004 旅立つ前にすることと言えば


 伊織がわざわざ教祖の部屋に侵入したのには、理由がある。
「お、あったあった」
 鍵のかかったチェストを力尽くで壊し、金の詰まった袋を取り出す。
「空き巣か」
「家探しして金や薬草をぶんどっていくのは、RPGのド定番だろ。邪神の癖に気にするのかよ」
「大邪神だ。敬え」
 細けぇなぁ、と伊織はぼやきつつ、今度はクローゼットを開けた。ローブが多かったが、伊織が探していた物もちゃんと残っていた。
「よしよし、俺でも着られるな」
 それは深いオリーブグリーンの、ロング丈の厚手のコートだった。ダッフルコートに似ていてフードがあり、たっぷりしたサイズの生地も縫製も丈夫なもので、おそらく、町へ行く時など、教団の人間だとわからないよう変装するための物だ。
「向こうは夏だったのに、こっちに来たら冬だなんて……さみぃと思ったんだよなぁ」
 伊織はオフィスにいた時の、夏用のワイシャツにスラックスのままだったので、双子を送り届けるために、砦跡と森の端とを走って往復した時はまだしも、かなり寒く感じていたのだ。
「おい。貴様に、いい物があるぞ」
 一緒にクローゼットを覗き込んでいた自称大邪神、もとい影丸が、籠をひっくり返して、何かを引きずり出してきた。
「ボディバックか?」
「阿呆。魔法鞄マジックバッグだ」
 見た目は小型の薄い革製のボディバッグで、ダッフルコートの下にも収まりそうだ。
「へえ、中にいっぱい入るってやつだろ? ファンタジーだな」
 しかし、すでに余分な物が色々入っているようで、伊織はベッドの上に中身をぶちまけた。
「うお……」
 宝飾品や何かの道具、書類に刺繍入りの衣類などが、無秩序に山となった。
「ああ、教祖の非常持ち出し袋だったか」
「このまま持って行っても良かったのではないか?」
「いや。現金ならまだしも、宝飾品や貴重な道具が盗品だったら、変なところでバレたらヤバいし。この書類なんかは、明日にでも突入してくる憲兵が欲しがるはず……」
 雑然とした荷物をあさっていた伊織は不快気に細め、紙束の中にあった一部を抜き出して、さっと魔法鞄にねじ込んだ。
「なんだ?」
「あとで燃やす」
 それは世に出してはいけない物だと、当事者である伊織にはわかっていた。口伝などで情報が漏れることはあっても、誰でも見られる文章で残しておくのは、あまりにも危険だった。
「おっ」
 さらに何か使えそうな物はないかと探していた伊織は、スモーキーカラーのサングラスを見つけて思わず笑ってしまった。
「ははっ、カッケー。あの教祖、こんな洒落た物持ってんのかよ」
 冗談のつもりで伊織はそのサングラスをかけてみたが、それで見えたものに今度は驚いてしまった。
「なんだこれ」
 伊織は辺りを見回し、そして山になっている道具や宝飾品をひとつひとつ手に取って、まじまじと見つめた。
「どうした?」
 見上げてくる影丸を、伊織はサングラス越しに見返す。

■邪■ ■▼■■@■■ (カゲマル)
年齢:×××××  性別:%☆
クラス:大怨霊     状態:衰弱
レベル ▲¥↓☆☆◆
スキル 【祟り/?】【△死/10】【♯■★&】
     【心眼】【●〇〇】【頑◎】 ……

 サングラスを外すと、そこには巻き尻尾を背負った真っ黒なポメラニアンに見えるものがいる。
「影丸、お前本当に怨霊だったんだな」
「何をいまさら」
 伊織はもう一度サングラスをかけて影丸を観察しようとするが、ノイズがかかったように不明瞭すぎて、それ以上のデータが出ていても読めなかった。
「このグラサン掛けると、物の名前とか、どのくらいの金銭的価値があるのかとか、そういうのが見える。だけど、影丸のことは文字化けとか酷くて、あんまわかんねーや」
「ほう、鑑定か解析の魔道具か。昔より、ずいぶん便利な形に進化しておるのだな」
「コイツはアリだな。俺、この世界に来たばっかりだし、詐欺られてもわかんねーもん」
 それに、デザインも伊織の審美眼に適うアイテムだ。
 伊織は鑑定眼鏡アプレイズグラスのブリッジを指先で少し持ち上げ、雑多な山から役に立ちそうな物を探す作業に戻った。すると、大判の電子タブレットのような物を見つけた。サイズはA4ほどで、結構な大きさだ。鑑定眼鏡越しの表示は……。

【ステータスボード】
 スキル【人物鑑定】封入魔道具 燿石式
 製造/テッサローチェ工房  368年製
 状態/中古  買取り参考価格/三万クート

 一クートは約十円だ。つまりこのタブレットは、下取りだけで三十万円程度にもなる高価な魔道具ということで、正規の販売価格なら数百万はするもの。おそらく最新式か、それに近い性能はあるのだろう。
「あん? こいつは、どうやって使うんだ?」
 タッチパネル式なのか、そうでないのか。伊織は何度かひっくり返し、あちこち触り、ようやく角のひとつにある宝石のような飾りに数秒触れることを発見した。

