その手を取るのは ―2―


 陸奥かなめが出したダンテの人物評は「血濡れの鉈を持った義理堅い好青年」だった。
『ナンパなおしゃべりはこのさい置いておいて、あれは仁義を通すタイプですね。しかも、部下を気遣ういい上官になりますよ。本人は単独行動がお好きなようですが』
 フフフと機嫌よく笑みを漏らすかなめに、なにがあったのかと聞けば、いたずらっ子のような無邪気さで教えてくれた。
『長い黒髪の女の子が好みだというから締め上げようとしたんですけどね、それが昔看病してくれた日本人の女の子だと言うじゃありませんか。彼女にお礼を言いたくて日本語を学び、日本人には特に親切にしなければならないと思っているそうですよ。これが報恩感謝の心というのでしょうか。このご時世で実践している人を初めて見ました。ふふふふ。なにが面白いって、これはきっと彼の初恋ですよ。甘酸っぱいですねえ』
 そういえば大和はどうして髪を切ってしまったんですか、と悪気無く聞かれて、大和は有名和菓子店の羊羹でかなめの口を塞いだ。意外と動揺が大きかったことに、自分で驚く。
(そういえば、よく梳いてくれていたな)
 少しずつ伸びてはきたが、まだ以前のように長いおさげに出来るほどではない。
 肩にかかる自分の髪を見ると、咲いたばかりで散り急ぐ桜の花びらが付いていた。
「あ・・・・・・」
「はい、取れましたよ」
「・・・・・・ありがとうございます」
 すぐそばに立っていたのは、今回の学会で一緒になった寿村だった。大和よりもいくらか年上だが、まだ三十代で医師としては若い。神経内科医として名を揚げはじめたところだが、上昇志向が強いというか、どこかギラギラした野心的な雰囲気があって大和は少し苦手だった。
(媚びてくるのは慣れているけど・・・・・・)
 寿村は自分が輝きたいタイプなので、大和に媚びるというよりは、大和を踏み台にしたいという、ずうずうしい考えの持ち主だ。
「高名な小鳥遊先生のお話を聞けるなんて、幸運でした。今後の講演のご予定は?」
「いえ、今回だけですよ。若輩のお耳汚しでした。僕は研究者ではなく、現場の一医師ですから」
 そもそも、大和が仕事を置いてまで隣県の医科大に来たのは、TEARS名坂支部と提携している高度医療センターのセンター長に頼み込まれたからだ。日頃から無理を聞いてもらうなど、世話になっている身としては無碍にできないし、学閥による明確な縄張りがある業界で、それを越えた顔の繋がりを作ることは、はみ出し気味な大和にとって決して損にはならない。もっとも、相手は『小鳥遊製薬』の小鳥遊大和に価値を求めているのだろうが。
「それはもったいない! ぜひ僕の研究にも意見をもらおうと思っていたのですが・・・・・・いや、僕個人の希望なので。小鳥遊先生もお忙しいでしょうし」
「は、はぁ・・・・・・」
「ご迷惑でなければ、義手を見せていただけませんか? コードファクターを採用した最新の技術でしょう? 実際に使われているところを見ておきたいんですよ」
「・・・・・・どうぞ」
 袖をまくって見せた右腕を、寿村は無遠慮につかんで撫でまわすので、大和は思わず悪寒に背を震わせた。
「っ・・・・・・」
「どうしました?」
「あの・・・・・・触られる感覚があるので・・・・・・」
「へえっ! 金属なのに触感まで再現できるって本当だったんだ! いや、すごいなぁ」
(だから、撫でるな! 気色悪い!)
