その手を取るのは ―1―


 飲み屋も暖簾を下した未明。
 ぽつりぽつりと間隔をあけてともる街灯だけが、その足元を夜闇からの安全圏だと主張しているようだ。
 駅へと向かう深夜タクシーとすれ違った影が、ふらりとアーケード街へと入る。シャッターが下りたその通りは、昼間なら人通りはあっても、この時間はホームレスすら近寄らない。動く影はドブネズミぐらいだ。
「いい加減に、出てきたら? ストーカーされる覚えはないんだけど」
 貼り付けた笑みの中で開いた目がとらえたのは、月明かりにぬるりと姿を現した腕章をつけた男。
「んー、やっぱりバレてたか。俺もまだまだだな」
 対峙した二人の男の服装は似通っていた。暗褐色のタクティカルジャケットとブーツ。赤毛のツーブロックと、栗色の癖毛。ただし、それぞれが持っている得物は、二振りの大振りな軍用ナイフと、濃い銀灰色の金属バット。
「あんた、EA機関の人? 名坂支部で会ったことないよね」
「どうかな。お前が知らないだけじゃない?」
「要警戒人物扱いされているのは知ってるよ。天城っていうんだろ」
「そういうお前は?」
「ダンテ。よろしくね」
 なんでストーキングしてきた男によろしくされないといけないのかと天城は眉をひそめたが、目の前で穏やかに微笑むダンテの気配は変わらない。警戒はしていても、極度の緊張や恐怖、あるいはその逆に侮りも感じられない。
「それで、何か用?」
「うん、捕まえられないかなぁって思ったんだ。隙が無くて時間切れになりそうだったけど、そっちから誘ってくれたから」
 出てきちゃった、とダンテは恥ずかしそうに頭をかく。
「そういうわけだから、俺に捕まってくれると嬉しいな」
「お断りだね」
「あーあ。フラれちゃっ・・・・・・たッ!」
 瞬殺の踏み込みを弾かれて、天城は内心で舌打ちをした。むこうは捕まえる気なのだから、わざわざ戦わずに逃げればいい、というのは少々無理な相談だ。影のようにぴったりとついてきて尾行をまけなかった相手から、どうやって逃げろというのか。肉食獣に付け狙われた気分だったが、殺さないで捕まえるという相手の余裕が腹立たしい。
(クソッ、かってぇな!)
 天城のナイフだってそれなりに硬いし、人間を簡単に分解する程度の技量はある。対して、ダンテには時雨のような剣の技量もスピードもないのに、常にギリギリでかわすか、金属バットが天城の攻撃を防いだ。体捌きは軍仕込みに見えるが、天城の攻撃を理論的に予測しているというより、冗談のように動体視力と運動神経がいいのだ。予備動作すらほとんどない天城の攻撃を見てから避けるなんて、人間離れしているというレベルですら超えている。しかも、このバットが異様に硬い。
「・・・・・・おい、なんだそのバットは」
「えへっ、特注品♪」
「んなこたぁ、見ればわかる!」
 ナイフがバットに当たるたびに、ぎぃぃんと重く耳障りな音が響き、天城の腕は痺れた。中を空洞にしてウレタンなどを詰めているスポーツ用品ではありえない事だ。
(見た目より、ずっと重い?)
 バットの先が風を切る音、その風圧が、天城に冷たい汗をかかせた。そしてなにより、そのバットをバトンのように軽々と振り回すダンテの膂力に、天城は今更ながらに舌打ちをした。スピードも技量も天城の方が上なのに、攻めあぐねているなんて。
「こんな適合者がいるなんて聞いてない。とんだ隠し玉だな」
「違うよ。俺はコードファクター適合者じゃない」
「は? じゃあ、何者だよ」
 思わず聞き返した天城は、自分をイラつかせる難敵に目を眇めた。アーケード街の外からの逆光を浴びながら、ダンテの唇が大きく吊り上がり、長く伸びた大きな犬歯が剥き出しになる。
「人類の敵、かな」
「うわぁ、厨二病患者だ。怖ぁい。じゃあ、俺が人類の味方だな」
「アハハ! 素敵な墓碑銘エピタフィオだね」
 ふわっとバットの先が上がった時には、天城のナイフはダンテの左目の前にあった。