魔人 イオリ  (転移者)
年齢:28   性別:男
クラス:魂喰らい  状態:健康
レベル 3
スキル 【内燃機関】【集合知】

「出たー。あー、ね、予想はしてた。……マジで人間じゃなくなってるよ」
 予想はしていても、こうして見せつけられると凹むものである。魔人と言われても伊織には、謎を食べる探偵か、ピンク色の宇宙人しか思い浮かばない。
「ほう。変な奴だとは思っていたが、貴様、異世界人か」
「おう。影丸、他の転移者知ってる?」
 人間というアイデンティティを否定されて、伊織は少し心細く感じていた。異国で同郷の人間を探すような気持ちだ。
「知っているも何も、吾輩を封印したクソ聖女も転移者だったぞ。あれから何年……何百年経ったか知らんが」
「マジかよ」
 何でもない事のように影丸は告げるが、やはりこの世界には、昔から転移者が度々訪れるものらしい。
「しかしながら、時の流れ、技術の進歩とは、凄まじいものよ」
 伊織と一緒にステータスボードを覗き込んでいた影丸は、感慨深げにつぶやいた。
「こんな小さな道具で、誰でも記録保管庫アーカイヴにアクセスできるようになるとは……人間の欲深さ、ここに極まり、と言ったところか」
「アーカイヴ?」
「貴様、自分で人間でなくなったと言っていただろうが。その鑑定眼鏡だって、吾輩のことはよくわからなかったであろう? 人間が作った物が、人間以外の種族を鑑定できると思うか? 少なくとも吾輩が封印される前までは、この世界に人間以外の人型種族はいなかったぞ」
「……たしかに」
 【人物鑑定】とやらが、そういうスキルだとしても、果たして魔人のクラスなど人間が知っているだろうか。
 よしんば、人間と魔人が互いの存在を認識している世界になっていたとしても、伊織すら自覚のないスキルが、鑑定スキル程度でわかるものなのだろうか。
「おそらくこの魔道具は、使用者が持つ何らかの固有波動を捉えて、アーカイヴにアクセスし、該当する情報を引き出すものだ。この世界の規則に抵触しそうな物を、いったいどうやって作ったのか……」
 影丸は心底呆れたとばかりに体を震わし、伊織にもなんとなく異常さが理解できた。
「この世界のデータベースを……本人でも見られないDNAみたいな個人情報を、勝手に閲覧しているってことか」
 情報社会に慣れた伊織なら、検索一発で何でもわかるというのは不思議なことではないが、例えば「誰にも言っていない特技」や、「自分の預かり知らない才能」などというものが、片手のモバイルにポンと示されても困惑するだけだろう。それがファンタジーなこの世界の常識だとしても、一般的なネットリテラシーを持った伊織には気持ち悪く感じる。
「わかった。とりあえず、いまの俺には必要だけど、他の奴にはコレも内容も、見られないようにした方がいいってことだな」
「さしあたって、それがよかろう」
 伊織は自分のステータスに関して、もっと詳しく影丸に聞きたかったが、いまは少々時間がないことを思い出した。
「他に使えそうなもんはねーなぁ。あ、あのランプはいただいていくか」
 この室内を照らしている、原理の良くわからないランタンのような物をひとつ失敬することにして、伊織は獲得した物を放り込んだ魔法鞄を装着し、その上からダッフルコートを着込んで、影丸を抱える。
「んじゃ、行くか」
 夜が明ければ、ここには物見砦にいた兵士や、調査のための憲兵たちが来るはずだ。それまでに、遠くへ逃げなくてはいけない。
 伊織は入ってきた隠し扉から出てきっちり閉めると、階段を駆け下り、宝物庫の隠し扉も閉めてさらに通り過ぎた。階段の底にあった横穴は意外と広く、建設当時にしっかりと崩落対策が取られているように見える。
「どこに通じているのだ?」
「森の中の小屋らしい。ここから一番近い物見砦とは別方向にある、元々は村だった所」
 お偉いさん用の、緊急脱出路なのだろう。何が出てくるかわからない、迷いそうな夜の森の中を歩くより、よほど安全だ。
「影丸、自分で歩けるか?」
「無論だ」
 伊織は影丸を地面に下ろし、教祖の部屋から持ってきたランタンをかざして地下道を歩きだした。
「影丸の状態が、衰弱って出てたからさ。どっか具合悪いのかと思った」
「封印から解かれたばかりだからな。ここに留まっていた怨念だけでは、この程度の体がせいぜいだ。地上に出て、人間が暮らす場所に行けば、自然に回復するだろう」
「そうなの?」
 伊織の足元をトコトコと付いてくる影丸を見下ろすと、影丸も鼻を鳴らして伊織を見上げてきた。
「封印さえ解かれれば……吾輩は大邪神であるぞ。だが、吾輩は義理堅いからな。この世界に不慣れな貴様に、もう少し付き合ってやろう」
「そいつはありがてえ」
 影丸は何百年か封印されていたらしいが、異世界ビギナーの伊織よりは、よほどこの世界に精通しているに違いない。大邪神と名乗るからには、魔人となった伊織のことも、普通の人間よりは詳しく知っているだろう。
「そういえば、自己紹介していなかったな。俺は沖園伊織。こっちでは、魔人のイオリだ」
「ふん、くるしゅうないぞ」
 一人と一匹の影は、暗い地下道の中を進んでいく。
 地上では、ほどなく夜が明ける時間だった。