 ぞわわわと全身に鳥肌がたって、大和は腰が引け気味になったが、寿村はまだ大和の右腕を放さない。なんとか逃げたいともだもだしていると、小柄な影が近づいてきた。
「ご歓談中のところ失礼します、寿村先生」
 ひんやりと冷たい手で首筋を触られた気がして、大和は必要以上に大きな動作で振り返り、その勢いのおかげで腕が寿村の手から抜け出せた。
「なんだい、山里くん」
 ぺこりとお辞儀をしたのは、長く真っ直ぐな黒髪から白い額を出した女性だった。
「研究室で枡潟さんが呼んでいます。メッセージが届いていませんか? 先生に注視しておくよう言われた検体の様子がおかしいから、すぐに来てほしいと」
「はあっ!? わかった。あっ、じゃあ・・・・・・」
「それと、小鳥遊大和先生でいらっしゃいますね?名坂市の高度医療センターからお電話がありまして、すぐに折り返してほしいそうです。事務棟にご案内します」
「わかりました。では、僕はこれで失礼します、寿村先生」
「あぁ・・・・・・では、また次の機会にぜひ」
 名残惜しそうな寿村と別れて、大和は山里という女性研究員について歩き出した。うららかな春の日差しに温まったキャンパスだが、夕暮れを告げて吹き始めた風は少し冷たかった。
「・・・・・・申し訳ありません、医療センターからの電話というのは嘘です」
「は?」
 細い肩が大和を振り仰ぎ、ややきつい印象を受ける眼差しの下で、小さな唇がふわりとほころんだ。
「ああ言わなければ、寿村先生に研究室へ引っ張って行かれていましたから。それとも、まだ腕を撫でまわされていたかったでしょうか?」
「いいえ、正直言って助かりました。お気遣いに感謝します」
 心底ほっとしたことを隠す気もない大和に、山里は小さく会釈をして歩き続けた。
(東北出身なのかな?)
 彼女のイントネーションには、この辺では聞き慣れない訛りがあった。萩原兄妹の薄くなってきた訛りとも少し違うので、内陸部の方かもしれない。大学なんて全国から人が集まるので不思議はないが、そのふわんふわんとしたリズムを、大和はしばし楽しんだ。さっきまで寿村のせいで肩に力が入っていたのに、とても穏やかな気分になってくる。
「寿村先生は優秀な方ですが、少しデリカシーに欠けるところがありますので・・・・・・不快な気分にさせてしまったこと、お詫びいたします」
 寿村の専門は、神経内科の中でも特に筋肉まわりの研究であるから、大和の義手に興味を持つのは理解できる。だがあの撫でる手つきは、デリカシーが無いというより、痴漢に近いおぞましさを感じた。大和は寿村に近付かない事を心に決め、罪のない研究員に微笑んでみせた。
「気にしないでください。山里さん? あなたが責任を感じることではありません」
「恐れ入ります。あ、申し遅れました。寿村チームの山里羽衣ういと申します」
 がつがつした寿村の部下とは思えないほど、山里の落ち着いた雰囲気は清々しい。どこか冬の朝のような、凛とした空気の持ち主だ。
「そういえば、小鳥遊先生は今夜の懇親会にご出席されますか? 研究室で問題がなければ、寿村先生も来てしまうと思うのですが・・・・・・」
「ああ、他の先生からもお誘いをもらっていますが、なるべく早く戻らないと。うちの人達は気にするなと言ってくれるんですが」
「まあ。TEARSの方々は、優しいんですね」
「ええ、それはもう」
 大和が苦笑いを溢すと、山里も口元を隠すようにころころと笑った。自分の立場よりも見ず知らずの誰かを護ろうとする行動や、自分には関係ない人も素直に称賛する精神に、育ちの良さ以上の気高さが感じられる。
(ダンテさんが口説きそうなタイプだな・・・・・・いやいや、何を考えているんだ僕は)
 慌てて頭を振った大和を、山里は不思議そうに見上げてくる。目鼻立ちのはっきりした美人と言うより、日本画の美人のような、伝統的な顔立ちだ。
