そうかい。商売も楽じゃねえ。頑張れよ」 「うっす」 伊織が当面の目的地としている交易都市ランジェオは、今向かっているブランツの町を出てからも、まだ数日はかかる距離だ。その間のことも、伊織は考えねばならなかった。 「行商の許可って、組合じゃなくて、もしかして役所の方で貰うんスか?」 「いや、商業ギルドで出しているはずだ。この荷物を下ろす所から近いから、案内するぞ」 「あざっす」 農夫によると、商売の資格を得るには試験を受ける必要があり、その内容は釣銭の計算や、簡単な出納記録ができればいい程度なのだとか。そこからステップアップできるかは、個人の力量やセンスによる。 「立派な店舗を構えたりするとなると、詳細な帳簿の提出が義務付けられるし、税金の計算もできる様にならなきゃいかんが、行商や露天商くらいなら、組合が代わりに税金の管理をしてくれるぞ」 「そりゃ楽でいいな」 「そのぶん、しっかり稼がないと、手数料分割高になるらしいがな。だが、行商の資格があれば、通行証もいらんし、旅は楽になる。ただ気を付けなきゃならんのは、特産品には専売や関税がかかることが多いってことだ。ギルドで、よく確認しておくんだな」 「了解っス」 伊織は聞いた情報を整理しながらも、色々教えてくれる農夫に感心していた。おそらく開拓村の村長か、それに近い地位を持っているのだろうが、農業以外のことについても良く知っていた。もしかしたら、役人の経験もあるのかもしれない。 (ちゃんと学校に行ける人間が多いんだろうな) 商業ギルドでのテストが難しくなさそうなことをみると、庶民の就学率はぼちぼちといったところなのだろう。義務教育までは徹底されていないにしろ、自分の名前も書けないという人間は少なそうだ。 (そこそこ、裕福な国なんだろうな) 数年前まではあった隣国との戦争にも勝利していることだし、貧しい弱小国という印象はない。冬の開拓村だというのに、農夫が燃料に困っている様子もないので、現在伊織がいるシュガリアン王国は地力のある国家なのだろう。 「そろそろ到着するぞ」 地球での知識と、【集合知】と農夫からの情報を比べて、あれこれ考え込んでいた伊織は、声に促されて荷台から進行方向を眺めやった。 「おおー」 丘の上を囲むように連なった城壁は、遠くからでもよく見えた。だが、空気が汚れているのか、うっすらと靄がかかっているようにも見える。 ブランツは辺境の小さな町という先入観があったが、こうして外側から見ると、良く護られた町だとわかる。 (へぇ〜。立派なもんだな) 伊織は小学生の頃に、親戚に連れられて一度だけヨーロッパへ旅行したことがある。その時に見た橋や城郭の、古い石材が醸す歴史の表情を思い出した。 トラクターはやがて城門にたどり着き、農夫と違って通行証を持っていない伊織は、入町料百クート(約千円)を支払って、ブランツの町に入った。 (おお、けっこう栄えているな) 石畳の道に、色彩豊かな家が、ひしめき合うように建っている。人通りも多く、荷馬車ともすれ違った。 やがてトラクターは、木箱が積み上がった荷下ろし専用らしい広場に停まった。伊織も手伝って荷台から野菜が詰まった木箱を下ろし終わると、農夫は約束通りに商業ギルドの中へ案内してくれた。 「いやぁ、今日は本当に助かったよ。俺ぁ、もう帰るから。あんちゃんも元気でやれよ」 「うス。俺こそ助かりました。気を付けて帰ってください。ありがとうございました!」 ぼぼぼぼがたがたと、うるさい音を出しながら去っていくトラクターを見送り、伊織は足元から見上げてくる影丸に小さく頷いた。 「ようこそ、ブランツ商業ギルドへ。ご用件をお伺いします」 受付にいたのは、伊織と同じくらいの若い男で、慇懃な態度とは裏腹に、伊織が行商人登録したいと言うと、冷えた雰囲気をまとったようだった。空気を読む日本人である上に、対人の危険を嫌と知っている伊織であるから、それらを敏感に感じ取っても表情には出さなかった。 「あの若いの、分かりやすすぎるな」 「だから商人じゃなくて、下っ端ギルド職員やっているんだろ」 試験の用意をすると言って目の前からいなくなった途端に鼻で嗤う影丸に、伊織は姿勢も視線も動かさずに、低く囁き返した。 「いま、ものすごく辛辣なことを言ったな? 否定はせんが」 「……」 自分と同年代で未経験から行商を始めたいと言いだした伊織を、内心で馬鹿にできるくらいには、あのギルド職員も学歴か職歴に自信があるのだろう。 ただ、伊織にとって幸運なことに、この世界ではアラビア数字が使われていた。しかも、度量衡が十進法で統一されており、世界を渡った時の知識インストールのおかげもあって、単位がメートル法ではなくとも、計算するだけならすんなりできたことだ。 (たぶん、転移者が広めたんだろうな) 機械いじりが好きで工業系に進んだ数少ない友人が、「インチなんか大嫌いだ!」「ガロン? 知らない子ですね」「ヤード・ポンドは滅びろォ!!」などと叫んでいたことを思い出しながら、伊織は答案用紙を差し出した。 「ご、合格です……」 「どーも」 基本的な四則演算どころか、車両への適正な積載量の計算や、一見難解な面積や容積、速度を求める問題。さらには簿記と受発注書の穴埋め問題など、すべて正答した伊織は、登録手数料を支払ったのち、無事に行商の許可証を得ることができた。 「ったく、時差ボケ徹夜明けの頭で、こんな面倒くせー計算やらせんじゃねーよ。簡単なテストって前情報どこ行きやがった」 「イオリは、意外と頭が良かったのだな」 「意外とは余計だ、ワンコロ。これでも真面目に会社員やってたんだ。食料品のロジスティクスに関しては、ちっと知見があるんだぞ」 「誰がワンコロだ!」 身分証も兼ねた金属プレートの許可証を魔法鞄にしまうと、伊織は足元でキャンキャン騒ぐ影丸を抱えあげ、悠々とブランツの街中に消えていくのだった。 |