 ツ カ マ エ ・・・・・・

「!」
 眼球を貫く手応えはあった。だが、天城はそれを確認する前に退こうとして、頭蓋を粉砕する勢いで襲い掛かってきたバットを左手のナイフで防御し、バランスを崩した体を捕まえるべく伸びてきた腕を、足を滑らせるようにしてかいくぐった。
 ジャリリリンという金属をこすり合わせた音が耳の奥にこびりついて、張り詰めた息を解放するのに数秒を要した。
「ぎゃあああ!!いってぇー!! あれ避けられるとか、マジ信じらんない!」
「そ・・・・・・れは、こっちのセリフだ! 脳まで刺さってんじゃねーのか!?」
 ブロックに覆われた道路から跳ね起き、天城は痛みに顔をしかめた。受け流しきれずに左腕を犠牲にしたが、ハエトリグサのような包囲から抜け出せたのは、天城の戦闘センスがずば抜けて高かったからに他ならない。
(コイツ、痛みがない・・・・・・わけじゃないんだな)
 こちらに向き直ったダンテは、左目からナイフを生やしてちゃんと痛がっているが、天城のナイフを受けることに躊躇がなかった。それどころか、踏み出して、最初の宣言通り「捕まえ」にきた。あそこから進んでも退いても逃げ場がなかったと、いまさらながらに天城の耳の奥で鼓動がうるさい。
 天城は痛みがひどくなってきた左手からナイフを右手に持ち替えたが、どこからかピピッという小さな電子音がして、ダンテが手を振った。
「あ、ちょい待ち。時間切れだー。俺、戻らないと」
「は?」
「定時で帰る主義なの。絶対に、残業はしない」
 腕時計のスイッチを操作してアラームを止めたダンテは、少し言いづらそうに自分の左目を指差した。
「ねえ、これ抜いて」
「刺しとけよ」
「そっちの商売道具でしょ?」
「ちっ」
 天城は手元のナイフを鞘に納めると、ダンテの左目に刺さったナイフの柄を掴んだ。
「いだだだだだ!!ぐりぐりしないの!!!いっだいっでば!!!!」
「なんで死なないんだ、こいつは?」
 ずぼっと抜けたボウイナイフには、血まみれの眼球が付いていたが、すぐにさらさらと塵になって消えていった。
「・・・・・・」
「う゛ぅ〜〜、目が取れたぁ〜。すぐに治さないと、また怒られる。早く帰ろうっと。またね、天城!」
 チャオチャオ、と手を振って去っていくダンテを見送り、天城はその場に座り込みたい衝動を、なんとか堪えた。
「なんなんだよ、あれは!」
 キツネにつままれたような気分だったが、こっちも早く治療を受けないと、また加賀あたりに嫌味を言われかねないと思いなおし、天城は足早にその場を後にするのだった。


 医療棟で新しく包帯を巻き直してもらったダンテを前に、時雨は呆れたと言わんばかりにため息をついた。
「瀬良よりも向こう見ずだな」
「それは褒められたのかな? ありがとう」
「褒めてない」
 夕方だというのにサングラスをかけて出勤してきたダンテに、どうしたと問いかければ、前夜に天城とやり合ったと言う。時雨でなくても頭を抱えたくなるだろう。
 ぐちゃぐちゃにされた瞼は治ったが、まだ眼球の復元が追い付いていないらしい。さすがに一から作り直すのは、ダンテの回復力でも血液の補給が足りないと時間がかかるそうだ。
「明日までには治るから、大和さんが出張から帰ってくる頃には元通りだよ」
「それで説教されないと思っているなら、やっぱり瀬良並みだな」
「えー」
 内緒にしておいてほしいなぁ、などとダンテは呟くが、医療スタッフの口が大和に対して閉ざされるはずがない。
「それで、どうだった?」
「なにが?」
「天城だ」
 天城と直接刃を交えた事のある時雨は、ダンテがどうやって生還したのか興味があった。
「天城? すっごく早くて強いよね! 俺じゃあれを捕まえに行けないよ。無理無理。攻撃当たらないもん」
「それがわかっていて、よく出ていったな」
「だって、むこうが攻撃して来れば捕まえられると思ったんだもん。あいつの武器、ナイフでしょ? すごくリーチ短いじゃない」
「最初から刺させてやるつもりだったのか」
 ニイィッと吊り上がったダンテの唇から、白い犬歯が覗く。自分の耐久力と回復力さえ、彼にとっては武器なのだ。
「でも、結局逃げられちゃった。ほとんど殺すつもりで捕まえに行ったのに・・・・・・やっぱり本職は強いね〜」
「・・・・・・」
 たしかに生きたまま捕まえるよりも、生死不問の方が労力は少ない。だが、ダンテの言う「殺す」は、人間が相手ならほぼ「食べる」に等しい。そう考えると、彼の行動原理はアンセラと変わりないのではないかと、時雨は目眩がする思いだ。
「ああ、時雨は真面目だなぁ。俺が怖くなった?」
「・・・・・・なんのことだ」
「ちょっと顔色悪くなってる。俺に血流誤魔化せると思った?」
「・・・・・・すまない」
 思わず謝ってしまったが、これでは謝らねばならないことを考えていたと白状したようなものである。だからといって謝らない選択は時雨にはないので、ドツボにはまっていくのを、ダンテにニヤニヤ笑いながら眺められることになる。
「アハハ。時雨は本当に素直だなぁ。刀を持っている戦闘部員でなかったら、ぜひご馳走になってほしかったよ。美味しそうな匂いがするしね」
 それに、と続けられたセリフに、時雨は改めて目の前にいる青年が人間ではないと思い知った。
「たしかにいまの俺の仕事は、病気になった家畜を処分することだけど、家畜に病気を振りまいたり、元気な家畜を殺したりする害獣から逃げるほど、腰抜けじゃないよ。まあ、駆除の依頼は受けていないけどね」
 不穏当にすぎる内容は、温和な笑みを浮かべる右目だけで中和されるものではないのだ。