005 喰ったもの全部が栄養になるわけではない
天板を押し上げて朽ちかけた小屋に出た伊織と影丸は、少し休憩すると、すぐに町を目指して廃村を後にした。
「まぶし……ふあぁぁ」 ひんやりとした朝の空気が流れているが、伊織の体感時間では深夜であり、時差ボケと疲労のせいでかなり眠かった。しかし、なるべく早く森を抜け、人混みに紛れなければならない。 伊織の頭の中にある、勝手にインストールされた知識のおかげで、太陽の位置から方角と、最寄りの町の位置はだいたいわかる。太陽は東から登り、西へと沈む。どうも今いる場所は南半球に位置しているらしく、暦ではこちらの世界も七月くらいにあたるが、日本とは季節が逆転していた。北に行くほど温かく、南に行くほど寒い国にいるらしい。 「おっと……」 半ば森に埋もれた凸凹した小道を、革靴で歩くのは適さない。眠気もあって滑った足元を見回した伊織は、散漫になっている注意力を取り戻そうと、眉間に力を入れた。蛇や熊などは冬眠しているはずだが、地球の常識が通じるとも思えない。用心するに越したことはないだろう。 地面は落ち葉に覆われ、時折霜を踏む音がする。スラックスの裾は、泥に汚れ始めていた。ロングコートのおかげでほとんど隠れているが、なるべく早くこの世界の服や靴も手に入れたいところだ。 「町に入る言い訳は考えたのか?」 「おう。彼女を寝取られて居心地悪くなったから、村を出てきた。家は兄貴が継ぐから問題ない。これでいいだろ」 「憐れみフィルターがかかってくれればいいが、金を持っているとバレたら、絶対怪しまれるぞ」 「しょーがねーべ」 通行税を払えるだけの金はあるが、身分証などない。できるだけトラブルを避けていきたい。 「いままでにこの世界に来た奴は、俺たちにとってファンタジーな世界を壊したくなかったのかもな。どこに行くにも身分証必須、戸籍や住民票でガチガチになっていたら、ヤバかった」 統治者としては、きっちり税収を確保するためにも住民を管理したいだろうが、この世界はその辺りのことは、現代日本に比べて、まだ不十分なようだ。 とはいえ、私服でもスーツ姿でも、その辺歩いていると職質されるのは普通だった伊織であるから、確固とした身分証をなるべく早く手に入れたいとも思っていた。 「なあ、俺って人間に見えるか? いきなりバレねーかな? 鑑定系スキル持ちは、少ねえみてーだけど……」 「人間にしか見えんぞ。そもそも魔人であるから、そのうちステータスを誤魔化すスキルぐらい生えるのではないか?」 「そういうもんか」 伊織が知っているのは、この世界というより、この国、この地域、及び伊織を召喚したカルト教団についてのことが大半で、例えば数年来小競り合いが絶えない隣国と比べての生産高や、最新兵器といった軍事国防に関することなどは真っ白だ。 「なんか、俺の中にある知識って、スゲー偏っている気がするんだよなぁ」 「それは貴様のスキル【集合知】のせい……というより、おかげ、だな」 「あっ、スキルについて知りたかった。教えてくれ」 伊織が持っているスキルは、いまのところ【内燃機関】と【集合知】の二つだけだ。そしてその両方が、伊織のクラス『 「魂喰らいは、文字通り生きているものの命を奪うことで、それが本来持つエネルギーと知識を獲得するクラスだ。 「あー。わかりやすい、サンキュ」 伊織が知っているゲーム知識基準で言えば、敵を倒すと自分が回復するタイプだ。だいたい近接戦闘で混戦時にも強く、無双プレイで長く戦闘を続けられるスタミナはあるが、強敵とのタイマン勝負や遠距離からのクリティカルには弱いとか、そういう類のクラスだろう。スナイパー対策は必須だ。 「……そういえば、この世界にきてから、四人殺したな」 ふと立ち止まった伊織は、立木に添えていた手を離し、命を奪ったその瞬間を凝視するように、握ったり開いたりした。だが、何も感じなかった。 「フフッ、けっこうなことではないか」 「いや、おかしいって。なんで罪悪感とか、そういうのを感じねーんだ……?」 いくら殺した相手が、伊織を無理やり召還したカルト教団の人間だとしても、現代日本で教育を受け、どこにでもいるサラリーマンとして生活していた伊織は、それなりの倫理観を持っていたはずだ。 戸惑う伊織に、影丸は呆れたように鼻を鳴らした。 「ふん。魔人とは、そういうものだ。貴様が持っているステータスボードで、もっと詳しく出てくるかもしれんが」 「そうか……。人間じゃなくなったから、っていう差が、これからも出てくるのか」 「別に、人間でも罪悪感無く同族を殺すだろう? 環境か、仕事か、主義か、立場か、感情か、それはそれは多様な言い訳で自分を正当化して」 クククッ、と喉を震わせるように影丸は笑い、伊織もその言い分には納得した。 「まあ、そうかもな」 「貴様の場合は、どんな人間を殺しても心が動かないが、その上で殺したくない奴を選べる。喰いたくない魂は避け、喰いたい魂を選べる。そういう贅沢仕様というわけだ」 「そう言われると、至れり尽くせりに感じるな。