「なんでもありません。では、このまま事務所で電話をお借りしましょう。無事に学会も終わったことですし、一報を入れてもおかしくありません」
「はい」
 そこで大和は、朝から忙しくて見ていなかった自分のスマートフォンの電源を入れた。メールが何通か、名坂支部から届いていた。
「え?・・・・・・はあっ!?」
「どうされました?」
 メールに添付された画像に、大和はこめかみに青筋が浮く気分だった。
「あの人はまったく・・・・・・! すぐに帰らなければ。すみませんが、そのように伝えてもらえますか?」
「承りました」
 大和の目を見てしっかりと頷く山里は、寿村よりよほど信頼がおける人物のようだ。
 事務棟で山里と別れた大和は、急いで荷物をまとめ、陽が沈んだ黄昏の中、名坂市へと車を走らせていった。


「・・・・・・だから言っただろう」
 TEARS名坂支部の医療棟地下にある霊安室から出勤したダンテに、時雨の視線は生温かい。昨夜、というより今朝、夜勤上がりのダンテを、出張先からとんぼ返りしてきた大和が待っていた。
「うっ、うっ・・・・・・大和さん、ガチで怒らなくてもいいのに」
 床に正座の上、義手でぺんぺんと額を叩かれて反省を促されたダンテは、説教が長引いたせいで日の出前に家に帰れず、遺体のアンセラ化を恐れて二重扉が施されている霊安室に、ブランケットを持ち込むことになったのだ。
 文字通り、死んだように眠るダンテであるから、太陽の光が入らない霊安室は安全な場所ではあるのだが、そんな所で寝るなと、また大和に文句を言われたらしい。今回は押し切ったようだが。
「あんなに早く帰ってくるなんて・・・・・・。勝手に治るからいいって言ったのに、キャンプ車で救急スタッフに『自分は経験浅いから、先に支部で待機している医師に確認する』って撮られた写真が、大和さんに転送されていたなんて思わないよ! ひどいと思わない?」
 もう写真撮らせてやるもんか、とダンテは喚くが、そこはスタッフを責められないだろう。
「これに懲りたら、もう少し常識的な行動を心掛けるんだな」
「ぐぬぬ・・・・・・」
「ところで、その目は、もう治ったんだな」
「ばっちり」
 時雨を見返してくる灰色がかった青い双眸は傷ひとつなく、焦点もきちんと合っているようだ。これだけ見れば、大怪我をしていたようには見えない。
「それならよかった。あまり大和さんに心配をかけるなよ」
「・・・・・・それ、時雨に言われたくなかったなぁ」
「どういう意味だ」
「アハハハッ」
 ダンテは笑って誤魔化しながら、心外そうに口を尖らせる時雨の肩を叩いた。そこへ、時雨を探していたらしい長門が、元気のいい大型犬のように走ってきた。
「おーい、時雨・・・・・・あっ、ダンテいるじゃん。ちょうどいいや」
「なぁに?」
「大和が出張先で、ダンテが口説きそうな女の人見つけたって。どんなタイプ?」
「は?」
 反応に困って固まるダンテの横で、時雨が小さな溜息をついた。
「なにを言っているんだ。大和さんみたいなタイプに決まっているだろう」
「えっ、大和みたいな? マゾ?」
「先方に失礼な思い込みをするんじゃない。それで、俺に何の用だ?」
「んえ? ・・・・・・えーっと、なんだっけ? 誰かが時雨を探してたから、呼びに来た!」
 その呼んでいる人が誰かわからないらしい長門を、時雨は「世話の焼ける隊長だな」などと呟きながら引き取って行った。たぶん、長門がやってきた方向に行けば会えると、経験上わかっているのだろう。
「・・・・・・ふーん、俺が口説きそうな女の人、ねぇ。どんな子だろう?」
 一人残されたダンテは首を傾げる。相手が女の子なら全員に話しかけるけどな、などという内心がばれなかったので、ダンテは時雨のフォローに感謝するのだった。