誰でもいいから定期的に喰わなきゃいけない、ってわけじゃないんだろ?」 「生命維持に関しては、人間としての食事もできるからな。そこが魔人の、便利なところだ」 それを聞いて、伊織はほっと息をついた。ドライフルーツを噛んで美味いと感じられた事実は、伊織がいままで人間として生きてきた精神に、意外なほど大きな慰めをくれた。 「オーケー。なんとかやっていけそうだ」 「それは重畳」 再び歩き始めた伊織の足元で、巻き尻尾をフリフリしながら影丸もついてくる。 「てことは、スキルの【集合知】って、俺が魂を喰った……実感はねーけど、喰った奴の記憶とか知識ってことで……え、もしその情報が間違ってても、誰も否定しねーの?」 まさかそこはちゃんと補正が入るだろうと伊織は思ったのだが、影丸は残酷にも断言した。 「貴様自身で正しい情報を得るか、正しい情報を持っている人間の魂を喰わない限りはな」 「マジかよ」 偽百科事典どころか、呟きランド並みの玉石混淆という事実に、伊織は頭を抱えたくなった。情報は得られても、それが真実かどうかを見極めるのは、伊織自身という事になるのだ。本来の意味から誤解を招きかねないから、スキル名を変えた方がいいのではないだろうか。 「つっかえね……いや、何もないよりはマシなのか……?」 「便利だぞ。わざわざ拷問する必要がないからな」 「そういう問題じゃねえ!」 使いこなすには慎重さが求められるスキルだという事が、大きな失敗をする前にわかったのはよかったが、伊織の胃が痛くなってきたことも事実。 (もしかしたら、もう失敗しているんじゃ……) だが、その不安は杞憂だったようで、伊織と影丸はやがて森を抜け出し、奪った知識にあるとおり、冬枯れた草原の向こうに踏み固められた道を見ることができた。 「っしゃ!」 三つの領にまたがるエイヴァーの森を抜けだした伊織たちは、双子を送り届けた物見砦がある王都方面を避け、森を反時計回りに迂回したところにある交易都市ランジェオを目指して、あらためて歩きだした。 ―― シュガリアン王国 王都プランツェ 貴重な通信魔道具を使って、最速で王城へもたらされた吉報に、若き宰相レイモンド・ラムネーは安堵の息を堪えた。 「ご苦労。陛下へは私が伝えるが、ベリアバロ子爵家へ急ぎ使者をたてよ。引き続き、令嬢たちを丁重に王都へ向かわせるように。それで、犯人は?」 「暫定ではありますが、カラルス福音教団です。過激派筆頭である、ドネロの死体が発見されました」 「やはり奴らか……わかった。そちらの調査報告も怠るな」 「はっ」 秘書が下がって執務室に一人になってから、彼は大きく肩を動かし、執務机に両手をついて胸の中の空気をすべて吐き出した。 「っはぁぁ〜〜〜……」 ベリアバロ子爵家の双子令嬢、リルレーアとオルレーアが誘拐されてから、正直に言って、生きた心地がしなかった。 (よかった……) あの双子は特別だった。それでなくとも、シュガリアン王家はベリアバロ子爵家に負い目がある。シュガリアン王国内では、絶対の安全を確保しなければならない保護対象だった。 それなのに、彼女たちは父親であるベリアバロ子爵と護衛達の目の前で、一瞬にして同時に姿を消した。おそらく転移魔法の一種と思われるが、それを使いこなせる大魔導士級の者に心当たりがなかった。王宮魔法師団の団長でさえ、自分と誰か一人を一緒に転移させるので精いっぱいなのだ。 彼女らを狙う犯人には、いくつか見当がついた。カラルス福音教団も、そのひとつだ。しかし、彼らに転移魔法を使えるかと言えば、大いに疑問だったのだ。 (なんにせよ、令嬢たちが無事に救助されたのなら一安心だ) レイモンドはこの件を、自分よりもさらに若い、国王ヴァニエスに伝えるために立ち上がり、執務室の扉を開けた。この案件は、まさに一歩間違えれば国難と言っていい事態になりかねなかったのだ。 警護の騎士を引き連れて歩きながら、少し落ち着いたレイモンドは思考を巡らせる。 (さて……この救出劇の立役者。何者だ?) 報告書には、黒髪の若い男が令嬢たちを担いで逃げてきて、砦の兵士に保護を求めたという。普通に考えれば、過激派についていけなくなった信者だろうが……。 (ありえない。カラルス教団の、しかも狂信的なドネロ派閥は、特に血の盟約を重んじて、全員に強制させている。精神的にも物理的にも、教団を裏切るような信者はいない) それゆえに、こちらの密偵を潜り込ませることも困難な相手だったのだ。レイモンドから見れば、ドネロを殺して双子を助け出してこられるほどの敵地の真ん中に、いきなり救世主が生えてきたようなものだ。 (彼女たちから、話が聞けるといいのだが) リルレーアとオルレーアは、まだ五歳の子供である。しかし、普通の五歳児とは様子が違う。ただの大人では、相手にされないのだ。 だがとにかく、それは彼女たちが王都に戻ってきてからの話だ。 「陛下、宰相閣下がおみえです」 「入れ」 衛兵によって開けられた扉をくぐり、レイモンドは国王の執務室へと足を踏み入れていった。 |